心理学入門(3)  ステレオタイプとメディア情報の不完全性、ステレオタイプとモラル

(訳注)ステレオタイプの構築がどのような問題を含んでいるかを講義している。第一の問題はメディア情報の不完全性とそれによる誤解が歪んだステレオタイプを形成する。戦前の欧米人を敵視したステレオタイプは政府の宣伝もあっただろうが、マスメディアの不完全な情報がそれを助けた面があった。ステレオタイプが犬やリンゴの概念を識別する程度なら問題はないが、人間を識別する場合には大きな問題を孕む。そのステレオタイプが合理的なものならその識別は許されるが不合理なステレオタイプの差別は、人種や性差やその他の社会集団の場合複雑なモラルの問題が被ってくる。特に人種や性差は作られたステレオタイプが逆にその一員の能力に影響を与える。これを「例証効果」と呼んでいるが、ネガティブなステレオタイプはそのすべてに影響を与える。黒人の学習能力や女性の数学の能力はその例だとしている。しかしこうしたステレオタイプ表現も時代とともに変化しているのは、黒人の大統領の誕生や、女性の社会進出によってステレオタイプの大衆的表現が変化してきたことの証左である

 

 

第二の問題はちょっと前に話したことで、我々は多くの世界の情報をメディアから受けているがそのデータが誤解されていることである。メディアにはテレビや映画が含まれるだけではなく演劇や本や物語が含まれる。これらが表現する世界の不公平な非現実的なバイアスがかかった概念によって我々はその得たデータに忠実なステレオタイプを構築しているがデータがそのすべてを代表しているわけではない。例えば人々はテレビのイタリア系アメリカ人がマフィアのSopranosのメンバーだとして嫌う。歴史全体を通しても(1902)ユダヤ人はベニスの商人のシャイロックだと表現されナイスガイではないと嫌われてきた。(1908)概してより積極的な視点を発展させたい人々の反応は他の集団から普通ではない方法でそのポイントに重点を置く。ここで誰かテレビのショーでBattlestar Galacticaを見たことがある人は。スライドの人は誰か。彼はBattlestar Galacticaのスターですが君たちは若くて知らないかもしれない。オリジナルのBattlestarで彼は主役でStarbuckとして知られだが最近では女性に代わった。いかに面白い仕方で描写が変わったかその例(2000)がこれである。

 

そしてまたモラルの問題がステレオタイプには被ってくる。ステレオタイプをもとにして椅子やリンゴや犬を判断する上では何の問題もない。犬を飼う上での判断でも何の問題もない。犬種の差別主義者として誰も叫ばない気性が穏やかだから小型ブルドッグを飼う代わりにグレイハウンド犬を飼う、と言うのは正直言ってステレオタイプである。つまりグレイハウンドは小型ブルドッグよりも従順で穏やかである。多分本当のステレオタイプだろうがこれがステレオタイプであることには違いはない。しかし犬を飼ううえでステレオタイプで判断するのは何の問題はない。しかし人間を判断する上では深刻な問題を抱える。例えばステレオタイプが正しいとしても我々の誰もが持つモラル基準(2100)で日常的に適用することはモラルに反する。(2100)この用語は「プロファイリング」が適切だろう。これが複雑になるのはあるケースの場合にはステレオタイプが役割を果たすことが許されるからである。運転免許証を取ってあるいはすでに持っていても私より高い自動車保険を払わなければならない。それはある意味で公平で君たちのような若者は薬や酒で多くの事故を起こすからである。すると誰かはそれがステレオタイプだというだろうが、統計的に確固としたもので誰もそろって抗議することはできない。これは一般化した受け入れるべきステレオタイプだからだ。

 

その一方で保険会社がアジア出身のものはヨーロッパ出身者より多くの事故を起こすと決めることはどうだろう。その人々に同じようにより高い保険料を負担させることはどうだろうか。(2202)答えはそうはならない。問題は複雑化するのはどういった一般化が合理的に行われるか、不合理かによる。第二の問題もある。ステレオタイプはあらゆる種類の影響を持つ。そのいくつかは明らかなものでドライブの途中で黒人だからと言って車を止められたら、これはこの社会で人種に関係した効果をどう感じるか大問題になる。しかしいくつかの効果は多分気が付いていないうちにより微妙なもう少し面白い影響を持つ。この仕事は心理学者のClaude Steeleと彼の仲間がスタンフォード大で行ったものである。問題は「ステレオタイプの脅威」と呼ばれた。数学の試験を受けていると思ってくれ、これが最初の数学の試験である。(2302)Claude Steeleは面白い発見をした。ここに黒人が数学の試験でいかに悪い成績なのかの問題があった。非常に単純な理由である。分かったことは人の人種やその集団はネガティブなステレオタイプが何か特定の領域に付随して、その記憶がステレオタイプの脅威として思い出されてすべての領域にわたってその人の成績の傷になるからである。

 

もしそのステレオタイプがその人の集団はこの分野が苦手だとしたら、その記憶が自分がその集団の一員だったらそれをする前から成績は下がってしまう。如何に女性が数学のテストを苦手にしているか、これも同じようなものでこれを例証的効果と呼ぶ。ステレオタイプが複雑なモラルの緊張関係を生む。ステレオタイプを研究すると3段階のステレオタイプの間に一定の区別がありそれを要約したのがこのスライドである。(2408)まず「public大衆」がある。ある人が民主党の大統領候補者として選挙に出たのが黒人であり、別の候補者は女性だとする。黒人だと思う人と女性だと思う人、自動的に大統領としてはふさわしくないと思う人に手を挙げるように頼んだら、わずかしか手を挙げなかった。これが大衆としてのステレオタイプの表現である。たとえ紙に書くように頼んだとしてもそれを拒否するのは匿名ではないからである。次に「private 私人」がある。私人と言うのは実際に考えているが他人には話さないことである。アメリカの中である人はそれが黒人だからと言って投票に行かないが、その話はしようとしないがそれが真実だと思っている。(2507)これが常識である。

 

もっと面白いことはたとえそれ以下であっても人々が実際には知らないが人種や性差や他の社会集団に関する考えに影響を与える無意識の関連がある。ここに人は公式には何と言っているかと言うデータがある。アフリカ系アメリカ人に投票すると言っている人の割合がある。面白いのは私が生まれたころはアメリカでの回答は約半数だった。今はそうすると言っているのは100%に近い。ここに別のデータがある。これもまた黒人の大衆的ステレオタイプでそれぞれの特徴を是認した回答がある。これは極わずかである。これらの数字は人々が見逃してしまうほど非常に(2607)低いが、これらは人種に関して大衆表現や大衆的視点の意味深い変化があったことを示しているが、盲目的な視野ではないか。これはさらに複雑なものだが研究は非常に単純なものである。ここYale demoこれは行われている。例えばパソコンの画面の前に座って、不完全な言葉が与えられそれを完全な言葉にする。例えばhosのような言葉を完成させる。知らないのは黒人の顔の写真や白人の顔写真が画面上で点滅する。点滅は潜在意識に働くように非常に早く、あたかも彼らを見ていないように点滅させる。(3702)これもまた影響を与える。(2705)