この人生、よくならなくていいんだ。

 

諦めていいんだ。

 

もうこの人生でいいんだ。

 

 

このレベルの人生を送る自分を

 

許していいんだ。

 

 

 

私はそれが嬉しい。

 

 

 

 

 

 

私の人生、こんなもんで十分。

 

 

それを私に思えることが

 

私は嬉しい。

 

 

 

 

 

よくしなくていいから

 

今この暮らしを味わって。

 

この程度の人生でいいから

 

お風呂にゆっくり浸かって。

 

このまんまの自分でいいから

 

ただここにいることを許してあげて。

 

 

 

 

 

 

私ってこんなもんだ。

 

私の人生ってこんなもんだ。

 

 

だからこんなもんな人生

 

ゆっくり味わおう。

 

 

 

それが私の安心で幸せな人生だ。

 

 

 

 

 

 

夫婦関係において、

 

私が根本から間違えていたことがある。

 

 

それは

 

結婚とは欠けた自分を埋めるためにするもの

 

という前提だったこと。(無意識に)

 

 

幸せ=安心=結婚

 

になっていたのです。

 

 

私の安心とは

 

存在が許されること(穴埋め)だった。

 

 

 

「私は存在を許されたくて結婚したんだ。」

 

 

 

 

これに気づいた時、絶望した。

 

 

 

自分の汚さと身勝手さに。

 

 

 

何も相手のことを見ずに

 

自分は相手に何も差し出さずに

 

「こんなの愛じゃない!」って

 

文句ばっかり言っていた。

 

 

私こそ愛じゃなかった。

 

私こそ与えていない。

 

 

 

 

ただ、私ががめついだけだった。

 

 

 

 

 

 

認めたらすごく、泣けた。

 

(泣きたいのは夫の方だと思うけど)

 

 

恥ずかしくって、居た堪れない。

 

 

もうこんな自分で生きていきたくない!

 

 

って強く思った。

 

 

穴埋めのためのパートナーシップ、やめる!!

 

そして

 

ちゃんと家族をつくろう!

 

 

って決めた。

 

 

 

 

 

そこから、

 

夫の顔色伺うこと

 

空気読んで動こうとすること

 

夫に私の気持ちを満たしてもらおうとすることを辞めた。

 

 

 

 

欠けた自分で在ることを辞めた。

 

成り下がることを辞めた。

 

クレクレしてる自分に気づいて辞めた。

 

気づく度、自分に戻った。

 

 

 

 

 

私が私の家族に注ぐんだ。

 

 

私が作りたいんだから。

 

 

そう思える自分が嬉しかった。

 

 

 

 

 

 

相変わらず夫は無口で

 

会話も多くないけど

 

それが気になることはない。

 

 

今は夫が与えてくれているものがわかるし、

 

自分で受け取れるから。見出せるから。

 

 

 

 

そして

 

私は私のセカイに注ぐだけ。

 

私が私に注ぐだけ。

 

 

 

 

とっても心が自由になった。

 

 

 

 

そういう自分で在れることが

 

とっても気持ちよくて嬉しい。

 

 

 

 

 

ここまで一緒にいてくれた夫に感謝だな。

 

 

 

 

 

 

 

 

「堂々と存在したい」

 

 

以前はこんなこと思いもしなかった。

 

私の願いはずっと

 

「存在を許されたい」

「安心して存在したい」

 

だった。

 

ずっと自分はお荷物だと思ってきた

 

私って役立たずだと思っていた。

 

 

いつも息苦しかった

 

いつも周りを伺って張り詰めていた

 

 

 

でも、そうやって苦しんでいることが

 

私にとってメリットだったんだと

気づいてしまった。

 

 

 

期待されるのが怖かった。

 

責任を背負うのが怖かった。

 

だから

 

誰かに居場所を与えて欲しかった

 

守ってもらいたかった

 

全部決めて欲しかった。

 

