極私的DVD見聞録 -47ページ目

試験

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英語(さぼり)
英語二(寝てる
人格心理学(全くわからない)

帰りに綺麗な下町の明かりを撮ってしまいました!

明日も朝からテスト三昧そして、照明仕込み

芝居情報 その2

新小岩劇場

今回は照明だぜ。よろしく。

錦鯉 タッタ」公演情報

『POTS2・ぽっつー・pile on the stones 2』

(注・11月に上演された『POTS』とは、まったく別の「新作」です!!)


2007/2/10(土)11(日)、12(月・祝)

1730開場、1800開演

新小岩 劇場江戸川区 中央1-1-5、2階)

総武線新小岩 駅南口からバス江戸川区 役所前下車)

前売 2000円、当日2500円

予約 

場所などわからぬときの問い合わせ 08065319514


出演・岩崎健太、紺野 寿美礼、藤島 かずみ、宮崎  智、山田  零

構成演出・山田  零

舞台監督小川隆

照明・今野 洋平

音響江戸川 太郎

制作 ・岩崎悠里

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以下、チラシに掲載されている文章です。

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★★★  11/06 《女中たち》のクレールソランジュ の場面に《偶然音楽 》のジム とポッツィが借金 のカタに石積みさせられる場面を強引に接合。宇都宮 特産の大谷石ブロック を本当に積み上げながら、歌い踊り叫びつつすすむ演劇 。主題は何となくわかるが、まだ迫ってこない。アングラ 系にしてはピチピチの女子たちがりりしくがむばっているのは特記事項。

★★★★ 11/13 再見。今度は鍵がわかる。《互いの世界を批評 しあう二つの作品の登場人物 たち》とでもいうべき作品。唐劇等で使われる手法と違うのは、元の作品の設定自体は変えていない点か。批評 的な読みとポイント の選択が成功していると思う。途中まで積まれた石のブロック の上に立っての役者たちそれぞれのソロナンセンス な様でいて何かを感じさせる。紺野 寿美礼さんの叫ぶ口の中がよいです。大注目作。

、、、以上、「えんげきのぺーじ」の「一刀両断 、一行レビュー 」より、

   「角田@仙台 」さんのレビュー


 さて、まず強調しておきたいのは

「2」と名付けられているけれど「新作である」こと!!


 手前味噌 で恥ずかしいのだけれど、11月の『POTS』が終わったとき、「かなり、よい芝居である」と実感。各方面からも類する言葉 をいただいた。なにより私自身が見ていてグッときた。だから「いわゆるそのままに近い再演」も当時はまじめに考えていた。もちろん、再演により奥行きがさらに深くなる、という展望のもとに。ところが、12月に入ったくらいから、なにかモゾモゾとしはじめた。もちろん、11月の上演に対する評価が変わったわけではなくて。ただ、、、なんかこう、もっとワイルド に、というか、もっと乱暴に、というか、もっとチープに、というか、もっとバカバカ しく、というか、、、そういう気分になった。


 それは「感動 」とか、「グッとくる」とか、そういうものと関係しているんだと思う。そうじゃないだろっ!と思うことがそのころたびたびあったのかもしれない。人は日常的には意味物語 )として物事(世界)を受け取ることが多いような気がするけれど、苦しいときなんかの最後の局面では意味物語 )ではなくて、もっとちがうなにかに(たとえば「顔」に)心をふるわせるように(元気づけられるように)思う。そして、そういう顔は深刻な、というよりは、チープでカラッとしているのではないか、と思う。自分でいうと笑っちゃうけれど、われわれは非常に生真面目で、素人 主義を標榜しているところがあるから、このまんま続けると「よくできすぎている芝居」になっちゃ うかも、とも判断した。ただ、チープでカラッとしているものはかんたんにはできない。それこそたいへん。でも、そちらへ行けるかな、と。なにせ、2006 年4月から稽古 をしてるんだから。そして、11月の上演では活躍できなかったものものがまだまだ埋もれている。稽古 は嘘はつかない、これは私の持論。


 公演場所は、新小岩 駅から徒歩なら25分、バス 5分歩き4分の「新小岩 劇場 」。ここ、決してアクセス いいところだとはいえない。文化的になんたらかんたらという地域でもない。(地域の人、ごめんなさい。でも駅前には立ち飲み屋 はあるし、とてもいい感じ。)加えて、工場の2階だから、おしゃれなスペースでもないし、設備もよくはない。ただ、集中した稽古 にもとづいた上演は期待できる。そんなことを前提に、11月の芝居は「こもりがち」だったけど(そして、それがよかったんだけど)、2月はもっと「いい加減」にやろうと思う。もちろん寒い 。防寒具は必須。覚悟してください。道路 の近いには「小松川 境川親水公園 」もある。そこで風に吹かれるのも悪くない。


 誰に向かってやってるんだろう、と改めて思う。ある意味 、芝居(演劇 )はとても高級な娯楽(芸術 )だ。きれいな 劇場 に行くと「(ここって、俺って)なんなんだろう」と思うこともしばしば。もちろん、それを否定しているわけではない。ただ、芝居(演劇 )にはいろんなかたちがある。芝居(演劇 )は生きる ことに役に立つ(必要)ものであってほしい。芝居(演劇 )は人間 (民衆)が生きる 元気をもらえるものであるべきだ。おもしろい 芝居(演劇 )とは、つまりそういうことなんだと思う。

