Yale Open Course

英国近代史

Keith Wrightson

 

(1)  チューダー王朝とスチュワード王朝の英国。1480年代から1710年代まで、市民戦争とイギリス共和国、政治史と宗教史と社会史と経済史と文化史と、現代21世紀への投影と比較的類似性

 

(訳注)前回の心理学とは全く異なる英国近代史の講義をYale Open Courseから訳します。この講座が面白いのは現代先進国社会や西洋文明の起源、特に民主主義と言われる制度設計を我々は当然のものとしているが、実はここ英国の1480年代から1710年代までに起きた政治現象、市民戦争、王制崩壊と共和国政府の誕生、さらに政府や経済や宗教の構造の基礎がこの時代に形作られたからである。更にこれらの大きな変革は計画的に行われたのではなく、あくまで偶然の現実的対応や暫定的一時的な現実主義から来たもので、その後の時代の教条主義的世界とは全く相いれないものであるからだ。チューダー王朝のヘンリー8世やエリザベス1世からスチュワード王朝に至りジェイムズ1世や2度の市民戦争によるチャールズ1世2世の処刑とクロムウエルを護民官としていただく共和国政府の誕生までの政治史とは別にこの時代に発生した大きな社会宗教経済文化はその後の西洋世界にコピーされ現代まで3世紀以上にわたってデフォルトスタンダードとして今日まで生きている。この講座はその現代の居場所を理解しその危うさは生まれつきのものであるという警鐘を鳴らす。安心安寧はあり得ない。

 

 

 

ここは歴史教室251です。今朝は簡単にクラスの紹介をして、皆さんに何を提供できるか説明したい。まず最初に当然ながらコースのアウトラインから始めます。ここで扱う歴史の時間は200年から250年をカバーしてタイトルに挙げた「初期現代イギリス」の話をします。このタイトルは君たちにはあまりなじみ深くはないかもしれません。別の言い方をすればこのコースは「Tudor and Stuart England」で事実この用語はサブタイトルとして挙げています。つまりイギリスがチューダー王朝とスチュアート王朝に支配されていた,約1480年代から1710年代までの期間を扱います。こう呼ぶのはこのコースがこの支配者の周囲で構築された時代に焦点を当てるからです。(0103)ある面でそうなのですが、このコースの中核として政治的文脈の紹介ではそうですが、この時代に名前を付けた偉大な人物の生活と時間を紹介したい。

 

いわばコインの顔なのです。悪名高いヘンリー8世と正しい順番で事情を思い出すのは難しいのですが、6人の不幸な彼の妻たち。離婚、首切り、死亡、離婚、首切り、生存。魅力的というかいささか困惑するエリザベス女王1世のGloriana,Good Queen Bess,Virgin Queen。彼女はCate BlanchettやJudi Denchとして思い出すかもしれません。彼女は依然としてグラマーで彼女の統治の初期に「男の魂の中に窓を作るな」と言ったことで有名です。彼女はほとんどの歴史家が彼女に窓を開けようとしたが抵抗し続けた。それから4人のStuartの王がいます。James1世で当時は「キリスト教国の中のもっとも賢明な愚か者」と呼ばれた。スコットランド王のときには若いうちは冒険好きでイングランド王となってからは毎日をクリスマスのように扱った。チャールズ1世は彼の息子で彼の在位中に市民戦争に巻き込まれ17世紀中ごろ1649年結局審判にかけられ人民によって処刑された。(0304)

 

彼の息子のチャールズ2世は共和国政府誕生の10年後に王座を奪還し、チャールズはエネルギッシュに快楽を求めて数えきれないめかけと14人の非嫡出子を持つことで有名なMerry Monarchとして知られていたが決して嫡出の子はいなかった。それはセントジェイムズパークで妾とスパニエル種の犬といることよりも幸せではなかったからである。耳の毛が長く黒と白の混じった犬がスパニエルである。彼が飼ったのでその名がついた。王自身もキングチャールズのスパニエル犬のように彼は耳に巻毛の飾りが付いたかつらをかぶり茶色の目をしていた。それから彼の弟のジェームズ二世、前ヨーク公爵が王位につき3年後に17世紀の第二次英国革命によって国外追放され後に(0402)残った忠臣たちによって水上王と呼ばれた。さてスチュアート王朝の二人は政治的には機敏だったがモラルの欠陥があり二人とも王位には政治的に不適当だったと言われてきた。

