なんで職場の人と仲良くなりたいの?っていったら

私が大切に扱われたいからなんだよ🤣

なんで職場の人にハマりたいの?っていったら

私が認められたいからなんだよー🤣🤣




大切に扱われないと不安だから。

重要な存在でいたいから。


いてもいなくても同じ、みたいなのが傷つくから。


なんで傷つくの?っていったら


私の存在価値と職場の人の評価を

くっつけてるからだよーーー😂😂😂😂




あー恥ずかしい!!!!!!笑

痛々しすぎる!🤣



もう何年同じことやってんだよ!!🤣


仲良くなりたいとかいって

他人に興味ないくせに🤣


ただ自分に安心を与えてもらいたいだけのくせに!




そんな在り方いつまで続けるんだよ!!笑



もう!いい加減にしろ!!笑












仕事=枠に当てはまらなくちゃいけないもの


と思ってるんだ。



家族やママ友は、

お互いのカタチを合わせていくもの、

としてるのに


仕事となると、

絶対的なカタチ(枠)に自分を当てはめるもの


としているから


苦しくなるんだなー。





んー。

でもなー



自分のカタチでいい!

とも今は思えないからなぁー。笑




何がいいかなぁーと思いながら


ちょっと様子みてみよう😌😌😌




 

 

 

2月末から、飲食店でパートを始めた。

まだ一ヶ月経ってないんだけど、

 

なんか、もう・・・

 

 

ストレスやばすぎ(泣)

 

 

 

口唇ヘルペスはでるわ、

マスクのせいで頬がガッサガサで皮むけるわ、

白髪も急激に増えるわ・・・

 

 

なんかなんかなんか、

思ってたのと違いすぎるんですけど!!泣

 

もうちょっと、いい感じに行くと思ってたよー!!笑

 

 

そして何より

 

自分の中ではもう少し成長していたと思っていたけど、

 

いざ社会の中に入ってみると

 

全然自己否定しまくってました。笑

 

 

秒で自己否定。

秒で正解不正解に持っていかれる・・・

相手の評価気にして下に入り込んでしまう・・・

顔色伺って、気に入られようと無理しちゃう・・・

 

 

そしてその場ではいい顔して、

帰ってからめっちゃ不満爆発するという。笑

 

 

 

 

もう!!私アタマでわかった気になってただけで、

全然体現できてないじゃん!!笑

 

 

 

大反省の毎日です・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

でももう自分の思考の問題だってわかっているから、

「あの人のせいで!!」

みたいに外側に向くことはあまりないから

(気づいて戻れるから)

そこはよかったかな・・・

 

 

これで外側を向いて、

外側をなんとかしようとしてたら

鬱になっちゃうもんね・・・笑

 

 

 

 

マジでマジで私にとって修行の日々です。笑

 

専業主婦で家にいたときは、

ただ何も起きていなかっただけだったんだな

と言うことが

身にしみて理解できました。笑

 

 

やっぱり家族と職場の人たちとでは

伝わり方も伝えられる時間も当たり前に違うもんな。

 

 

私も当たり前に諦めて心を閉ざしそうになる。

 

 

もういいや、って逃げそうになる。

どうせこんな人だし。って切り捨てたくなる。

 

 

でもその度に、

それが私の望む在り方?

 

と自分に問う。

 

 

 

違うよな。私は諦めて、心を閉ざして、

何事もなくただ生きていたいわけじゃないよな。

 

何が起きても、何を経験しても、何を感じても

大丈夫な私で在りたいんだよな。

 

そうして自分の喜びを素直に選んで

楽しく生きていきたいんだ。

 

 

 

それには他人からの評価も、承認も、好意も

必要ないのだ。

 

私だけでできることなのだ。

 

私にしかできないことなのだ。

 

私の人生を他人のせいにしている場合じゃないのだ。

 

 

 

 

だから、この嫌だと思う経験を

ぜんぶまるっと受け入れて

全部自分の学びの糧にしていこう。

 

大丈夫な私で在る練習を今は淡々としていこう。

 

 

 

淡々とは無理か。笑

吐きそうになりながらやります・・・笑い泣き

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私はずっと怖くて恐れてた

 