 人間 (民衆)のひとりとして、そういう芝居(演劇 )がつくりたい。


 元ネタ として、ジャン・ジュネ 『女中たち』、ポール・オースター偶然音楽 』を使う。前者 は、革命 前のフランス 貴族の家で下働きをするメイド が奥様を殺そうとしてかなわぬ話。後者 は、生きる 希望 をなくした男2人が賭けでひと儲けしようとして失敗し、代償として監禁 労働 をさせられるというアメリカ の話。その話を伝えよう、というのではない。それを使って「顔」を見せる。そして、11月に引き続き、栃木県大谷 から運び込んだ「石」を積む。でも11月とは、吐かれる言葉 、役者たちの動き、石の積み方、劇場 使い、なにからなにまで、ちがうものになると思う。11月の『POTS』の「かなり、よい芝居である」部分がエキス として役者の身体に埋め込まれたま ま、あれとは別な、心がふるえるチープなものを提出できたら、と思う。


 11月を見逃した人も、見た人も、ぜひぜひ足をお運びください。

 繰り返しますが、かなり寒い 、はずです。覚悟してください。

 そして、終演後、飲みましょう。生きる 元気をわかちあいましょう。

 お待ちしております。

錦鯉タッタ公演 稽古中

次回、新小岩劇場での公演のOPを担当している。


詳しくくはこちら。演出の山田氏ブログ。


http://d.hatena.ne.jp/zeroyama/20061101

厚労省の悪行

「てめぇのケツはてめぇーで拭け!」


来年度には団塊世代が急激に退職をむかえるため過去最高の失業率が見込まれているらしい。


ケツは排泄物をだすために必要不可決な身体の一部だ。俺の周りの友達でもクソをしないという超人的身体機能を持ち合わせて

いる野郎はまずいない。アイドルだってウンコはする。


汚物を吐き出した際にはそこそこのケアが必要である。それがいやで、面倒で汚物をだしたくなければ、食わなければよい話であ

る。しかし、食わなくては生きていけないシステムになっている。


1965年東京オリンピック、高度成長期、この国はあまりにも食いすぎた。炭水化物、たんぱく質、脂肪、水分、塩分、糖分、ビタミ

ンなどかろうじて栄養バランスが摂れていたことは幸いであるが、それにしても食い過ぎだ。2006年に溜まりに溜まった排泄物

が処理できないほどの異臭を放っている。とてつもない刺激臭が鼻にこびり付いてなかなか削ぎおとせない。


食べすぎには気をつけよう。何事もほどほどに。もしかして食べすぎてしまったとしても脂肪にあたるな。脂肪は悪くない。食べす

ぎてしまった己の心の弱さの責任である。脂肪を取るのは簡単ではない。


ケツをきれに拭くのも脂肪を除去するのも自分の責任である。全て自己責任である。他人に迷惑をかけないように異物処理の責

任を果たすのが大人である。


早く大人も大人になってほしいと思う。


誰がてめぇらのケツなんか拭くか!!

めぇのケツはテメェで拭けよ

韓流

かなり遅ればせながら韓流ブームがきている。

最近見る映画はもっぱら韓国映画でハングル語も気になってしょうがない。なぜか在日の人によく会う。そして、当ゲストハウスに韓ギャルがくさるほどいるので、そうならざるえない環境であるというのも一つの一因でもある。

しかしながら、韓ギャルの飲みっぷりには圧巻です。肝臓機能が我々とちがうのだろうか?体臭とかはそんなには感じないが、「態臭」は攻撃的かつ卑猥で品がない。これは悪口じゃなくて、いい意味でね。

文化の言語の違いはあるけども隣国の女性観がこんなに違う国は日本韓国くらいじゃねーかな?というのもここの日本女性達と比べてみてわかってきたことだが・・・・・・・・・。韓ギャルはどこに行くにも連れション。いわば、集団行動である。世界各国どこに行ってもコリアンタウンがあるように集団性で他国にふんずりかえり居座る(これもいい意味でね・・・・)。集団が「恥」には決してならないのが不思議だ。

僕には、国際的とは、個人とか自立とかのイメージがある。逆は群れる、馴れ合う、集う。・・・・・・・なにか幼稚で昔の日本人像というか、なんでも「みんなで」なにかというと「みんな」が使われ、個人の発想を潰し、画一化されてしまうイメージがあり、そこからはみ出た物は、はじかれてしまうような小学生のお友達ごっこに見える。

しかし韓ギャルたちは集団性の中においても個を主張し、なんでもズバズバ言ってくる。表情や態度にも遠慮なくでる。ちょっとした接触でも僕の知る基準より強い。

そして、おもしろいのが日本の男が好きらしい。おいおい。理由はやさしいからと言ってた。おいおい。なんだかメディア、世の中が言ってることと違うぞ?日本男子は弱すぎてダメなんじゃねーの?

これだから生の人間はおもしろい。

最近はこのような、世の中の声と逆行した生の「肉体的な情報」があり、そのことが一番僕の中でリアルであり、発見する興奮がある。なにもメディアが全て正しいとは限らず、統計や数字でゴリ押しされてもそれが正論だとは思わない。テレビやインターネットの情報というのは2次的な情報であり、肉体性を帯びない。体で感じて、頭で思考してはじめて、自分の情報になる。こういうことが大事なんだなーと、最近思います。