近代英国史(3)  イギリス王朝からUnited Kingdomへ、カソリック世界からプロテスタントへ、地域経済から資本主義市場経済へ、印刷文化と最初の新聞発行

 

(訳注)このコースの全体像を俯瞰して16世紀から17世紀への大きな変革が何を意味しその後の世界に何をもたらしたかを語っている。16世紀のイギリスは単純な君主制国家でありカソリック世界に属し地域農民と都市職人の家計が国家財政を支え、田園共同体を中心とした無教育な社会だった。17世紀になるとそれが立憲君主制の共和国になりさらに大英帝国となり、宗教的寛容を軸にした挑戦的なプロテスタントになった。さらに農業経済と手工業中心の経済から商業中心の資本主義市場経済に、さらには海外特に東方貿易を中心とした交易国家へと変貌した。印刷文化の誕生とともに識字率は向上し世界で初めての英語の新聞が創刊された。しかしこれまでの近代英国史の文脈は政治的自由や宗教的自由を通して勝ち得た勝者の一方的な歴史だった。1950年代イギリスの立ち位置の変化に伴い歴史解釈も勝者の一方的解釈から敗者を含めた相対的解釈に変わった。そこからあぶりだされた近代英国史の問題は、ヘンリー王朝の権力構造問題であり宗教解放と政治の緊張関係であり、経済活動の活発化に伴う大規模な人口爆発であり、魔女狩りの流行と大衆抗議活動であり、宗教と政治の緊張関係が生み出した市民戦争であり、大英帝国のUnited Kingdomという構造が世界権力として植民地活動を活発化させ第一次世界大戦から現在のヨーロッパの混乱の大きな要素を作った。

 

 

 

15世紀後半から18世紀初期までを含む。(2011)そこに起きた重要な変革や革新を見ると、1500年代の英国は個人的な君主制の国だった。王がすべてを支配していた。1700年まで立憲君主制でその政治的生命の核心は永久に選挙された議会になり単純なイギリス王朝ではなくユナイテッドキングダムになり、England,Scotland,Wales,IrelandのUnited Kingdomになった。1500年代イングランドは中世後半カソリック主義の活発な活動を実践するカソリックキリスト教世界に属していた。1700年代までに国はその後に出現した全てのプロテスタントの多様な宗派を含まないイギリス国教会を設立し挑戦的なプロテスタントになり、17世紀後半の宗教的寛容を率先的に容認した。(2107)1500年代には大方は地域の農民家計と都市職人による地域経済であった。1700年代には高度に商業化された資本主義構造の市場経済と多くの世界との交易を中心としたものに変わり、特に東方世界と大西洋を中心としたものに変わった。

 

1500年代には田園共同体世界と小さな町と重要な大都会はロンドンだけだった。1700年代までにヨーロッパにおける急速な都市化国家となり、ロンドンはヨーロッパ最大の都市になり一種の首都の原型となった。1700年代ロンドンは20世紀半ばのニューヨークのような一種のショックシティになった。1500年代ほとんどの人は字を知らなかったが、1700年代には識字率は大きく広がった。(2203)そこには最初の英語の新聞発行を含む活発な印刷文化があった。以後はこの時期の始まりと終わりの差が続々と指摘された。これらの物語と他の大きな移行期の物語はかっては一種の勝者の物語とされ、イギリスの運命的な展開とされ、この時期の歴史を国家主義的にとらえたホイッグ党の歴史解釈と人々に言われてきた。16世紀の政治的自由や宗教的自由や経済的豊かさからの成長の足跡と安定した世界的権力の上昇としてきた。時にはこれは専制政治や迷信や後進性との厳しい戦いを余儀なくされたが、ある意味ではこれは運命的なもの、一種の宿命のマニフェストのイギリス版とされてきた

 

1950年代以来(2300)この総体的視野が大きく変わってきた。イギリスの世界における立ち位置が変わってきた。人々は歴史を別の視野から考えるようになった。新しい歴史の形態が開拓された。今や他の声が聞こえてきた。特にこの過程の中で,これらの業績の中で下位に従属してきたすべての敗者の声が聞こえてきた。結果として今や一方的な声が少なくなり多くの面で慎重な歴史的資料の編纂が行われた。古い気取った自慢気なイギリスの歴史的役割の傾向は姿を消した。今や16世紀と17世紀の変化は宿命的なものとはかけ離れたものに見え、また一方的な見方を離れた方が損失と同時に利益があり、失敗と犯罪は同時に業績になったことが明らかになった。その指摘は物語のすべてに及び研究することが可能になった。(2404)

 

講義概要を簡単に見ておこう。原則的には年代順である。全体は年表に従っているが発達に従って重複するところがある。計画としては知識の層を重ねるつもりである。その一つ一つは次の段階への踏み石のような機能を果たす。最初の講義は第2回から第6回で、ある意味で16世紀にあった社会や経済と政府の文脈を作ることに集中したい。地方共同体や社会と経済的役割とその関係を家計を通して、およそ1480年代から1540年代の当時のヘンリー7世と8世の時代の権力と権威の構造見てみたい(2500)これが文脈を作り上げるためだが前に言ったように歴史の規律は文脈の規律だからである。事実がその意味を取得するのは文脈を理解したときでそれがその意味を把握する助けになる。だから文脈を作ることが大事になる。第7回目の講義から変化の足跡をたどることになる。第7回と8回で宗教改革のインパクトを見て1530年代から1550年代のイギリスの宗教部門の解放を見る。第9回はちょっと中断して16世紀に始まった経済活動の活発化による大量の人口増加が生み出した問題点を見る。

 

次の10回と11回はエリザベス1世のイギリスを見て女王が直面した非常に不安定な相続した環境の安定性への葛藤を宗教と政府の政策問題に焦点を合わせてみてみたい。次に第12回と13回はエリザベスと初期スチュアートの下での主要な社会変革の特徴を1580年代から1630年代の社会と経済の主要な移行期を通して見てみたい。(2620)第14回から17回までは同じ時期エリザベス王朝後半からスチュアート王朝前半までの社会と文化の側面を見てみたい。当時の魔女狩りの流行を見てみたい。その犯罪と無秩序、大衆抗議活動と暴動、そしてリテラシーと教育。それから第18回と第19回は17世紀前半の宗教と政治的緊張、第20回と第21回はその結果として1642年に市民戦争へと爆発し(2707)、チャールズ王の処刑の後に1660年まで続いて最初のイギリス共和国を見る。第22回は1660年以後1688年の革命まで形跡を残した君主制の再興を見る。第23回は17世紀後半に第24回で新しい国家構造と巨大な世界権力として大英帝国の出現問題を残した資源を準備した急激な経済成長について話をします。