 

 

 

失望や否定や失敗を避けるために。

 

その痛みを避けるために。

 

 

 

それを避けたくて、

 

私はずっと自己否定して罪悪感を感じて

 

自分の心の安心を守ってきたんだ。

 

 

 

だけどもう自分の心が

 

誰かの顔色伺うことも

 

正解を探して合わせようと無理することも

 

苦しくて限界だって言っている。

 

 

 

 

もうこの生存戦力で生きていくことはできないって言っている。

 

 

 

もうどんなダメな自分でも

 

隠して生きていけない。

 

 

 

自分で自分の人生を創っていくしかない。

 

って身体が言っている…😂!

 

 

↑これ本当、思考は悶絶ですよね。笑

 

死ぬーーーーーーー!!!!

 

って頭が超暴れる。笑

 

 

 

 

 

 

自分の人生に責任を持つことって何が怖いんだろう?

 

 

私は「取り返しがつかないことをしでかしてしまう」

 

ことが一番怖い。

 

(だから運転とかも本当に怖い)

 

 

だから私はお荷物で役立たずで

 

逃げていられて

守っていてもらいたかったんだ。

 

 

罪悪感って苦しいけれど、

 

既知の苦しさなんだよね。

 

取り返しがつかないことの恐怖は

 

未知で制御不能の恐怖。

 

 

だから脳は慣れた地獄を選ぶのだ。

 

 

 

でももう私は

自分の向き合い方を知って

 

自分の存在を否定しなくなった。

 

自分の性質をただの機能だと思えるようになった。

 

 

 

そうしたら、

 

もう自分で堂々と存在したい

 

責任取れる自分で在りたいって

 

自然と思ってしまった。

 

 

 

だからもう怖いけど

 

まだ役立たず設定も罪悪感も

 

顔を出すけど、

 

 

もうその慣れた地獄に浸り続けることを辞めた。

 

 

 

それはつまり

 

自分を信じ始めてしまったということ。

 

 

だからもう怖いまんま、やっていこう。

 

 

責任をとるとは、

 

自分で決めたことをちゃんと自覚すること。

 

選んだ自分を、見捨てないこと。

 

 

間違えない人でも、失敗しない人でもない。

 

 

それに実際

 

取り返しがつかないことって

 

実は少ないのかもしれない。

 

 

迷いながらでも

 

ちゃんと自分と向き合いながらいけば

 

やり直し可能・調整可能だったりするのかもしれない。

 

 

 

 

 

ちゃんとすごくない自分で

 

堂々と生きてみよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私、思うんですけど

 

『今ここで幸せで在ろう』

 

より

 

『幸せになるの諦めよう』

 

の方が、自分を直視するのが簡単な気がするんですよね…

 

 

 

私自身、何度も

 

今ここで幸せで在ろう

今ここで豊かで在ろう

 

と決めてきたつもりでした。

 

 

 

けれど、やっぱりそれだと

 

あの人みたいに豊かに

 

あの人みたいに幸せに

 

ってどーーーーーしても引っ張られちゃうんですよね。

 

 

 

それも自分を観察してないからなのですが…

 

 

 

ノート書いた時は心がふわっとするけれど

 

日常に戻るとなんかずっとモヤモヤ。

 

だけど幸せであるぞ!

 

だけど豊かで在るぞ!

