母はしっかりと自分で家事をやったり仕事をやっている

一人で生きていけるタイプ

精神的にもかなり強い

愚痴や嫌味は言うけれど、悲しい困ったと言ったことは言わない

思い通りに行かない時、私がやるまではいいけど、他者を悪く言う

やってんだからと、たしかに間違ったことはしてない

本人もそう自覚している

ただ、コミュニケーションとしては、難しさを感じる

人には苦手があるとか、この人はこれが苦手とかこんな気持ちなのでは?だから、やらないじゃなくてできない、わからないなのでは?といっても、そうだと言いながら自分の表現の仕方を一切変えない

癖だから治らないではない

話してる最中から、子供のままなんだと私や兄のことをいうが、子供のようには接しない

憶測だけど、私の子供の接し方を見てると、私たちが実際に子供だったとしても、ご飯を食べないとおかしいとか、テレビ消さないで、見るな食べろと連呼する

表現方法とか、子供は未熟と言うことがわからない人なんだとおもう

自分ができることは人ができる、自分がわかることは人もわかると言った考え方

話していると、本人が思う母と私が感じてきた母、そして、共通の知り合いが抱いていそうな母(これは腹を割って話す人はいないから真実はわからないけど、母こう人だからと他者が理解してくれてそうだと思う言動はあった)

悪気はないし、自分が見えてる世界、感じる思いは、そう体験しているのだからいいけど、人それぞれということを口で言っていても理解してないし、自分を知らない

だから言えば言うほど反感をかう

人の話が耳に入らない

私ってそうなのかしらとか、悪気なくしてやったことに相手はこう思うんだという気づきは一切ない

周りとか自分の状況把握が苦手なんだと思う


父は、自分の子供の立場の時、何となく家族に違和感を感じていた

ただ、何か決定的なものがあったわけねはない

そして、大学入学時、提出するため戸籍を取ったら母親が義母だった

義母だろうが祖母も祖父も何も悪いことはしてない

ただ、父の気持ちとして、妹と自分を比較した時、何があるわけではないのにそう感じたと言うことは、何もないからこそぶつけられない思いを一人抱えてきたのだろうと思う

それが、悲しみなのか怒りなのか何かはわからない

でも、何かは抱えていた

だからなのか

父は何があっても離婚はしないと決めている

たとえ何があっても耐える

それは本人も言ってる

父の親との関係性や家庭というものがそれを語っている

でも、父は自分が料理ができるからと、たくさん美味しいものや調べたり手の込んだことをたくさんしてくれた

もちろん、家族に対して愛情表現が一つだと、時にうまく伝わないこともある

それでも、私は父の料理が好きだったし、旅行でも子供からすれば遊園地とかではないから高原とか言ってもって思った無礼な時もあったけど、父は下調べしてくれていた

その気持ちが嬉しかった

父は人のことを考えてくれていた

でも、父には子供がどこへ遊びにいったら楽しいか、どんな話をしたら楽しいか、そんな子供に対する知識とか、自分が子供の時の経験値がすくなかったかもしれない

それと、人が落ち込んでるとかの時、ご飯を作ってはくれるけど、言葉をかけてくれるとかはなかった

コミュニケーションは苦手なのだろう


夫もずっと一人でいた人だ

年に1回会えような友達はいるけど、基本一人

本人も自覚してるけど人といるのが大変とか疲れるとかだから仕事も一人でできること

周りの人が何してても気にするとかない

人が困ってる泣いてるはふーんでしかないし、楽しんでいても何してるのかな?と自分からに絡みに行くことはない

もちろんそんなだから、共存共有とか、同じ場所にいる、同じものを取り扱う、一緒に何かを築くとかは難しい

自分がしたいことを自分が思うようにと考えてしまうから


娘は自分を見てほしいから、弟が汚したとか泣いてるから私がスピード感持って対応したいことでも自分の話をしてみてみてと言う

準備があるからほんの数秒の間でもできないし、私が疲れた悲しい困ってるなんて伝えても自分でしかない

彼女は強気に見られるしものをはっきり言えると思われているが、臆病で自己肯定低くて、不安が多い

人の顔色をすごく伺うから、自分の思いがあっても口に出せないこともよくある

そんな不安とか怖いとかの時は自分を偽り感情とは裏腹の言動をする

そして気持ちやコミュニケーションだけでなく、それを招くだけの不器用さもある

人と楽しく遊びたいと思うけど、模範の苦手さや感覚とか空気を読み取る力の鈍さから人についてくのが難しい

だから人と仲良くなりたい願望も強くなり相手とのパーソナルスペースが近い

不器用さがあると自分一人で時間を過ごすこともできない 1歳でもえんぴつなり車なりで何となく自己流で遊んだりするが、やりたいがんぼうをひといちばいつよいが、物を持ったからと言ってどうしたらいいかわからない