 

オスカーワイルドの言葉を借りると一度目は不幸にも王座を失った著名な王朝だが二度目は政治的に不適当だったからだと言われてきた。この人たちの名は聞いたり読んだりしただろうがこの時期の他にも多くの人が英国の公的な運命と政治的運命を形作った。他にもまた今日は9月の3週だが私にはOliver Cromwellを思い出す。彼は9月の3週に生まれ、亡くなり、二つの戦いを戦ったのは単なる偶然とは思えない。ピューリタンの将軍で、1653年から1658年まででイギリス共和国の護民官と名付けられ、特に際立った人物として厳格で歓喜の人物として描かれた。ある意味では理想主義者で彼の時代に先立って宗教的に寛容だったが他の面では彼の時代の偏狭さに染められていた。歴史的には他の英国史のどの人物よりも愛されかつ嫌われた。偉大な人物であったが、その人物たちだけに焦点を当てアプローチするよりももっと多くのことがあった。

 

第3のコースの講義は政治的文脈といかにそれが展開したかを理解することと他には(0605)時代の他の局面である宗教の歴史や社会の歴史や経済の局面やその時代の文化的側面の焦点を当てる。これらのことは当時の支配者たちの意思決定に大きな影響を受たが、同時にそれぞれの登場人物に遥かに大きな影響を受け独立した道を展開した。つまりこのコースはもっと多くの市井の人々と彼らの時代の経験と同時にそれを特徴づけた人の歴史でもある。ハリウッドの長編英雄映画のように何万もの役者が登場する。そのためにもっと広範囲のものを収容できるように漠然としているが「近代英国」と名付けて、(0703)15世紀の終わりから16世紀の中頃までの広範囲の時代に現代イギリスの政府や経済や宗教や社会構造や文化や政治的価値の基礎を特徴づけたものを見たからである。2世紀半の想像の旅に招待しましょう。とはいってもずいぶん古い時代の話で、この種の歴史は長い間死蔵され時代に溺死していた。なぜこの離れた過去が現代の我々の体験に関係するのか。なぜEnglandやBritainに頭を悩まされるのか。なぜそれが問題なのか。少なくとも深い歴史を探査する3つの理由があると私は思っている。そしてその道が我々を直観的なより馴染み深い歴史世界へいざなってくれる。(0809)

 

まず最初にこうすることで想像の豊かさによって失われた世界の再発見を想像する道へいざなってくれる。第2に知的要請もある。すべての歴史はかなり厳格な知的原則を必要とする。因果関係の議論を展開しなければならない。何故そうしなければならなかったのか。こうすることで我々が聞きたい質問と過去が置いていった証拠との対話を構築することはできる。私の指摘は特に離れた時代の経験を魅了し、そのよく知らない体制の中で作られ,よく分からない心の影で思いついた証拠の多くはあいまいで難しく部分的である。だから我々自身でその心の影を考えて彼らの時代に起きたことを理解し因果関係の議論に知識を与えようとしなければならない。それが想像と知性の翼を広げることである。第3にまた最も重要なのはその意味の創造を考えなければならない。21世紀に投影された傾向と価値と経験に我々自身の時代を深く比較的な文脈で考えることにつながる。(1002)遠く離れた過去を見れば全くの他人ごとのように思えること、4,5世紀の間に起きた深い基本的な変化の現実性と現代では当然と取られている暫定的な偶然の一時的な本質と同じような親族的類似性は我々に警鐘を鳴らす。この実技訓練こそまことに驚異的で刺激的かつ挑発的な挑戦こそ我々の時代の居場所を理解する手立てになる。