 

って頑張ってみるけど

 

夫の態度に一瞬で現実に反応してしまう。

 

 

 

そんなことの繰り返しでした。

 

 

 

で、それってやっぱり

 

自分の存在に対して否定的だからなんですよね。

 

『こんなわたしのまんまで存在していいわけがない!』

(=存在が許されるわけがない)

 

だから外側に幸せや価値を求めてしまう。

 

(結局比較競争ルートに入っている)

 

 

 

 

自分の存在を肯定できないんです。

(存在できていないんです)

 

 

肯定できないから

自分の評価や価値がこれ以上削られる可能性のあることは

避けてしまう。

 

 

周りはスキルも経験もあるのに

自分には何もない…と落ち込む

 

さらにそんな自分を隠したくなって

もっと行動が出来なくなる。

 

 

私はずっとこれでした。

 

 

 

で、最初の話なんですけど

 

 

そういう人に幸せで在ろう

って言っても

 

 

ぶっちゃけ不安を避けることしか

人生でしてきていないから

幸せがどういうものかが

よくわからない。

 

焦らず、安心できることが

自分の幸せだったから。

 

 

だから好きなことやる、も

行動じゃなく感情に結びついてしまっていて

好きなことがよくわからない。

 

行動は怖いから避けたい。

 

→ずっと同じループ

 

 

 

 

 

 

 

そもそも在り方を選べる土台にいないんです。

 

自分がいないんだから。

(自分の存在を許していないんだから)

 

 

 

 

 

 

だから私は幸せとか考えるより、

 

幸せになるの諦めて

 

このまんまの私で、価値なんかない私のまんまで

 

自分のセカイで生きよう

 

って決めました。

 

そっちの方が今の自分を直視できたから。

 

 

 

 

もうどうせゴミだし、

 

ゴミを受け入れて生きていこう。

 

って本気で思ったんです。笑

 

 

 

そしたら

 

 

 

ゴミなのに住む家ある。

ゴミなのに料理できる。

ゴミなのに毎日お風呂入れる

ゴミなのにお金もらえてる

 

 

とかいろんなことを、

あれ…ゴミの割に

すごい豊かな暮らしだな…?笑

 

と思えるようになりました。笑

 

 

ゴミと結婚してくれてる夫

ゴミにお金をくれる夫

 

とかも。笑

 

 

すっごく今このまんまの私が満たされたんです。

 

 

 

 

なんか自分をゴミとかいうの

抵抗ある人多いかもしれないですが

 

私は自分はゴミでいい。

 

と思えたことで

 

超自己肯定できるようになりました。笑

 

そして自分の性質を

ただの機能だと受け入れられるようになった。

 

 

 

 

 

 

 

だから今私レベルで自己肯定感低くて

 

自己否定が強い人は

 

自分はもうゴミでいいって

 

人生一回諦めてみて欲しい🙏笑

 

 

そしたら簡単に世界に負けられて

 

さっさと自分のセカイを観れるようになるから笑

 

 

 

 

 

どんな自分でも

 

こんな自分が存在している

 

という事実。

 

それだけが自己肯定なんだ。

 

 

こんな無価値で無能で

 

すぐ逃げてすぐサボって

 

他人任せな

 

そういう自分がここに存在している

 

 

 

 

これは自己否定じゃなくて

 

自己肯定なんだドキドキ

 

 

自分が自分を許す。

 

自分が自分と一緒にいる。

 

それはダメな自分を見ているんじゃなくて、

 

そんな私の存在を追い出さずに

 

ここにいていいって許可を出したんだ。

 

 

 

 

どんなに幸せを目指したって

 

ダメな私を追い出したままで

 

幸せを掴みにいこうとしていたら

 

そりゃあ苦しい。

 

 

 

自分を置き去りにした幸せは嘘なんだ。

 

 

 

 

 

その苦しさや焦りに気づいて

 

幸せを諦めたら

 

条件付きの幸せから降りられる。

 

・ちゃんとしてれば幸せになっていい

・成長していれば、感謝していい

・価値ある私でいられたら、愛されていい

 

っていう条件の世界で生きることを辞められる。

 

 

幸せ=合格点をとった先にあるもの

 

という勘違いを手放せる。

 

 

 

手放せたら

勝手に今ここにあるものに感謝できるから。

 

期待を手放して

 

現実を直視することができるから。

 

 

・家がある

・夫がいる

・暮らせている

 

 

これらが『当たり前』から

『十分すぎる現実』

 

 

 

に変わる。

 

 

 

幸せでいる=ちゃんとする

 

 

 

という勘違いを終わりにしよう。

 

 

 

それを降ろせた時、

 

 

・私はこのままで存在していい

・もう証明しなくていい

・役に立たなくても私はたくさん受けとっている

 

 

って感じられるから。

 

 

 

自然に安心して

勝手に感謝が湧く。

 

 

 

そしたらそれが

 

なんと幸せだったというパラドックス笑

 

 

もう、ここでいいや!