だから誰かがいないといけなくて、結局人がやってることに介入して自論を並べて、雨が降るや怪我するとかこちらの経験値で話しても、傘は自分で持つとか言ってることは筋が通っている

ただ、実行に移せないし、実行に移すために、こちらが大変な思いをしようとも、伝えても気にならない


人それぞれで思い通りになんかいかない


それにしても、自分の考えが凝り固まってる人、他者とやり取りをするのが苦手な人、そして、苦手だと悩んだり試行錯誤せず、嫌だからやりませんと逃げようとするひと、苦手なことに気づかず自分のことをズバズバいうひとばかり


どれだけの人が他者とやり取りをする、2時間ほどただカフェで話すだけではない、マニュアル通りに共同作業をするわけではない

家族というのはとても難しい関係性や絆とか共存が難しいものではあるが

私の周りの人たちは大多数や標準といったものがもしわかるんだとしたら、どこの位置にいふんだろう


自分を見つめ直すとか、模索するとか

たとえ下手でもわからなくてもたとえ自我が強くても、それができたらなんか違う気がする


兄はとても頭がいい

教科書のことはよくわかる

だけど、家事やコミュニケーションはどちらも苦手


誰も他者のいいところとか、他者の甘えとか、他者の苦手をしって、こういう人なんだという捉え方をする人が誰一人としていない


みんなと話をすると、みんな自分の物差しで人を見るし、家族に対して家族の人が他者に対してネガティブなことをしてるとの見方をする

家族に頑張ったわね、大変だったわね、辛かったねではなく、相手がかわいそうと言った感じ


そんな家族が人と関わるとか、家族とうまく関係を築けなさそうだからと気を回したりフォローをする


実家にいても自分の家にいても誰かしらに合わせて、誰かの理解者になりフォローや私の意図に反してるから我慢とかしている


いつも誰か誰か


私はこんなに人のためにひとをみて、理解して、合わせているのに、誰一人としてそれに気づかないどころか、家族が家族のことを悪くいうから間を取り持っても、目の前の人に同調するわけではないからみんなから非難される

例えば母の前では父を擁護し、父の前では彼を擁護し、彼の前では兄を擁護し、兄の前では母を擁護しと、私はみんなのいいところも見ていても勘違いされる

みんながわたしはこう思う、こうされたの塊だかは仲良くなることはない


まぁ、もしかしたら本人たちははたからみたら喧嘩してるとか強く言われて可哀想と顔もきらこっちは気を回してるけど、当の本人たちは慣れっこなのかもしれない


ひとのため、みんなが仲良くなれるように、本人に気づいてほしい、みんながそれぞれ変わってほしい


そう思ってもうまくいかない


わたしが間を取り持たなければ、いわゆるブラックジョークのつもりなのか、悲しいとか腹を立たせるが発生する

わたしに言われたものではない時もあるけど、聞こえる話が気持ち良くない

もちろんわたしに当てられたものなら気分を害するのは尚更

ちょっと悲しくなるかもねなんて言えば、逆ギレされわたしに矢が向く


なんでみんなが人を思いやったり、他人に興味抱いたり同じ物事が起きても、できないではなくて、楽しんでるなとか、そういう考え方があるんだ、今は気分じゃないのかなとか人に合わせられないのかな?

用意しました、はい、どうぞ、今やってくださいとか、どっかの訓練校でもないんだし、子供に望むことでもないというか仕向ける努力もしないし、子供も子供で空気読まなさすぎだし

みんな自由奔放

自分の考え自分のタイミング、人を良く見ない人ばかり


何だか一緒にいて疲れるし、楽しくない


関わって人が気持ちいい表現とか、この人はこんなことを考えてる、こんなことが嫌い見たいと、周りを理解しましょう、人それぞれの価値観やタイミングがあって、この人はこうですよって、教えて、わたしは円満に仲良く笑えるように仕向けているのに、みんな自分都合ばかりをぶつけて、ギャーギャー言い合って嫌になる


なんでこんなひとばかりのあつまりなのだろう


自分が逆に、人にこれできてない、相手をよく捉えてないとか悪くみてるのかなと反省した時もあったけど、冷静に客観視したって、不器用の集まり

みんなコミュ力がかなり低い人ばかり

もちろんわたしもだけど

わたしは今日うまく行かなかったと思ったら、わたしの言動で招いたこともあるなとか、事前シュミレーションのような、今どうすべきがいい思いつきができないなら準備とか反省をして次に生かす

