「子どもを持ちたいと思うのは、人は何らかの役割があると安心するから」

というのをsnsで誰かが言っていた



なるほど…

確かに私は常に何かの役割を強く欲してる





親になりたい
仕事で何かを成し遂げたい

「ここは私が全部やるから任せて!」って思える何かが欲しい

誰でもやれることではなく、信用して任せてもらえるようなものがいい







これって、子どもの頃に家庭の中で得た感覚だ

 





母から言われて頑張ったこと、

言いつけをしっかり守ったこと、

頼られて自分が何とかしなきゃと思ったこと…





どれもこれも、無理やり頑張る、とにかく真面目にやるっていう方向性だなあ


そうしないと私の居場所は無い、、って感覚からきてるみたい






頼られて辛い

という感覚は当時すでにあった


なんだか毎日むしゃくしゃしてた

本当は自分ではどうにもならない事を、無理くり片付けさせられているような

どんどん降ってくる問題を、片っ端から全力でさばいていくような


そんな毎日






あ、これ仕事でも全く同じ状態引き起こしてるわ…







最近やっと気づいた


私も頼ってみたい

そしてそれを受け入れて欲しい


なのに長年の癖で、いまだに頑張る役割を求めてしまうみたい…





違う役割を与えてみる?

周りを笑顔にする役割とか

いるだけで空気が良くなる役割…とか?


私には全く無い要素だから憧れるけど、

役割になってしまうとまたそれも辛いんだろうか…?


生きてるだけでいいんだよ、とはなかなか思えない


何かしてないとソワソワする







そう言えば母もそうだ

というか私の何倍も酷い

いつも落ち着きがなく、感情的で多弁



もうちょっと落ち着くように言ったら、どうしても出来ないとよく言っていた




小学校のころピアノを習っていました。



通学するようになってから、毎日前を通るピアノ教室からの音を聴いているのが楽しく、自分から習いたいと頼み続けました。貧しかったのでなかなかお許しがでませんでしたが、漸く許しをもらえました。


ピアノは直ぐに買えなかったので親戚から貰ったオルガンで毎日練習していました。

弾いている時間は夢中でどんどん教材が進んでいき、これ以上はオルガンでは練習にならないと先生からも再三言われ、ようやくピアノを買ってもらえた時はとても嬉しかったです。

(お父さんありがとう)


ただ、そんな中でも家庭内でのストレスは日々蓄積されていました。

母のヒステリックは変わらず、離婚話を進めるようになっていきます。

私と母も衝突することがありましたが、この頃はまだ慕う気持ちが強く、離婚は嫌だという思いが強かったです。




当時は認識していませんでしたが、色んなストレスをピアノにぶつけるように毎日弾いていました。

(友達にも弾き方が重々しいと言われたことあり笑)

習い事でも勉強でも親がアドバイスしたり見守ったりする事は無いのでいつも我流で弾く。

練習というよりただのストレス発散でしたので、ある程度弾けるようにはなるけど、それ以上上達しません。



母は才能があればどんなやり方でも成功すると強く思っています。

テレビなどで成功した人のドキュメンタリーなどを見て、楽器を買ってもらえなくてもピアニストになった昔の人の話をしてきます。

私には才能が無いから駄目なんだと思うようになりました。





でも今思うと、あの頃の私にはピアノがあるだけでも救いだったんだろう思います。





最近になって、また弾きたいな〜と思っています。

今度は自分自身としっかり向き合いながら、丁寧に弾きたいです。








高校生ぐらいの時に母から言われたことですが、貧しかったのにピアノを習わせた理由が、私は普段全く願い事をしないのに、その時は仕切りに頼んできたので、これは本気なんだろうと思ったそうです。



その時驚いたことは、私は全くおねだりしないタイプの子だったんだ…という部分です。



私は常に母に自分をぶつけているイメージを抱いていました。

(高校生の反抗期ではなく幼い頃から)

ぶつけてもぶつけても跳ね返される、そんなやり取りしか思い出になく、私はとても我が儘な人間なんだと無意識に感じていたので驚きました。



母も私は言う事を聞く事子と認識していた。

にも関わらず更に愚痴や文句を言い続けた。

今思うと典型的なイジメの原理のよう。

言いやすい人に言う。頼みやすい人にやってもらう。



これは今の自身の他人との関わり方と同じ。

Noと言えないわけではない(というかかなり言う)のに、最後は何故か相手の言いなりになっている。





この感覚は小1で既に既に始まっていたんでしょうか。







私は40になるつい最近まで、どんな状況でも自分は適応できる、しなければと強く思っていました。

出来ない人が悪いと思うほどにまで…






ふと、今いる世界が、自分が居てはいけない場所のように感じる


頑張って普通のふりをしてる

幸せな家庭に育って、普通の感覚を持った人間です、って顔していなきゃいけないと思ってる

本当の居場所はここじゃない気がすごくする

周りの人に全然興味が持てない


私は冷たい人間なんだよなと…




でも、

恵まれない環境の人とか、同じ様な境遇の人がもし近くにいたら、自分の出来ること全てをやって救ってあげたいと強く思ったりする

ボランティアとかにも関心がある


心に闇を抱えた人間は、同じ様に困っている人を救いたがるらしい


要は自分が救われたい気持ちを投影しているのだろうと思い、自己満足なんてよく無いから、そんな事はしない方がいいだろうと思って蓋をしてきた


でも最近また、やっぱりやってみたいという気持ちが出てくる


私の本当の居場所はそういう所にあるんじゃないかと考えてしまう