心理学入門(6)  遺伝子関係人種集団とIQの違い、Flynn効果とIQ進化論、行動遺伝子学と非共有遺伝子の分析

 

(訳注)主にIQに関してアメリカの各人種集団での違いを説明している。白人、アジア系、アフリカ系、ユダヤ系の各人種間にはIQに大きな差があることが知られている。それが遺伝子の違いかそうではないのかを深堀すると、結論は遺伝子的相関関係は全くないと教授は断言している。そもそも個人の遺伝子の多様性と各遺伝子の重複を考えると、集団としての遺伝性は説明がつかない。一方で人種集団や人間集団の形成は遺伝性ではなく社会的構成として理解すべきであるとしている。ではなぜ集団内部でも集団間でもIQに差が出るのか。そこには教科書的には環境要素と非遺伝子要素が相関関係を持っているという。この人間集団が社会的構成であることを理解する必要がある。逆説的だがその集団社会が遺伝子のDNAを否定するような社会の方が高度の遺伝性を持っているという。その一つの証拠にFlynn効果というIQテスト点数の十年単位の比較をすると社会が進化するほどテストが難しくなり、前世代の人よりも賢明になっていることが立証された。行動遺伝子学ではまさにその進化を進化論的にとらえている。我が国には統一したIQテストやその統計がないので明確にはわからないが直観的には前世代よりも後世代の方が賢明になっていることは推測できる。結局共有環境と非共有環境の遺伝的相関関係が進化したからだということになる。

 

 

 

しかしもっと議論になる話の前に教科書でも取りあげられ議論されてきた別の問題を提起したい。このことは遺伝子的関係を持つグループの中で個別の違いがあることを意味している。つまりグループの違いは大きくいって遺伝子の因果関係を意味しているのか。アメリカの白人とアジア人とアフリカ系アメリカ人とドイツ北欧系(アシュケナージ)ユダヤ人の人種集団の中でIQの点数に明らかな違いがあるのを我々は知っている。他にも違いがあるが明らかに信頼できるIQの違いがある。ある程度はこれらのグループは社会的に作られてきた。それが意味するのはグループを構成したかどうかは全くその遺伝子によって決定されたわけではないことである。これはたまたま社会的意志で決定されただけである。例えばユダヤ人に数えられるかどうかは、すべてが遺伝子要素によるものではなく宗教改革派か正教会派かと言うような要素やユダヤ人の子供を受け入れたか非ユダヤ人の女性を受けいれたユダヤ人と言った要素が関係してきた。(4805)同じようにアフリカ系アメリカ人や白人やアジア系人種でもしばしば広範な遺伝子のカテゴリーが重複しているから完全に固有の遺伝子を構成しているわけではない

 

そしてまた同時に明白にある遺伝子の違いが人間集団の中にあることは事実で例えばある病気への脆弱性があるということができる。例えばドイツ北欧系ユダヤ人はテイ・サックス病にかかりやすいとされている。こういった遺伝性の脆弱性があるという事実はこれらのグループの現実性を意味している。今自問しなければならないのは、どの程度まで個人の高度の遺伝性を集団の遺伝性として説明できるかではないか。その答えは「全くない」と言える。人間集団の違いには遺伝性の説明はないと言う意味で言っているのではない。私が言わんとしているのは集団内の遺伝的違いという現象の問題は集団間の遺伝子的違いを意味しないことである。(4913)遺伝学者Richard Lewontinによる素晴らしい例がある。彼はそこで二つの麦畑、土地のプロットをイメージしてそこに二つの種をまいて一つには多くの肥料を入れ、一つには肥料を少なくした。それぞれのプロットの間ではどれだか種が育ったかは大きくは種の遺伝子によって決まった。そこには種による成長の高い遺伝性が認められた。しかし二つのグループの間には遺伝子的因果関係は全くない。その原因は肥料を多く使ったか否かである。ここに別の論理的道がある。(5000)

 

