心理学入門(3)  不平等と類似性の矛盾、適正性と不適正性、しりもち効果と大衆人気

 

(訳注)引き続き魅力の社会心理学の続きを講義している。教授はこの魅力の誘因となる三大要件と四つの要素に分けて話をしている。近接性と類似性と親交性の三大要件である。今日はそのうちのSimilarity類似性とFamiliarity親交性について詳述している。この三大要件を述べる前提として他のすべてが平等ならばという条件を提示している。そこでなぜ類似性が平等に結びつくのかは実は世の中は全てが可変数が支配している世界で不平等が当たり前の世界の中で矛盾しているが類似性を求めることによって平等の代償を求めているのではないかという指摘である。親交性も同様の環境の中で人は恋に落ちると言っている。見ず知らずの赤の他人との間に魅力の誘因はめったには働かない。同じような環境条件の中で人は選好を示す。これはただ人間関係だけではなく言語でもひいきの野球チームでもすべてこの誘因に左右される。次に三大要件の次に少し複雑な四要素の話をしている。今日はcompetence適正性の話である。日本でも釣り合わぬは不縁のもとと言う諺があるように。魅力誘因の一つに相方の適正性がある。しかしこの適正性は微妙な力学を生み出す。不適正は当然排除されるが必ずしも完全な適正性が良いわけではない。一つは完全な適正性には人は脅威を感じる。そこで多くの誘因が働くのは適正性の高い人間の尻もちだと表現している。完全な人間でも失敗をする。Bill Clintonの例を出して彼のスキャンダルは彼の人間性の表れだというメディアの評価を話している。「人が好い」。難しい社会心理学である。

 

 

そばにいる人なら誰でもという話ではないが。それは他の三大要素の二つを通して見ればそこにもこのテーマの繰り返しが見られる。見ず知らずの他人と恋に落ちるなどはあり得ない。次を続けよう。Similarity類似性である。多分「羽毛を持つ鳥は一緒に群がる」と言う諺を聞いたことがあるだろう。まさにその通りで、恋愛も同じである。この種の研究で心理学者が測定したいかなる次元でも人々はより類似性の高いところにお互いに魅力を見出しがちである。これは背丈や年齢で明らかなことだがそれだけではなく重罪への態度でもレッドソックスとヤンキースに対する選好でもいえることである。(2102)これらすべての類似性の次元でもいえることである。すべての物事は平等でありより類似してよりお互いに魅力を感じる。逆のものには魅力を感じない

 

羽毛を持つ鳥は一緒に群がるがそうでないものには魅力を感じない。普通この点は誰かが講義場で手を挙げて「ボーイフレンドやガールフレンドと私が完全に反対側に立っている、これをどうして説明するか」と言った。普通はいつも彼らを見て「お元気で」という。もちろんすべての物事は平等ではない。そこにはほかの変数があるが、すべてが平等であるという類似性は軽蔑に値するものではない。類似性こそが魅力に値するものである。面白い話ではないか。我々は全てこうした互いに矛盾している共通の言い方をしているが経験的にそのいくつかは結局他よりそれを支持するより多くの証拠を持っている。(2201)反対側に魅力を感じるか。全くその証拠はない。類似性は軽蔑に値するか。全く証拠はない。「羽毛を持つ鳥は一緒に群がるか」いくつかの証拠はある。

 

最後にFamiliarity親交。我々は全てがすでに親しい環境にいる人と恋に落ちることが多い。うっとりとするような夕方に見知らぬ人を見る、そこには必要ならThe New Blueもある。「あるうっとりとする夕方見知らぬ人を混雑する部屋の向こうに見る」その時の音楽は、南太平洋だ。見知らぬ人を混雑した部屋越しに見る。これが一種の文化的神話である。それはもちろんありうるが、もっと一般的なのは誰かすでに知っている人が、何度も繰り返してあっていた人に突然魅力を感じる。その魅力が関係を作る。(2302)これが三大要素だ。類似性のある人、すでに親しい人、空間的にすぐそばにいる人、この人たちがすべてが平等である。そこに魅力を見出す。これらが主要な効果を持つ。これが実験室で様々な方法で簡単に観察し得るものである。ところで親交性という考えは人間に機能するだけではない。君たちが話せない言語言葉の中に見ることを示すことができる。そういった言葉を素早く言うことができるし、その言葉のいくつかを後で聞いたことがない新しい言葉と混ぜて繰り返す。

 

