足尾銅山坑道に入る・360年余の採掘に幕を引く・廃墟探検・日光温泉でスペイン人旅行者と談笑する
足尾銅山は、江戸時代以降、日本の銅産出の4割を占めたこともある有力な銅山でした。
江戸時代に「寛永通宝」の原料とするなど、足尾銅山の歴史は長かったのです。1973年(昭和48年)に、その360年余の歴史を閉じました。
その間 渡良瀬川の銅鉱毒事件を起こし、公害を垂れ流し、大きな社会問題となりました。
現在 廃墟となっている「足尾銅山」は 国の史跡として、我々に公開されております。
古河機械金属(株)足尾事業所が、「足尾銅山」を経営しておりました。
「足尾銅山」を閉山してから44年余り、社宅やら事務所やら、関連の建物は、無残にも廃屋となって、
そのまま 手入れをしないで残しておくと、無残にも、このような形になってしまうのです。
私は 無残な「足尾銅山」の社屋を見てから、
「足尾銅山跡」に入って行きました。まず、当時のトロッコに乗って、銅山の坑道に入って行きます。
ひんやりします。夏も冬も 坑道内は 温度が変わらないのだそうです。
江戸時代から 明治・大正・昭和時代に及ぶ「足尾銅山」。銅採掘の方法は、近代化されて来ました。
江戸時代には、鉱夫たちは 全て手作業で 銅を採掘しておりました。
大正・昭和時代には、採掘した銅鉱石を 細かく粉砕して、焼いて乾燥させて、高い「炉」の上から、粉状で落下させ、高熱で瞬時に溶かし、下に貯まった「銅」と「鉄」を 比重の違いを利用して、高い穴から「鉄」を取り出し、低い穴から「銅」を取りだしたのです。
私は 以前 非鉄金属の精錬会社で働いておりましたので、精錬については よく理解出来ます。
「ロータリーキルン」と申す長い筒の上から、粉砕した鉱石を落とし、高熱で、回転する筒の中で 鉱石を溶かします。下の穴から 比重に依って 分けられた金属と鉱石のカス(ノロ)とに 分けて取り出します。原理は同じです。
取りだした金属は、不純物を多く含むので、その後、電気分解して、純正な金属にしていきます。
こんな様子で、昔も 昭和時代にも、大変な職場で働いていたのです。
いい勉強になりました。夏だと言うのに、坑道内は とても涼しかったです。
この後、私は、日光市にある「温泉」で、汗を流すことにしました。「日光小倉山温泉」です。
最近は 外国からの旅行客が 大変 多くなりました。私が、この温泉に 入ると、何か 毛並みの違った外国人が 大勢 入っておりました。
私は 語学を使って、話し掛けることが、旅の楽しみでもあります。
「Where are you from?」「Spain!」と返事がありました。私は 以前 スペイン語を少々 学んだことがあります。「Puedo Hablar Espanor un poco」と話したら、大層 喜んで この外国人は話し掛けて来ました。
後は 英語を交えて、温泉の中で 会話です。20日間も、日本中を旅行すること。日光の名所旧跡より、この様な鄙びた温泉で 日本を楽しみたいのだそうです。
インテリたちで、スペインの弁護士さんや研究者さんたちでした。みな 若くて26歳だそうです。
ずいぶん老けてみえます。
撮影した写真は、アドレスを聞いておきましたので、後で送る約束をしました。日本で 世界の人々と交流出来ることは、私にとって、またとない楽しみであります。
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