例えばここで君たちを半々にしてこちら側は私は嫌いでこちら側は私は好きだとする。二回の中間試験をした。こちら側は何も知らされていな。この中間試験は極めて難しい。皆はクラスの最後まで時間がかかった。この中間試験は「犬と象とどちらが大きいか」こちら側は私は好きだから皆成功して欲しい。君たちは二つのグループに分けられた。こちら側とあちら側である。それぞれのグループの中である人は他の人より良くできた。これに対する説明は実際に遺伝子が関係した。これはどれだけよく勉強したかという環境も関係したかもしれない。しかしこれに対するすべての理由は、それぞれのグループの中で幾人かは他の人より難しいテストが得意で何人かは他の人より優しいテストが得意だった。しかしどうこのグループの違いを説明するか。これは明らかに遺伝子は関係がない。グループの違いは君たちが君たちよりできが悪いのは私が出したテストに関係している。(5104)

 

つまり私のポイントはこの教室の半分の中での違い、グループの中での違いとこのグループとこのグループの間、グループ間の違いとには論理的違いがあるということである。我々が知るのはこれらは同じことではないが、何が問題の事実なのかをこれが示している。人間について我々は人間の違いと人間集団の間の違いの何を知っているか。これについて教科書は素晴らしい議論をしているが教科書から少なくとも違いはある程度は環境と非遺伝子の原因によっているという、二つの理由を挙げてみたい。一つはIQに見られる違いは遺伝形質的に定義されたグループより社会的に定義されたグループによりベターな対応関係があるように見える。これらはいかに人々が人を扱うかいかに人々が人のDNAに反して人を考えるかに関して定義されたグループに呼応しているように見える。結局はある程度遺伝子的説明がこれらの違いについて合理的ではないというのが真実である。(5204)

 

第二の要素はIQは遺伝子的違いが全くなくても本来差が出るということである。もっとも劇的な証拠はFlynn効果である。Flynn効果は一つの奇妙な発見である。Flynn効果は人々は段々に賢明になっていくという発見である。君たちは平均的に両親よりももっと賢明である。IQテストがその裏に隠れている。ここになぜそれが隠れているかがある。これが隠れているのはこれが常に100点が平均だからである。つまり家に帰って「パパ今日IQテストを受けてきた。点数は120点だった」と言ってみよう。すると君のパパは「素晴らしい息子よ、君の歳には私は122点だった」しかし二人が認識していないのは君たちのテストがもっと難しくなっていることである。人々がより賢くなるに従って(5304)テストはより難しくしている。これがFlynn効果によってグラフ化された。このスライドのグラフの線は一つはアメリカ、一つはオランダのものである。どっちがどっちか知らないが要点は誰かが1980年に1950年のテストを受けたら1980年の1950年のテストの平均点は120点だった。これが意味するのは今平均的な人を20年30年遡って受ければ当時の平均よりははるかによかったということである。人々が段々賢明になっていることを誰も知らないしこれが違いの理論である。事実は君たちの課題書の報告待ちだが。しかしこれが描いてくれたのは(5401)IQは遺伝形質の変化に何の対応もなく数十年単位で劇的に変化することである

 

これが可能性として残したのは、多分同じように我々が現存する人間集団に見た差異はFlynn効果が見た同じ環境的効果が表れるのではないかと言うことである。このことは驚くべき主張ではないがほとんどすべてのものに高い遺伝性があるのではないかと言うことである。これは驚くべき主張である。ほとんどすべてのものが遺伝形質ではなく非共有環境によって変化してゆく。行動遺伝子学の分析は共有環境の働きはほとんど無いか全く無いと言っている。これは個性や知性インテリジェンスになると養子縁組の子供は彼の兄弟や見ず知らずの他人よりも同じものは何もない。異なった道に置けばIQの同じ家族に育てられた遺伝質的には無関係な成人との相関関係はゼロである。(5504)例えばBloom家のすべてのIQは104だが子供を赤ん坊のころ養子に取った。我々は彼を20歳になるまで育てた。彼のIQはどうだったか。答えは、彼には無関係のBloom家のIQは何ら影響しないから、我々には全く分からなかった。