「堂々と存在したい」
以前はこんなこと思いもしなかった。
私の願いはずっと
「存在を許されたい」
「安心して存在したい」
だった。
ずっと自分はお荷物だと思ってきた
私って役立たずだと思っていた。
いつも息苦しかった
いつも周りを伺って張り詰めていた
でも、そうやって苦しんでいることが
私にとってメリットだったんだと
気づいてしまった。
期待されるのが怖かった。
責任を背負うのが怖かった。
だから
誰かに居場所を与えて欲しかった
守ってもらいたかった
全部決めて欲しかった。
失望や否定や失敗を避けるために。
その痛みを避けるために。
それを避けたくて、
私はずっと自己否定して罪悪感を感じて
自分の心の安心を守ってきたんだ。
だけどもう自分の心が
誰かの顔色伺うことも
正解を探して合わせようと無理することも
苦しくて限界だって言っている。
もうこの生存戦力で生きていくことはできないって言っている。
もうどんなダメな自分でも
隠して生きていけない。
自分で自分の人生を創っていくしかない。
って身体が言っている…😂!
↑これ本当、思考は悶絶ですよね。笑
死ぬーーーーーーー!!!!
って頭が超暴れる。笑
自分の人生に責任を持つことって何が怖いんだろう?
私は「取り返しがつかないことをしでかしてしまう」
ことが一番怖い。
(だから運転とかも本当に怖い)
だから私はお荷物で役立たずで
逃げていられて
守っていてもらいたかったんだ。
罪悪感って苦しいけれど、
既知の苦しさなんだよね。
取り返しがつかないことの恐怖は
未知で制御不能の恐怖。
だから脳は慣れた地獄を選ぶのだ。
でももう私は
自分の向き合い方を知って
自分の存在を否定しなくなった。
自分の性質をただの機能だと思えるようになった。
そうしたら、
もう自分で堂々と存在したい
責任取れる自分で在りたいって
自然と思ってしまった。
だからもう怖いけど
まだ役立たず設定も罪悪感も
顔を出すけど、
もうその慣れた地獄に浸り続けることを辞めた。
それはつまり
自分を信じ始めてしまったということ。
だからもう怖いまんま、やっていこう。
責任をとるとは、
自分で決めたことをちゃんと自覚すること。
選んだ自分を、見捨てないこと。
間違えない人でも、失敗しない人でもない。
それに実際
取り返しがつかないことって
実は少ないのかもしれない。
迷いながらでも
ちゃんと自分と向き合いながらいけば
やり直し可能・調整可能だったりするのかもしれない。
ちゃんとすごくない自分で
堂々と生きてみよう。