『笑顔で愉しくすごせたらいいよね♪』
このフレーズは私達夫婦がよく、会話に出す言葉です。
この言葉の意味合いは
「みゆちゃんが病気でも笑っていよう!」とか、
「悲しいときも前を向こう。」とか
「何でも言い合える関係」とかそういうものではありません。
お互いが『相手が笑顔で居れる為にはどうすればいい??』
という、とってもシンプルな想いからくるもの。
やはり一緒に生活をしていたり
みゆちゃんの医療ケアが増えてきた時には、、
私が期待するようやケアを夫がしてくれなかったり
言葉の行き違いでイライラとすることもありました。
でも、そこからケンカ至ることは
まずありません。
ケンカをする代わりに、ひたすら話し合いをします。
夫と結婚した当初、
大切なのは
価値観や好き嫌いが同じであることだと
思い込んでいましたが
今は、
夫と私は本質が全く違うこと、
本質が違えば価値観も違うこと、
価値観はちがって当たり前で正しさ
なんてない。
この事を知った上での話し合いが
出来ることは私達夫婦にとって
大きな大きな救いとなっています。
夫はみゆちゃんの医療ケアが
とても苦手。。
ここ最近までタンの吸引は怖くて
出来なかったので私がすべてを
引き受けていました。
こうなると、私の精神的なプレッシャー
や身体の疲労も増えてくるので
正直イライラします。
でも、夫を責める気にはなりません。
私が知らないところで夫は
私達をたくさんたくさん助けて
くれていて、
もちろん想いも寄せ続けてくれている。
行為をできるかどうかなど、
関係がないことだということも
知っていますから。
今は夫もかなり慣れてきて私も
少しの間なら、みゆちゃんを任せて
外出をすることも出来るのでたまに
お散歩にもいけるようになりました(^-^)
そして、医療ケアが出来るようになった夫はとても嬉しそうです♪

この前にふとした会話のなかで
私が参加していた
「本質的な叡智のバトン」の話しになって。
あそこに行ってなかったら
もっと家の雰囲気が悪くなっていただろうね~という会話になりました。
そして夫が…
「俺はそこに参加していないけれど、かなり救われているとおもうよ。」
と言ってくれました。
みゆちゃんの病気が発覚した直後に
参加した、本質的な叡智のバトン。
1度参加した数時間で私の問題は消えてなくなりました。
それは大げさに聞こえるかもしれませんがみゆちゃんの人生を受け入れるということを教えてもらったのではなく…
何かの考え方を教えてもらったのでもなく…
「受け入れる」というような言葉など必要がないほどに多くの方の人生にはどのようなものが流れているのか
本質が人生を創っているとはどういうことなのか具体的に人生のことを知ったからに他ありません。
自分に向き合ったり、考え方を変えたのでもないのに
全く否定がない状態になれました。
そして、夫のようにその場に参加はしていないけれど、
私の周りに穏やかな幸せが広がっています。
それは家族であったり
我が家に集うハンディちゃんのママだったり。
私は夫にも、家族にも、もちろん同じような境遇にあるママ友にも、
バトンの場で語られる事を無理に伝えたりはしません。
たぶんほとんど話していないと思います。
私では伝えられないことも事実ですし
必要な人はきっと… 私のように人生自体がそれを知るような流れになるのでしょうから。
シンプルであるからこそ
伝え方によってはいとも簡単に「正しい知識」のようになってしまいます。
私が、こうして幸せを感じていればきっと…
今の夫との関係のように不思議と幸せは広がっていきますから。
それが
《本質的な叡智のバトン》という場の不思議なところだということを
私自身がたくさん見てきましたから。
私のような社会的にはシビアな状況におかれている人が
こうして夫婦の事を語ると、大変なことを乗り越えて今があると思われるかもしれません。
事実としてそう言った一面もほんの少しはあります。
でも、私達は大変な状況(娘に障害がある)だから
こうして相手をシンプルに思えるようになった訳ではなく
どのような状態やどのような日常でも
「相手のことを想う」
「相手の人生の幸せを願う」
それがどういうことかを知ったから。

大あくびのみゆちゃん。
私達にとって大切なのは
共通の考え方や共通の趣味や同じ価値観を持つことではありません。
苦しみを分かち合うことでもありません。
相手の苦しみなどわかるはずもありません。
『相手を想う』ただそれだけしか
人生にやれることなんてない…ということを知っているのですから。
夫はきっと、
『想い』などという言葉なんて意識していません。
でも、想ってくれます。
きっと、ほとんどの方も『相手の想い』を感じたいから
「同じように考えてよ!」とトラブルになるんだと思います。
そんなとき、私のほうが相手を想えば、
相手も想うことができる。
そんなことなんだろうな…と思います。
言葉にはできませんが。
その、言葉にできないものを感じさせてくれるのが
いつも紹介している『そらさん』と
本質的な叡智のバトンで深めている方々なのです。
私は、本質的な叡智のバトンにはもう何年も参加していません。
でも、そこで本質を知り合った方々は
今でも、私のことみゆちゃんのことを想い続けてくれていることを感じます。
今回の浜松でのバトンの場に参加するために沖縄から来る方も
在宅介護で動けない私に会いに自宅まできてくださいます。
この方達との出逢いによって我が家から争いが無くなりました。
願わくば(家庭)という小さな社会から争いが無くなって欲しいと
常々、私は思っています。
小さな社会での争いが無くなったなら…
もしかしたら…もしかしたら…
大きな社会での争いも…無くなるかもしれないから。
全国を巡り続け、シンプルな意識をバトンし続けるそらさん。
私には、バトンに参加をしたり何の直接的な応援もできませんが
いつもいつも想っています。
みんなが想ってくれるように。

もうすぐ浜松での叡智のバトンが開催されます。
忙しい日々から少し距離を置いて。。
本質的な人生と向き合うひと時は
あなたを問題から解き放ってくれるかもしれません。
そして、穏やかな本質的な人生を感じさせてくれるかもしれません。
そんな場を感じていただけることを願っています。
こんば しおこ。
*本質的な叡智のバトン(浜松)*
https://www.facebook.com/events/2092579927452873/?ti=cl
そら 山本博さんのFacebookページ
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