先日、
このような記事を書いて、
要するに、
誰かをかわいそうに思うことで、
自分の優越感や、過去の劣等感を満たしていくのは、
やめにしたいものだ
という、
ある種の自戒でもあったのだけれど。
こんにちは。
カウンセラー・心屋塾認定講師
星野えみ(えいみー)です。
いやーーー。
マンガにはまっていて、
ブログまで手が届かずの日々です( *´꒳`*)♡
あの記事に、
「かわいそうと言われるのが嫌いです」とか
「こんな時、かわいそうと言われて傷つきました」とかいうコメントもいただいたのだけれど、
まぁ、その気持ちはよくわかるのだけど、
そういうことよりも、
自分の中を、
きちんと見ていたいな、と思うのだ。
誰かを「かわいそう」と思う時の、
自分の気持ちの中。
そこに、自覚的でいたいと思う。
こいつをいじめてやろう、とか、
差別してやろう、とか、
そこに明確なマウンティングぽいものや、
相手を不快な気持ちにさせてやろうという意図があるものには、
意外とわたしたちは傷つかない。
それよりも、
優しさをまとった、
善良な気持ちで発せられる
差別のようなものの方が、なんとも言えないやるせない気持ちになる。
そんな、
無自覚な、悪意もない、
自分の中の「常識」で、
わたしも誰かを傷つけてきたのだろうな、と思う。
し、
どれだけ気をつけても、これから先も完全に回避できることはないだろうけれど、
少しは、自覚的でいたいなぁと思う。
この間、タイムリーに、
わたしのある状況を、無自覚に「かわいそう」と言われて、
びっくりはしたけど、
悲しい気持ちや、傷つくような気持ちにはならなかった。
あなたはそう思うんですねぇ
と思ったくらい。
なのでまあ、
同じ言葉であっても、
結局は受け取り手の心持ち次第ではあるのだろうけど。
さて。
今日は、娘2人の個人面談である(´・ω・)
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