でも、他の人は適当

適当をしていいのはそれなりの人だけ


例えば、わたしが彼とは最近、平日は帰りが遅いのもあって週末婚のようだとそれだけ伝えても、彼が子供に会えなくて可哀想だの、週末にプールなどに連れ回して、ゆっくりできなくて可哀想だのと言われる


平日に一人で頑張ってるわたしにはなんの鑑賞もなく、わたしだって週末ダラダラ適当に家で過ごせたらと、お金だって使いたくないし、外出先で偶然園の友達にあって、お昼だから帰ると帰れるのが羨ましい、コロナだ何だって家で過ごせることがどれだけ羨ましいか、ぶつかり合って上手に時間を過ごせないからこっちは必死なのにそんなことも今までそれなりに何となくの会話から伝えてきたって理解してくれない

そもそも、わたしの話をしたところで、自分の話はベラベラするのに、わたしが話し出せば、作業し出して、句読点でもないのに適当な相槌打って聞く気もない 強制終了されることも多い


私たち夫婦のことは聞いてるのか聞いてないのかわからないけど、そもそも聞いてないことが多いし、何を話しても憶測の解釈をしてくる


それは、今までのわたし

親からして子供からのわたしがあっての憶測なんだろうけど、人の話聞かずして、わたしが困ってるとか苛立つとかの相手見ずして、わたしが相手によからぬことをしてると考える悲しさ

わたしが、人との関わりで辛い苦しいと大泣きして、それを見てもわたしが相手は何かしてると思う親


例えばみんなでご飯を食べたとしても、実家に行き、ご飯を作ってくれるけど、同じ部屋だけど、ダイニングとリビングの机に別れて座らざるおえない

どこに座ったらいいのか、いつ食べたらいいのか、大皿にポンと入れられてもわからないし、子供たちに食べにくさがあればお腹すいてるとか関係なしに食べない

夫だって、適当にとガツガツいけるタイプではない

だから、わたしが両家族の橋渡しとして、注文をつけてしまうことがある

わたしだって、どうぞと言われても、何を食べていいのか、作り途中だから、配分もわからないしわからないことだらけ

適当に適当にというけど、本人は全体像が見えるから、どこに何があって、どの量があってとかわかるからいいけど、全く見えない中で適当と言われても困ることだらけ

それでいて、子供たちが食べないとおかしいだの、甘やかしてるからだとか言われるし、夫にお酒を何か飲むかと聞いても、何があるのかもわからないし、時に何があるか言っても夫はふとの話聞いてないから無視するし、適当に食べたり、缶のままとか自分流にやればやったで、それはないだろとか、まだこの後にこれが出るのにとか、必ずダメ出しが入る

考えるとか選ぶ基準が曖昧で、どうしたらいいか聞いても自分たちも優柔不断とか、やりながらだから同時進行が難しいから答えられないのかわからないし、誰だって自分のことは適当ができるけど、多数が集まる中で適当なという割に全体像が見えず文句も言われる

だから、間を取り持って、こうしたらどうか、そんなこと言われても困るとか、あなたは手が空いてるからこうして欲しいとか指揮を取ってしまう

本来、実家に来てるのだから、家の人とか、ご飯作ってる人とか、だれかしら指揮を取るべきところその人が適当

適当ができしてない、おもいつきなだけ

そして他者を受け入れない

では、こちらの家はこちらの家で実家に合わせられるようにチームを組めるかと言えば、夫は夫でぼーっとしてるし、子供は子供でやりたい放題

では、ご飯が全部並んだ状態で行くと改善しようとも、それはそれで覚めたら美味しくないとか、適当にくればいいのよと言われる

その適当適当いうからガチャガチャしてるんだなんて反省はしない

ただただ、わたしが指揮を取ったり、こうした方がうまく行くんじゃないかといえば、それが自分否定とか、わたしはやってあげたのに何様なのよみたいな捉え方をするからわたしが人に口出す嫌な人みたいなイメージが親の中でも築かれる


わたしはわたしの好みではなくて、円滑に回っていない現実があるから、うまくいくようにアドバイスとかしてるだけなのに


わたしの両親も夫も、他者がいる、家族であれ知人であれ、人それぞれ価値観や好みが違う人が集まる中で、合わせようともしないし、人の言動を察する興味もない

母は自分に合わせろとするタイプだし父と夫と娘は、自分の主張を声には出さないものの、相手に合わせたり相手を見たりはしない人、とてもマイペースな人

それならそれで、みんなが自由奔放にすればいいのに、母に合わせずして母がイラつくか、母がその場からいなくなれば、父も夫もどうしていいかわからずお互い譲り合って何も手をつけられないとか

