韓流
かなり遅ればせながら韓流ブームがきている。
最近見る映画はもっぱら韓国映画でハングル語も気になってしょうがない。なぜか在日の人によく会う。そして、当ゲストハウスに韓ギャルがくさるほどいるので、そうならざるえない環境であるというのも一つの一因でもある。
しかしながら、韓ギャルの飲みっぷりには圧巻です。肝臓機能が我々とちがうのだろうか?体臭とかはそんなには感じないが、「態臭」は攻撃的かつ卑猥で品がない。これは悪口じゃなくて、いい意味でね。
文化の言語の違いはあるけども隣国の女性観がこんなに違う国は日本韓国くらいじゃねーかな?というのもここの日本女性達と比べてみてわかってきたことだが・・・・・・・・・。韓ギャルはどこに行くにも連れション。いわば、集団行動である。世界各国どこに行ってもコリアンタウンがあるように集団性で他国にふんずりかえり居座る(これもいい意味でね・・・・)。集団が「恥」には決してならないのが不思議だ。
僕には、国際的とは、個人とか自立とかのイメージがある。逆は群れる、馴れ合う、集う。・・・・・・・なにか幼稚で昔の日本人像というか、なんでも「みんなで」なにかというと「みんな」が使われ、個人の発想を潰し、画一化されてしまうイメージがあり、そこからはみ出た物は、はじかれてしまうような小学生のお友達ごっこに見える。
しかし韓ギャルたちは集団性の中においても個を主張し、なんでもズバズバ言ってくる。表情や態度にも遠慮なくでる。ちょっとした接触でも僕の知る基準より強い。
そして、おもしろいのが日本の男が好きらしい。おいおい。理由はやさしいからと言ってた。おいおい。なんだかメディア、世の中が言ってることと違うぞ?日本男子は弱すぎてダメなんじゃねーの?
これだから生の人間はおもしろい。
最近はこのような、世の中の声と逆行した生の「肉体的な情報」があり、そのことが一番僕の中でリアルであり、発見する興奮がある。なにもメディアが全て正しいとは限らず、統計や数字でゴリ押しされてもそれが正論だとは思わない。テレビやインターネットの情報というのは2次的な情報であり、肉体性を帯びない。体で感じて、頭で思考してはじめて、自分の情報になる。こういうことが大事なんだなーと、最近思います。