心理学入門(2)人間集団と固定観念、カテゴリー情報と分類、カテゴリー情報と固定観念、情報の一般化の力と固定観念、確認バイアスと加重バイアス

 

(訳注)今日はステレオタイプと言う固定観念について話している。固定観念を持つことは悪い意味で使われることが多いが、実際は固定観念は人間生活の上で重要な役割を果たしている。それはカテゴリー化する一般化して物事を分類しているからである。この一般化能力がなければ我々の生存は難しい。その分類をすることがそもそも固定観念ステレオタイプと言う定型化である。従って人間集団は常にこの情報の一般化と固定観念のバイアスの中で均衡を維持しながら生きている。それが人間集団についても同じように及ぶ。出身地域、出身学校、社風など人間集団は常にある種の色分けをして生きている。そこにステレオタイプ化という固定化が始まると問題を引き起こす。黒人と白人、男と女、性差別、部落差別、様々な差別化が行われ固定化される。実態から解離した固定化がさらに偏向バイアスが加重バイアスへと深化してのっぴきならない事態に追い込まれ戦争に至る。バイアスが加重化されるのはそこに確認バイアスが働くからだと教授は言っている。確認がさらに確信を深め例外を認めない差別化が始まる。

 

 

 

ピグマリオン効果と言うのは人は一定の特徴を持つと信じるのは人はあたかもこの特徴を持っているかのように行動するからである。この名前はGeorge Bernardの芝居Pygmalionからきている。これから引用した「淑女と花の少女の違いはいかに彼女が行動したかではなくいかに彼女が扱われたかによる」私が常に花の少女なのはヒギンズ先生が常に私を花の少女として扱いそうなるように扱ってくれたからである」有名なマイフェアレディの映画で知られている。しかし私は同じテーマが映画より上手い例としてLa Femme Nikitaで冷血な殺人鬼が尊敬と愛情をもって扱われ彼女はもっと暖かな接しやすい人間になった。そして彼女は多くの人を殺した。

 

しかし依然としてこれは指摘すべきポイントを描いている。このポイントが多くの経験上の有効性を描いている。古典的な実験では(1010)RosenthalとJacksonによって行われ、彼らは子供たちの内何人かは本当に賢いが他の子供たちはそれより劣ると先生に告げた。彼らはIQテストで大きな飛躍や急騰は期待されていない。これが勿論策略だった。子供たちは無作為に選ばれたが、子供たちはIQが飛躍することを示すように期待され,事実何人かのIQは飛躍的に伸びたが、これは手品でもなんでもなかった。これは基本的には君は天才だと君の才能はクラスの中で花開かんとしていると告げられて、先生がもっと注目して焦点を当てたらIQは飛躍する。(1100)もし「それほど注目してない、君は家族のお荷物だ」と告げられたら彼のIQは伸びない。ピグマリオン効果はいかに我々の期待が問題であることを示している。これが我々に個人的な話として最後に期待の問題といかに人を評価するかの問題をもたらすが、同時にグループについての話でもある。

 

これが社会心理学の最後の講義としてグループを扱うことにしたい。多くの社会心理学は人間集団についてどう考えるかという問題に関心がある。そしてすでにモラルの講義の中で「我々」と「彼ら」を考えるように人間活動が我々背中を押すことについて話してきた。RobberのCaveの研究や我々には考えることが難しくはない「マイグループ」対「ユアグループ」を動機的な感情的な視点にたって行ったTajfelの最小集団の調査(1201)がある。この考え方は実際に結果として我々の感情生活や情緒生活やいかに資源を分配するかの選択につながる。ここで私が話したいのはいかに人間集団を考えるかその異なった側面である。少し話したいのはその定型的観念である。英語で「stereotype」はしばしば悪い意味で使われる。固定観念を持つことは君にとって良くないことだ。心理学者もこの言葉を広義に使う傾向がある。我々はカテゴリーや直観に関する情報を引用するときにこの言葉を使いがちで、我々は一定の分野の特徴を典型性や頻度でもって使うことがある。(1301)