子供も子供なのに子供に適したものを与えてもらえないからお腹空くし、食べてる人にちょっかい出すし、全部ばわたしに皺寄せがくる


どうしてわたしはうまく行くように、人付き方苦手なのはしょうがないけど、必ず毎回うまく行くわけでもないし、最初からうまく行くわけでもない

だから、集まりが始まりの時はここまで準備した状態でとか、今の現状からどうしたら気を使わずみんなが楽しくご飯が食べれるか工夫をしてるのに文句ばかり言われる

わたしの言い方が悪いからではない

それを反省したこともあるけど改善したところで、硬くても大きくても噛めば食べれるんだからとか、練習しないとずっと食べれないぞとか歩み寄りを全くしない


みんな自分基準の人ばかり

こんな人ばかりに囲まれてる私

私が招いた私との関係性もあるだろう

私がやってることがら必ずしもあっていたとは思わない

時にアドバイスが愚痴っぽくなってしまったこともある

だらけて甘えてしまったこともある

だけど、何を話しても、もうちょっと人に合わせたり、今これができるからここに合わせてくれない?とか話してもやりすぎだの理解はされない

何でこんな人たちばかりなんだろう


もっと歩み寄りとか、人それぞれとかいう単語を知ってるだけでなくて、心からそう思えている人がいたら、どれだけ私は気を揉まずに、だから私に矢が向くこともなく、居心地いいと思える時間が長かったり、そう思える人数が多いのではと思う そしたら、私も楽しめるのに


私がやってることが間違ってるのかな?

わたしは人のことを考えているからこその言動なんだけどな

もっと、人を思いやる気持ちが生まれたら、わたしの言動も、そっかと聞き耳持てるのに

何でこんな人たちばかりなの?


それが身近な人たちで関わらなきゃいけないし、仲良くしたい相手だからこそ余計に辛い

何でわたしの周りにはこんな人ばかりなの?


自閉とか、別にしょうがないことだし、本人に悪気があるわけでもないのはもの凄く良くわかってる

でも辛くて辛くて辛い


ただただ辛い


子供はね、子供だし、接し方次第で他者の受け入れとか、自分の出し方とか捉え方や考え方が変わると思う

だから楽しく頑張るしかない 


けどね、親や夫はもう大人

長年やってきた彼ら生き方や考え方がある

本人たちも自分を知ってて、だからのそれぞれの仕事とか交友関係だという

でも、自分はこうだからといって家族に対しては少し気を遣おうとはしない

一人が楽とか、自分のタイミングとか自分の時間とか大事にしたいなら、家族なんて持つべきじゃないのに

持ったなら、もっと合わせることを努力しなきゃいけないと思う

家族なのに、何であわせてくれないんだ、なんで困ってるのに助けてくれないんだ、何で疲れてるのに優しい言葉を書けないんだと求めてばかり

歩み寄らないから歩み寄ってもらえないとはわからない

母は家族が身近すぎて、家族を軽視している

父と夫は自分は自分すぎだから、他人からを求めてはいないけど人へも関心がない


もうちょっとグループ、多数、ひとをおもいやる、尊重、そんなことがわかればいいのに


わたしは今日じゃないから多くの人に気を回したり、自分を上手に出したりできない

だから、家族とは仲良くと思っているけど、家族なのに、

いや縁切れない家族だから

一定の距離感を保たないといけない

仲良くしようではなく、悪くならないように表面上、たとえ、誰かが悲しいとか困ってるとかわかっても、ことを大袈裟にしないように数時間すれば終わるのだからと無視してやり過ごさなければならない

家族なのにその人に興味を持たないようにするし、距離置くなんて とてつもなく悲しい

でも、そのエネルギーを自分と子供にあてがう


自分が楽しく、自分の安定

自分と子供の関係性のみ重視していこう


そろそろ決断、取捨選択しなければ総崩れになってしまう

理想を追い求めるには限界がきた

わたしはだいぶ頑張ったし、いい理想を掲げてきた

でも無理なものは無理

あきらめたらそこで試合終了とはいうけど、手が届かないことをやる大変や苦しさはもう十分

わたし頑張ったよ

わたしはとても悲しい

だけど、この決断をしなければならない

とてもとても悲しい