ひとって、
実は、
常に、
自分にとってメリットがある、
自分にとって都合のいい選択しか、
してない。
と言われたら、
どんな気分ですか?
わたしは「ぐへーーー」
こんにちは。
心理カウンセラー 星野えみ(えいみー)です。
自分を責める癖で苦しかった昔のわたしは、
実は、
自分を責める方がメリットがあったり、
都合が良かったんだと今なら思うのだ。
ひとに責められる前に、
自分で責めてる方が安全だと思ってたりとか。
どんなに自分の意図に反することでも、
自分の思い通りじゃないことも、
自分の理想通りじゃないことも、
目の前の現実全て、
実はそこにメリットがある
実はそうしたい
実はその方が自分にとって都合がいい
実は自分にとって意味がある
目の前の嫌な現実を、
そんな視点で見てみる。
と、
いや〜〜〜〜〜〜な気分になることもあるけれど、
面白い発見がある。
し、
実は、
その時に本当に得たかったものを、
得ていたりする。
から、「ぐへーーー」 なのだ笑
昨日、
「感謝してよ」みたいな怒りが湧いてくる時は、
感謝してくれない相手が悪いんじゃない
ということを書いたけれど、
ここでもそうで、
ひとは、
「感謝してくれないあいつが悪い」とか、
被害者になることで、
怒ったり
相手を責める権利が手に入るし、
「悲しい」とか言って、
慰めてもらえたり、
やさしくしてもらえたり
何かを許してもらえるメリットを得たりする。
そして、
ここからが大事なのだけど、
昨日の話にもつながるけれど、
人が、
自分の「本当はこうしたい」を横に置いて、
「こうした方がいい」
「こうしなきゃ」で決めたことって、
後々、
自分にしっぺ返しがやってくると思っている。
一番大切な自分自身を蔑ろにした、
その代償というか。
「あの時は、そうするしか仕方なかった」というのはきっとそうだろうし異論はないけれど、
いつまでもその言葉で逃げ続けるのではなく、
一度、
自分に嘘をついて、
自分を下げて、
自分を軽く扱っていた事実と対峙した方がいい。
あの時、
嫌われるのがこわいとか、
怒られるのが嫌だとか、
責められたくないからとか、
その場を収めよう、とか
自分が我慢すれば、とか
普通は、とか
そんな、いわゆる他人軸で決めた、
自分を蔑ろにした言動の責任を、
自分で取るということ。
あの時、
その言動を選んだ自分に対する、
自分から自分への謝罪。
あの時選んだもんは、仕方ない。
あの時は、
そっちの方がメリットがあると思ったんだもん。
わたしも、
たくさん、
そうしてきた。
誰かに気をつかって
怒られないように
責められないように
自分に無理をさせたり
自分に嘘をついて
その場が丸く収まればいいやって、
その時の自分に都合がいいと思う方を選んできた。
そんな自分を思い出しては、
これからの人生で、
どうしていくかだな、と
心の中で褌を締め直すのだ。
星野えみ(えいみー)でした^^
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