 

結局カテゴリーの情報を取集する上では我々にとって必然的な遺物である。我々が新しいことをいつも見るとそれが学ぶことができないものだと、推測をし教育を受けた中での推測をしこの新しい事象に対処しないと我々は生き残ることができない。この事象を見ると人はそれを多分そこに座るだろうと認識して椅子として分類しようとする。このリンゴは多分食べられる、この犬は多分吠える尻尾があるそして私を食べる、英語はしゃべらない。これらがすべて椅子についてリンゴについての犬についての固定観念である。これはそれらが倫理的に真実であることを意味しない。あるものは菜食主義者の犬かもしれないしあるものは毒リンゴかもしれないしあるものは爆発する椅子かもしれない。しかしこれらは典型的には真実である。そして人が突然にその一般化する能力を剝ぎ取られたら途方に暮れるだろう。何を食べるべきかいかに交流すべきか分からなくなるだろう。(1403)その一種の情報を記録し一般化する能力は人生を生きる上で絶対的に必要とするものである。

 

けれどもそれが面白いのは我々はまた人間のタイプを分類することである。我々は我々自身の頭の中に男と女や思春期の子供や大人や、白人や黒人アジア人などについての固定観念を持っている。これはいくつかの理由で必ずしも悪いことではない。まず第一にこれらの固定観念はポジティブに働く。人は一定のグループに対してポジティブな固定観念を持っている。あるグループを異常なほどに創造的で知性が高いと信ずるかもしれない。人は(1455)それがYaleの学生であっても、フランスから来た人であっても、特定のカレッジ出身であっても自分のグループに特定の積極的なステレオタイプを持つかもしれない。人は何かの特定の積極的なステレオタイプを持つ。さらに重要なのは(1505)我々は人々のグループについてのステレオタイプを我々が椅子やリンゴや犬を分類するのと同じ方法で収集する。だからしばしばそれは正確なものである。弁護士になりそうな人に、ユダヤ人かヒスパニックか、背の高そうな人に日本人かスゥエーデン人かと聞いてそれに答える研究があった。彼らはその答えのガイドラインとしての固定観念を持っていて、答えは決して恣意的な無作為なものではなかった。

 

彼らの答えは概ね正しかった。そしてしばしば固定観念が働いて世界で合理的な正当な一般化が行われた。これは良いニュースだが同時に悪いニュースもある。一つの問題は答えが常に正しいわけではない。(1600)そしていくつかの要素が正しい答えになることを阻害している。一つは前に第一印象で話したような確認バイアスが働くことである。ホモは女々しいものだと信じると、ゲイの男は女々しいと思い込むとこれが将来までゲイの男性を見る目になる。ゲイの男は女々しいと思い込むとまたこの理論は正しい証拠があると考える。女々しくはない人を見ると、人はそれを無視するか彼は本当のゲイではないと考える。(1636)黒人は犯罪者だと信じると犯罪者の黒人を見るとその確信を上塗りし白人の犯罪者や犯罪者ではない黒人には目をそらす。科学者のように客観的にデータを観察しようとはしない。むしろ一定のバイアスがかかって偏向してしまう。

 

確信を支持する事例にだけ加重をかけるバイアスが働きそれを否定する事例は抹消してしまう。(1703)さらにもっと我々のデータも信頼できるわけではない。ここにその事例が働く理由がある。結局古典的音楽の世界では、女性の固定観念は男性より熟達度が低いとされ、男性よりパートが短く感情の起伏が激しいとされている。審判員に尋ねれば審判員は「これが物事の道理だ。私は何も偏向していない」と言う。これをテストするために目隠しオーデションをして彼らはスクリーンの裏側で彼らが男か女か、黒人か白人かアジア人か否かが分からないようにする。結局こうすると女性の方がさらに採用されこのAは正解Bは不正解という固定観念が排斥され消極的な不公平な人々が採用されるようになった。(1809)