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おはようございます

今回は労働観の変遷と題して、
労働観の歴史を見ていこうと思います!
昔の人々はどのように「労働」を捉え、
どのように変化していったのでしょうか?
・古代
・中世(前半後半)
・近世
・近代
・現代
・近い未来
の8つにわけてそれぞれ解説していきます
※各時代の労働観を太青文字アンダーバーにしています。
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②労働観の変遷
○古代(〜5世紀)
古代ギリシャの都市国家では、労働は全て奴隷が行なっていました。
この時代は労働を、「苦役」や「罰」として捉えており、
自然に支配され、身体を酷使し、人間の生理的欲求を満たすだけの目的であったため軽蔑されました。
よって、道具としての人間である奴隷が行う
逃れられない枷とされていました
なんとまぁ、ひどい話だ
と思いますが
奴隷制度があったからこそ
暇な時間を持て余した人が生まれ、それによって全ての学問の祖である哲学がこの時代に誕生し、
その学問の発展おかげで奴隷制度が廃止になった事を考えると
「当時としては」必要だったのかもしれませんね…


※奴隷制度は断固反対なのでご注意を
○中世(5〜14世紀)前半
この時代、宗教による労働観が主流になってきます。
キリスト教において労働はまず、
「お前は顔に汗を流してパンを得る。土に帰る時まで」(創世記 第3章)
とあるように、罰として捉えられていました。
その昔、神に背いてリンゴを食べたアダム。
その時以来、人間には罰として労働が課せられたのです
もしこの世にタイムマシーンがあったのなら
現代のりんごを山ほど持ってアダムに会いにいきたいものです
そうすればおそらくあのムカつく上司と顔をを合わすこともないのでしょう。
まあ、神のお告げさえ守れないアダムに
私たちの忠告を守れると期待しないほうがいいかもしれませんね

○中世前半〜後半
一方でこの時代になって労働を肯定的に捉える考え方も生まれました。
例えば、
使徒パエロの新約聖書の
「働きたくない者は、食べてはならない」
という言葉から伺えます。
この労働観は、人間の怠惰を防ぐ営みであるという捉えられ方でした。
性悪説(意味は割愛)の色が強いキリスト教ならではの捉え方ですね。
○近世(15〜17世紀)
近世、この時代に起きたとても大きな出来事の1つに、ルターによる宗教改革があります。
この宗教改革は、キリスト教の宗教観とともに労働観もがらりと変えました。
それまで教会や司祭に魂の救いを求めていたカトリック信者が、それらを否定されたことによって、魂の救いを労働に求めるようになったのです。
ここで重要なのは、禁欲と勤勉な労働によってもたらされた富の増大や、成功をも肯定する考え方がプロテスタントの間で盛り上がりを見せていきます

ちなみに、↑の考え方が資本主義の精神の芽生えでもあります。
○近代(18〜19世紀)
この時代から徐々に、労働観の捉え方が二極化されていきます。
・肯定的な捉え方
まずはポジティブ
な捉え方です
この時代はフランス革命をはじめとする市民革命により、
一般市民が政治的平等や経済的自由を獲得していきます。
また、
そこでは労働が宗教から切り離されて、労働の捉え方が一気に世俗化していきます

個々人にとって
労働は成功者になるため仕事、
また、自分の成長のための仕事として捉えられるようになり、
仕事や事業は賞賛されるようになっていきます


そう、今の「労働至上主義」が出来上がっていくのです。
・否定的な捉え方
次にネガティブ
な捉え方です
この時代では産業革命も起こりました、
産業革命は資本主義と結びつくことによって
一方に少数の資本家
他方に多数の賃金労働者を生みます

また、それまで一次産業を行なっていた多くの市民は
封建制の解放によって
企業に雇われ、工場で働くことで生活を維持していきます。
ここで、この時代に活躍していたアダムスミスの言葉を紹介しましょう
「労働を尺度にした価格こそが真の価値であり、通貨を尺度にした価値は名目上の価値に過ぎない」(国富論)
つまり、国の富の源泉は、国民の労働であって
財貨ではないということです。
これ、今の時代に部下に言ったら
下手したらパワハラですよね…
ただここで、
資本家から搾取され、言葉通り機械化されていく労働は、人間の疎外感を招いているのではないか?という捉え方がひろまってきいきます。
ちなみにこのネガティブな労働観から、マルクスが大きな影響を受けて、共産主義社会が現れていきます
○現代
さあ、私たちの生きる現代です。
まずはネガティブ
な労働観から見ていきます