 

っていう在り方が

 

今幸せで在る。

 

なんだよね〜〜〜〜〜

 

 

 

 

 

 

 

やっぱり観察意識って重要!と思います。

(メタ認知?客観視?)

 

 

そもそも自己に没入している状態だと

自分の思考・感情に引っ張られて

尚且つそれを当たり前に

他人に向かってぶつけてしまう。

 

私はそれでいつも

冷静になった時の大反省会が

止まらない人でした。笑

 

テンション高い時も

怒り狂っている時も

 

その自分の感情が正解で正しいと

信じて疑わなかった。

 

小さい頃から黒歴史だらけです笑

 

 

今も、怒りの感情がぐわーっときて

目の前の人(特に夫笑)に

ぶつけて攻撃したくなる時が多々あります。笑

 

 

でも今までと違うのは、

 

最近は自分の怒りを理解、納得してから

夫に伝えられるようになりました。

(それでも言い方キツイ時が多いですが)

 

 

そしてそうすると

後の大反省会が激減しました🎶

 

 

夫にも理解してもらいやすくなったと思います。

(改善されるわけではない。笑)

 

 

 

『自分の感情を自分で理解すること』

 

 

本当にわかってもらいたいのは

自分自身だったんだな〜

と気づけました。

 

 

自分自身が理解できると

相手に合わせて伝えることができるようになる。

 

これは私が伝えても、

相手には理解しきれないところだろうな

というのもわかってくる。

 

相手のことも自分のことも許せるドキドキ

 

 

分かり合えなくても大丈夫

って思えたことで

すごく心が楽になりました。

 

 

 

そして何より

自分に集中するのってとっても楽しいドキドキ

 

 

私、ここでこんな反応するんだ!

へー私こう思ってるんだな…

 

 

って出てきたらいちいちノートにメモして

楽しんでいます笑

 

 

 

そうしたら勝手に自分を疑える。

どうしたいんだろう?

って自然と自分を導ける。

自然と設定変更できるドキドキ

 

 

そっか〜

設定変更しよう!って

張り切っていたけど

自分を観察できないと

設定って変えようがないんだなぁ〜

 

 

 

と、藤本さきこさんが

(何度も)言っていたことが

ようやく腑に落ちたのでした〜

 

 

 

 

 

 

 

この一年、引きこもって色々迷走し

やっとなんとなく自分がまとまってきました。

 

 

いかに自分が自分を否定していたのか

よくわかった一年間でした。笑

 

そしてその自信の無さや無価値感を

夫に埋めてもらうことに必死だったなと気づきました。

 

勝手に夫を社長にして

自分が秘書になり

役に立って評価をもらい

それでここにいていいんだと思いたかった。

 

そして夫に

こんなに気を使っているのに

ちゃんと評価してくれない💢

と拗ねて当たり散らかしていました。笑

 

夫は無口で無表情な人なので

愛情=会話やスキンシップだと設定していた私には

その態度も癪に触り。笑

 

でも、それが夫の素材であり

機能なのだと思えたら(諦めですね。笑)

私のこの察しすぎてしまうところや

相手の感情に共感しすぎてしまう自分だって

ただの機能なんだと思えました。

 

サオリという肉体のただの機能。

 

私はそれの使い所出力の調整

すればいいだけなんだなと・・・

 

機能自体を否定することなかったのです。

 

