いまだに「反応する言葉」というのはもちろんあって、

その都度、


「わたしはなんて言われた気がしたんだろう?」

と振り返ります。



こんにちは。

星野えみです。



博多でとんこつ




先日、晩ご飯時に

中学3年生になった次女がこんなことを言いました。


「反抗期、なんでうちはけえへんのかなと思ってたら、親と考え方が一緒の人は来にくいんやって」



ほお。。

なるほど。



確かに次女は、

今まで一度も反抗期のような時期がない。


それは、

彼女の明るい性格や

達観したような人柄のおかげかと思っていたけれど、


今のわたしと彼女の考え方は確かに基本的に似ているなぁと思い、

「なるほどねー」とわたしがいうと、


「なるほどな。うちとママは考え方真逆やからな」

と、たいそう派手な反抗期を過ごした長女が言う。



む。。。

ちくり。。。



長女の言葉に、

なんだか胸がちくりと反応して、


「えー?真逆かなー?ちょっとズレてるくらいちゃう?」とわたし反論。


だけど、

「ちょっとちゃうよー。正反対やん」と言われ、またちくり。



そうなんかー

むむー

そうかー、、


と、

なんとなく心が悲しい



あとで自室でひとりになってから、

なんでちくりとしたのか考えてみた。



「なんて言われた気がしたの?」



事実と

感情と

妄想は切り離す。



わたしの妄想は相も変わらず、

「わたしはダメなお母さん」



あはは

たいがいしつこいわ。



別に長女は、

「だからママのこと嫌い」とも

「だからママお母さんとしてダメだ」とも言ってないのだけど、


わたしが勝手に、

「娘の気持ちを分かってあげられないダメな母親」だとか

「娘を理解してあげられないから悲しませている╱嫌な気持ちにさせている」


なんて風に思ったんだなぁ。



相も変わらず、

「ダメなお母さん」の証拠探し。



わたしダメだなぁ

ちゃんとできなくてごめん


理想のお母さんになりたかったなぁ

理想のお母さんになれなかったなぁ


そんな憐憫にとらわれて悲しくなる時もある

けれど、


わたしと娘たちを俯瞰して見たら、

決して「ダメなお母さん」でもないよなぁと我に返る。



できないこともあるよ

ダメな所もあるよ


だけど、

全部がダメじゃないやん。



そんなふうに、

今日もお母さんしています。




博多でもつ鍋事件



今日も読んでくれてありがとう。


星野えみでした。