娘が傷つくこと

自己否定をして苦しむ人生を送ってしまうこと


自分の娘がそんな生き方をしてしまうことが

とっても怖かった。


 

だから私が娘に怒ってしまうと、

私が私を責めていた。


娘が不安げな顔をするたびに

どうしよう、大丈夫かなって心配してた。

 

 

怒らないで優しくしたい。

自己肯定感高い子に育ってほしい。

 

大切だから、大切にしたい。

って思ってた。




だけど違った。

それが本当の願いなわけじゃなかった。

 

 


私の望みは

 

娘に幸せで在ってほしい


何が起きても大丈夫な自分

で在ってほしい

 

だったのだ。


不幸なことが起こりませんように。

が願いなんじゃない。

大切にするって、

傷つけないことじゃない。

完璧に愛して守ることじゃない。

 



私が怒ってしまっても、

他人に否定されることがあっても、

「傷ついても大丈夫な自分」

で在ってほしい。

 

それが私の願いだった。

 

 

自己否定を恐れて避けようとしていた

傷つくことや苦しいことを避けようとしていた

 

避けることにエネルギー注いでいた。

 

 

 

注ぐ方向間違えてたなぁ。

子供のパワーを奪ってしまっていた。







 

 

 


どうか

 

 

何があっても大丈夫な子でありますように。

 

何があっても大丈夫な私でありますように。

 

その内側のあたたかさに、安心に、

気付けますように。

 

外側でどんなことが起こっても

 

大丈夫な自分で在れますように。


そして


自分自身で幸せを選んでいけますように。






 

 

 

 

 

 

”わたし”って、サオリであり、あなたである。

 

 

 

アタマで考えたら、”嫌い”な人。

言動も態度も何一つ理解不能。

会いたくもないし話したくもない。

関わりたくない。

 

 

 

だけど感覚で捉えてそれを言葉にするなら

 

「どうかより良く在ってほしい。」

「自分の存在を大切にしてほしい。」

こんなかんじになる。

 

それってつまり

「幸せで在ってほしい」

ということだった。

 

 

その人にされた酷いこと

傷ついた私の気持ち

 

確かに在るんだ。

 

でも日々自分と向き合い、

自分を肯定して生きられるようになると

安心して今に存在できるようになると

 

傷ついても大丈夫な自分が育つと

 

傷ついた自分の苦しみより、

そんな在り方をする相手を見ることのほうが苦しくなってくる。

 

 

本当に、そんな言い方したい?

本当に、それをしてほしい?

 

そうしないと あなたは幸せでいられない?

 

そうしないと あなたは存在してはいけない?

 

 

そういう思いが湧くことが何度もあって

 

 

なんでだろうって最近ずっと思ってた。

なんでこんなにその姿を見ることが悲しいんだろう。

何がこんなに苦しくさせるのだろう。

 

 

 

 

そしてふと腑に落ちた。

 

あの人が”わたし”だからだ。

 

 

わたしはサオリであり、そしてわたしがあの人だからだ。

 

一つの”わたし”から、皆が存在しているからだ。

 

 

 

そんなことよく聞いていたしわかっていると思ってた。

だけど全然わかってなかった。

 

 

 

 

サオリのたましいが在って

Aさんのたましいが在って

 

そしてそれぞれが人生を楽しんでいるって感覚だった。

 

だから私は私の人生をより良くしようって思ってた。

 

 

 

だけど今の感覚的には

 

”わたし”に存在の数だけ目があるような感覚。

 

”わたし”の目の一つがサオリにフォーカスしていて

”わたし”の目の一つがAさんにフォーカスしているような。

 

そしてそれぞれの人生ゲームをプレイして楽しんでいるような感じ。

 

 

そしてみんな”わたし”に愛されていて、肯定されているんだ。

そして繋がっている。

 

 

だからこんなに無条件に優しくしたいとか

幸せであってほしいという思いが湧くんだ。

 

その自己否定の在り方を見ると、

それを他人にぶつけて自分を保っている姿をみると、

こんなに苦しい気持ちが湧くんだ。

助けたいって思うんだ。

 

 