そう思えたら、

私はこれなんだな。と

ただ淡々と自分の存在を直視できました。

 

そして自分の優しさや配慮の機能を

夫に使わないことも許せた。

 

夫に注がないことを自分に許した。

 

 

 

最初は嫌われないか

ドキドキしたけど、

今は周りをチラチラ気にせず

自分の好きなことに集中できるので

とっても気楽で心地いいです飛び出すハート

 

夫も何も言わず気楽に過ごしているように見えます。

 

結局、私が勝手に無理して

夫にエネルギー注いでただけでした🥹笑

 

今振り返ると、

勝手に気にして勝手にキレてる妻に

何も文句も言わずいてくれて、

おおらかな人だな…と尊敬します。笑

 

この関係を『良好』って言っていいドキドキ

ってことにします笑

 

そして、

もうこのままでいい。

今手持ちにあるもので

生きていっていい。

 

その感覚が掴めたことが

何より嬉しいことでしたドキドキ

 

 


 




安心=心が一定で、静かで、動じないこと
って思ってたから
ザワザワするのもドキドキするのも
嫌で避けてた。

安心=心が動かないこと
を1番に望んでしまっていた。

だからなーーーんにも
やりたいことなかったんだなー。


しかも
人生は楽しまないといけない
人生は好きなことやらないといけない
それが正解!
って思ってたから
なんか早く見つけなきゃ!って焦ってたんだ。
それでまだ動くのが重くなって…






違うじゃん
もう肉体持って存在してるだけで
人生大成功!って決めたんじゃん



正解不正解持ち出すからこじれる
良い悪いで考えるからこじれる😂


大成功!のうえで
この暮らしの中で
今あるものの中で

今、嬉しい気持ちになれるの何?
ってだけじゃんー!!


美容室行って髪きれいになったら嬉しい
バスタオルふわふわに洗濯できたら嬉しい
トイレ綺麗だったら嬉しい
おふろゆっくり入れたら嬉しい
娘をぎゅーってできたら嬉しい

これだけじゃん😂!!
何にも難しくなかった。
何にも遠いことじゃなかった。

全然、自分のこと見ないで
遠くのだれかの人生みて
できない〜難しい〜
ってやってるだけだった。笑

自分見るだけだった。笑


そりゃあ
他人の人生みて考えてたら
やる気も出来る気も起きない。笑


さっさと自分の人生
自分の生活、この暮らしを
直視しよ〜😂❣️


自分の人生に
正解も不正解もないのだから。




みんなそれそれちょっとずつ
神様の材料を持って生まれてきた☺️

それが特性、素材なのだと思う。

それがそれぞれの形なのだ。
それがそれぞれのピースのカタチ。



ずっと勝つことを目指していた。
ずっと相手よりすごい存在で在ることを
目指してきた。

それが人生においてやるべき事だと思っていた。



だけど、本当は

みんなでパズルを完成させる事が
目的なのかもしれないよ☺️


まっすぐ自分というカタチを
表現することが
やりたいことかもしれないよ♡


お互いパズルの1ピースだったなら、

本当にただのカタチの違いになる。


お互いパズルの1ピースだったなら、

自分のハマるところ探せば良いだけ♡


場所、取り合う必要なかったのかも。

その場所握りしめなくてよかったのかも。

そこ、競わなくて良かったのかも。


あ〜みんながそうやって

自分のカタチを受け入れて

堂々と自分を表現できたなら

本当に最高な世界になるのだろうな〜♡






この肉体が感じるきもち
全部たましいの喜び、
愛おしさなんだ。

肉体が感じる怖さも、ワクワクも
全部全部、嬉しいんだ。

それってたましいが
楽しんでいるというより
この肉体が在ってくれる
この存在が在ってくれることへの

感謝と愛おしさなんだと思う。

嬉しい、愛おしい、ありがとう

今日も在ってくれてありがとう

今日も生きてくれてありがとう