この時代の労働観、特に日本の労働観は
・組織(会社)から言い渡される大小の無理難題を忍耐強くこなすべき
・担当業務に勤勉であるべき
・一度就職すれば会社が守ってくれる
・残業バンザイ、休日出勤バンザイ
などです。
日本は戦後、このような多くの勤勉な会社員達によって支えられてきました。
しかし、上にあげた労働を悪用するような、いわゆるブラック企業が生まれてしまいます
不当な低賃金、悪質な労働環境で働かせて
トップだけが利益を得る。これは神による宗教的使命として労働を捉えていた近世にはない考え方ですね


また、「社畜」という言葉や、働いても働いても貧乏のままである「ワーキングプア」という言葉が出来上がったのもこの時代になります。
※現在、この考え方は否定されつつありますが、未だ根強く残っている考え方でもあるので紹介しました!
次にポジティブ
な捉え方です
現代、とくに今日では仕事が
自己実現や、社会貢献の機会であるという捉え方が増えてきました。
技術が爆発したことにより、仕事の選択肢はこれまでにない程多くなりました。
また、この仕事の選択肢の増加が、個々の労働観を多様化していきます。
十数年前は労働を「食うための仕事」と捉えていていい大学に入って有名な企業に入る事が成功と見なされていましたが、
もはや学歴など関係ない時代になっています。
これは本当にいい流れだと思っています。
確かに、この考え方はつい最近できたので未だに少し昔の考え方が根付いてる企業もあるのでしょうが
今後、どんどん広まっていくことでしょう。
今まさに、私たちが生きるこの時代が
労働観の転換期にあることを意味しています
○近い未来の労働観
ここから、少しだけ私の意見も入っていきます。
労働観の転換期にいる私たち。人類はどんどん自由になっていき、その自由になった状態をいかに使うかという問題に向き合っていきます
さてこれからの労働観はどうなるのでしょうか?
私や多くの著名人、哲学者が予測している未来の労働観は「趣味、ゲームとしての仕事」です。
いまや、動画共有サイトに自分の趣味的な映像を投稿するだけでお金が稼げる時代です。
また、一日中パソコン画面上の為替取引を見つめゲーム感覚で株の売買を行う人や、それこそゲームの技術を極めてお金を稼ぐ人が生まれて来ています。
この労働観は現在、多くの人に広まっているとは言い難いですが確実に広まりつつあります。
「好きなことで、いきていく」
この言葉がyoutubeの動画を介して広まった当時、
果たして何人の人がこのような時代が来ることを予測していたでしょう。
おそらく多くの人がこの言葉を本気で受け止めず、鼻で笑ってたことでしょう。
「そんなバカなこと言っていないで、勉強しなさい。そしていい大学に入りなさい。その後は有名な企業に就職して退職するまでその企業で必死に働きなさい。その後はゆっくりと死をまてばいい。好きな事はそれからでも遅くない。」
しかし老後の私たちに出来ることなんていくつあるのでしょうか?
労働でボロボロになった心身で、体力のない体でいったい何ができるのですか?
プロスポーツ選手を目指してた昔の少年は近所の公園での散歩で精一杯になるでしょう。
幸せな家庭を持つ事を夢見ていた昔の少女が60年後に結婚できる確率なんて天文学的な数字でしょう。
「好きなことで、いきていく」
少なくとも私は、この言葉は時代を先駆けた名言だと思っています。
そしてそのように捉えている人が多くいるという事を願ってます
しかし現在、実際にこの夢のような時代は到来しています。
好きな事だけを仕事にして生活している成功例はどんどん増えています。例えばFacebookやApple、日本で言えばZOZOTOWNやYouTuberなんかもいい例です。
そしてこれからも、爆発的に増えることでしょう💣
ちなみに2018年、某有名youtuberの年収は
11億7000万円なんですって…
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あぁーーーー!
もっと話したいっ!もっと語りたいっ!
でも、今回はなるべく私の意見は抑えると決めているのでここまでにますねっ


今回のテーマの最終回にまとめて私の意見や主張を投稿しようと思います…


いかがでしたか?少しでもこれを読んでくれているあなたの仕事観の確立の手助けになれば幸いです!
それでは良い一日を〜