「私は知らない、君たちがこの言葉の意味を知らないことを知っている。この文字を読むことができないことを知っている。どちらの言葉が好きでどちらの言葉が嫌いか、どれほど好きか嫌いかを教えてほしい。」君たちが好きなものは前に見たもの、すでに親しみのあったものである。たとえそれを見たことを思い出せなくても(2410)、たとえその親交さがそんな瞬間的な何かを見たという記憶がない露出であっても生み出される。そこに親交効果を感じる。

 

さらにもっと面白い四つの要件を紹介しよう。これが面白いのは少し複雑で少し微妙なものだからだ。まず最初に実際に私が一番好きなものから始めよう。これは「competence適性」である。同じ環境にいる他の人を考えてみよう。適切な人を考えてみよう。一般的には不適切な人のことを考える。一般的に我々は自分に適性な人により魅力を感じる。しかしこれでは面白くない。(2501)だが結局それが現実の効果である。確かに我々は適性の高い人に不適正な人よりより魅力を感じる。しかしその一方で適正性が越えすぎた人あらゆる次元で適正性の高い人には一種の脅威を感じる。あまりいい感じはしない。彼らは比較して少し魅力が少なくなる。我々が好きなのは、実際に魅力を感じるのは適正性はあるが時には失敗もする人である。これはPratfallしくじり効果と呼んでいる。これが我々が好きな適正性の高い人がときに誤りを生む人である。失敗した経験に何か困惑するような人。これを大衆的人物の中に見出すことができる。

 

適正性が高いとみられる大衆的人物だが、時にしりもちをつき、誤りを犯し、時にはそのあとの方がもっと有名になる。(2603)Bill Clintonは大統領だった。彼の最後の時の人気は誰もが納得しないにもかかわらず、Bill Clintonが好きか嫌いかにかかわらず、Monica Lewinskyとの大きな過ちのあとでも、彼の人気は大きく損なわれることはなかった。メディアの多くの人は「あれは彼の人間性の表れだ」と評価していた。彼は、それが大きな過ちだったとしても、我々他の人間と同じような過ちをした。人はそれがどんなに小さなしりもちでもそれを見ている。時には大衆的人物はそんなしりもちのあとでも好まれるものである。古典的実験がある。古典的しりもち実験は素晴らしくこれを表している。これは芸術作品である。少しだけその話をしよう。この実験では実験室に連れていかれてクイズショーに出た大学の代表者のインタビューの録音テープを聞かされる。(2701)クイズショーの名前はカレッジボウルで今はないと思うが私がだ在学生のころにあったものである

 

カレッジボウルに出るかもしれないエール大の出場者のインタビューを聞かされる。カレッジボウルの出場者として選ぶべき人を決めなければならない。ここでそのインタビューを聞こう。面白いのはこれら二つのタイプの人は、一人はほとんど完全な人間と良くも悪くもない人間である。ほとんど完全な人は質問に正解が92%に答えた。キャンパスの年報の編集者であり代表チームのトラックをかけていた優等生協会メンバーとして期待された。これはほとんど完全な人間だった。一方で普通の人間の答えは30%だけが質問に正解した。彼は平均的グレードの人間で年報の制作の仕事を校閲として携わっていた。彼はトラックチームに出ようとしたができなかった。彼らは多くの要素を継続的に記録しても平均的回答者であり他の場合でもほとんど完全な人間には勝てなかった。

 

さてこの二人のどちらのテープを聞くことに魅力を感じただろうか。どちらの人間がクイズショーにふさわしいかと質問すれば人はより適正性の高い人と答える。しかしまた「どういう魅力をこの人間に感じるか」と質問すると、彼らは録音テープだけを聞いて、どれだけその人物が魅力的か、その結果は極めて明らかで、適正性の高い人間が普通の人間より魅力的だという点数がついた。これが物語の最後だけれど、一種悩ましいのはこれが物語の最後ではないことである。(2900)何かというと、この実験でテープを聞いた参加者の半分が失敗条件を付けた。何が失敗条件だったかというとテープは回り続けてそこで聞こえたのは皿のガタガタという音で、そこである人が「ひどいじゃないか」と叫んで、コーヒーが全部新しいスーツにこぼれてしまったと言った。これが大失敗、しりもちだった。さてそこでどちらが魅力的かと尋ねたら、適正性の高い人の魅力の点数が急に高くなった。尻もちをついた適正性の高い人間が好まれた。不幸にも普通の人間が失敗してもより普通の人間と考えられた。これはこの実験の悲しい皮肉だ。効果はダブルに働き、ふつうの人間はその評価がより低くなった。(3009)