 

だから、戦うのが苦しいのだ。

 

分離なんてしていないから。

 

私だって、あなたを応援しているから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あ~あ。って思った。

 

今まで私も何度も何度も比べて

勝って負けて

いっぱい傷つけて。

 

ほんと なにやってんだよ、って感じ。笑

 

 

あなたも私もおんなじ”わたし”だなんて

安心と慈愛しかないじゃないか。

 

 

 

 

 

 

 

 
 
年明けてしまった…笑
 
つづきです。
 
 
 
そして日々、他人と比べるのやめて
自分の心ばっかりみて生きてみた。
 
といっても心は全然グラグラで
無価値観に飲み込まれ
時間に追われて焦りまくり
ママ友が仕事始めたんだ〜と言えば
置いていかれるんじゃないかって不安になり
夫の顔色も伺って生活してた。
 
 
やっぱり、苦しい。
やっぱり、しょーもない。
残念な感情を感じっぱなしのまま生きてみた。
 
 
すると段々その感情のグラグラに慣れてきた自分に気がついた。
 
 
グラグラ揺れてる感情を
私が上から見下ろしている感覚。
 
感情が私の外にある感覚になってきた。
 
 
焦っている私→焦りを感じている私がいる。
怖くて不安な私→恐怖や不安を感じている私がいる。
 
すこしずつ感情を俯瞰して見れるようになった。
 
 
 
そうすると不思議なことに、
 
その焦り、意味ある?
その不安、本当?
と自分に問えるようになった。
 
グラグラしても冷静に問える。
グラグラしても落ち着くことができるようになる。
 
 
ここらへんから毎日の暮らしがとっても楽になった。
というか、苦しい思考を延々と垂れ流すことがなくなって、
無の時間が増えた。笑
 
無の時間が増えると、今この瞬間の景色とか、ご飯の味とか、
布団に寝転んだときの気持ちよさとかを感じられるようになる。
 
 
そして気がついた。
 
幸せって、この心地よさのことじゃない・・・?
ていうか幸せな人生って「カタチ」じゃなくない??
なにか他人から羨ましがられるような特別なものを手に入れて
他人に認められたって、必要とされたって
そのために自分が我慢して頑張り続けなきゃいけないのなら
そんなの絶対に幸せじゃなくない?
 
 
じゃあ、幸せな人生ってなに?
 
 
幸せって、今このままの私で安心して存在できることだ!
今このままの私に満足できることだ。
今ここを味わって生きていけることだ。
 
 
私、今まで幸せな人生にするために「頑張れる自分」
「行動できる自分」を目指そうとばっかしてたけど、
 
真逆じゃん!!笑
 
私のやってることって全部今ここの自分を否定して、
理想を押し付けて、型にはめようとすることだったんだ。
 
 
これに気づいて、私の世界が一瞬で変わった。
 
私のやるべきことは、私を全肯定することだ。
今この私を赦すことだ。
私へのジャッジ、世界へのジャッジを辞めることだ。
 
 
他人に私を見てもらうんじゃなくて、私が私を見よう。
他人に認めてもらうんじゃなくて、私が私を認めよう。
他人に愛してもらうんじゃなくて、私が私を愛そう。
 
私が私とともに堂々と存在しよう。
 
 
そんなふうに生きていこう。そんなふうに存在しよう。
 
そう決めたら、
 
自然に夫の顔色伺うの辞められた。
そして罪悪感なく純粋にやってくれたことに感謝できるようになった。
(今まで自分がどう思われるかばっかり気にして
夫が私に注いでくれていた愛情を
受け取れていなかったんだなって気づいた。)
 
 
私の世界に優しさが溢れていることに気づいた。
 
 
 
 
 
 
幸せって、絶対皆『今ここ』にある。
 
こんなもの、ってしてないで
今見いだせる私、気付ける私で在るだけ!
 
世界を変えるんじゃなくて、私の幸せの定義を変えるんだ♡
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 


幸せな人生とは

特別な自分、羨ましがられる自分、
他人に評価されて求められる自分になること
だと思っていた。


他人に幸せそうっておもってもらうことが
幸せな人生なんだと思っていた。




お金持ち
素敵なマイホーム
イケメンのパートナー
子供の数
スタイル、顔の良し悪し
資格、肩書、仕事…

そういう幸せの基準があって
どれだけそれらを獲得していくかが
人生というものなのだと本気で思っていた。



そして、私は頑張れなかった。
諦めていた。


だから自分は惨めで劣っていてお荷物だって
本気で思っていた。


私の人生=惨め=不幸
って信じていた。決めていた。




でも私は死にたいと思うわけでもなく
人生諦めるわけでもなく

他人に必要とされたくて
なんかゴチャゴチャいっぱい頑張った。
(ほぼ、暴走。黒歴史。笑)



自分を否定しながら、
他人に愛されるよう必死になんかいろいろやった。笑
陽キャになってみたり(まったくなれてない。笑)
他人を持ち上げて褒めまくってみたり。
(多分言われた方はマウンティングに感じたと思う。
)


結果全然惨めさも劣等感も無価値感もなくならなかった。
(そしてめちゃくちゃ周りを傷つけて嫌われた…笑)



安定した職業の夫と結婚して子供も産んだけど

全然まったく自分という存在を肯定できなかった。






そこでやっと気づいた。笑

もう、外側じゃないんだと。笑



自分のアタマを変えないと何を手にしても意味ないし、
このまま一生不安と焦りを感じながら
何か『もっとすごいもの』手に入れないと!
って生きていかなきゃならないと思った。



もう、本気でやめたかった。
苦しかったから。

願いを書くことも、行動もすることも、
その行動をマトモにできない自分も、
自分の幸せのために他人を振り回して傷つける自分も、
全部全部辛かった。苦しかった。






だから、もうすごい自分目指すのやめようって思った。

もう幸せじゃなくていいや。
素敵な人生じゃなくていいや。

誰にも羨ましがられない人生でいいや。


こんなショボい、しょーもない人生でいいや。


そう決めた。





その時は、やっぱり悲しかった。惨めだった。
しょーもない私、ショボい私。


あーぁ。惨めだなぁ…
誰にも評価してもらえない私…
何にもない、私。




でも。
惨めでも心の奥底にホッとした感覚があった。

ゆるんだ、ほどけた感覚があったの。


多分、私が私の本音聞いてあげた第一歩なのだと思う。
あれが私を肯定した瞬間だった。







つづきます












「もし〇〇になってしまったら、私(の存在や価値)は欠けてしまう」
→だから〇〇する(恐れ)

なのか

「どうなっても、何が起きても私の存在や価値が揺らぐことはない。」
→だから私は〇〇したい(望み)

なのか。



私は健康と恋愛に強くこの恐れの思考を持っていたな〜。

健康に関してはまだまだ出てくる…

マイナスな存在の自分、さっさと辞めよう。






この、1人静かに黙々とノート書いている時間を
「充実している」って呼んでいいなんて
私は知らなかった。笑


このフツーの毎日を
フツーの暮らしを
「満足な暮らし」って呼んでいいなんて
私は知らなかった。笑


なんならもっとアレもコレも手に入れて
幸せな人生にしなきゃいけない!って

今を不満な生活と呼んでいた。
アレもコレも足りない!って思ってた。


ずっっっっっっと
不満と不足を意識し続けてた…笑



は〜

コントだな〜〜〜。笑



この現実に悩むのやめて、
この現実をわざわざ不幸にするの
辞めればいいだけだった。笑


ポジティブに捉えるんじゃなく
ネガティブに捉えるの辞めればいいだけだった。




_(:3 」∠)_



掃除、育児、料理、仕事
ノート、趣味、ブログ、買い物、

それらの行動が無駄で価値が低いことだから

心がモヤモヤして苦しいんじゃない。

自分が自分のやることを

「無駄なこと、価値のないこと」

「もっと役に立つことをしないとダメだ」

って思っているから

心がモヤモヤして苦しいのだ。

この意識のまま、

自分の思う価値のあること、

役に立つことをやったって

苦しいだけなのだ。





自分がやる全ての実行は



自分のセカイにとっての価値である。

自分のセカイにとっての喜びである。






.