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エホバの証人は1914年にキリストは天で王座に着いたと教えられています。


昇天後は1914年になるまでは神の右に座って待機していたかのように教えられますよね?


この聖句を持ち出して。


わたしの主に対するエホバのお告げはこうです。
「わたしがあなたの敵をあなたの足台として置くまでは,わたしの右に座していよ」。
詩編110:1


敵が足台とされるまでは右で待機していて、1914年に天で戦争が起こって悪魔サタンと配下の悪霊達が地に投げ落とされたことによって足台とされた、そして王座に着いたって教えられますよね?



ものみの塔2006年9/1号13ページ
110:1,2 ―「[ダビデ]の主」,イエス・キリストは,神の右に座している間に何をしておられましたか。イエスは復活してから天に昇り,王として支配を開始する1914年まで神の右で待っておられました。その間,イエスはご自分の油そそがれた追随者たちを治め,宣べ伝えて弟子を作る業において彼らを導き,ご自分の王国で共に支配するための備えをさせておられました。―マタイ 24:14; 28:18‐20。ルカ 22:28‐30。



啓示12章9,10も根拠にしています。


こうして,大いなる龍,すなわち,初めからの蛇で,悪魔またサタンと呼ばれ,人の住む全地を惑わしている者は投げ落とされた。彼は地に投げ落とされ,その使いたちも共に投げ落とされた。そして,わたしは大きな声が天でこう言うのを聞いた。「今や,救いと力とわたしたちの神の王国とそのキリストの権威とが実現した! わたしたちの兄弟を訴える者,日夜彼らをわたしたちの神の前で訴える者は投げ落とされたからである。



1914年に天で戦争が起こって、サタン達が地に投げ落とされたこと、それが「敵が足台になった」という意味だと解釈しています。


でも、1914年なんて本当は聖書的な根拠はまーったく無いし、少なくともパウロさんはキリストが王座に着いた時期について、こんな風に考えていたようですよ・・・


[神]がすべての敵を彼の足の下に置くまで,彼は王として支配しなければならないのです。
コリント第一15:25


つまり、、、少なくとも、パウロさんは詩編110編1節の預言の成就として、この発言をしているのでしょうから、敵が足の下に置かれるまでは待機ということではなく、王として支配するって意味だと解釈しています。


つまり、昇天後に右に座られた = 王として支配しているって思っていたって事では無いのでしょうか?


しかも、この「足の下に置かれる敵」は悪魔サタンや悪霊達だけではなく、文脈を見てみると最後の敵が死だと述べられています。


つまりそれまでは王としてずっと支配するって意味で言われているのではないでしょうか?


右に座すってのは”待機”じゃなくて、権威を行使するって意味じゃないの?


だから、昇天後に高められた、つまり、王としての権威を得たので「約束の聖霊を遣わす」って言われてたんじゃないの?


協会にとって、たぶん本当は都合の悪い聖句はこちら↓


[神]はわたしたちを闇の権威から救い出し,ご自分の愛するみ子の王国へと移してくださいました。
コロサイ1:13


ここで、”ご自分の愛するみ子の王国” って言葉が出てきますが、普通に考えたらこの言葉を根拠にイエスが王座に着いたのは、昇天後すぐで、西暦33年のペンテコステの時、つまり弟子達に聖霊を注ぎ出した際には神の王国の王だったという事になりませんか?


でも、神の王国 ≠ ご自分の愛するみ子の王国ってふうに説明しているんです。


たぶん、都合が悪いから。


そうしないと1914年って年代が意味なくなっちゃうから。


こんな風に説明しています。


洞察 第一巻 629ページ
「ご自分の愛するみ子の王国」  
イエスの昇天後,10日たった西暦33年のペンテコステの際,イエスがご自分の弟子たちに聖霊を注がれたことは,弟子たちにとって,イエスが『神の右に高められた』ことを示す証拠でした。(使徒 1:8,9; 2:1‐4,29‐33)こうして,「新しい契約」はそれら弟子たちに対して実施されるようになり,彼らは新しい「聖なる国民」,つまり霊的なイスラエルの中核となりました。―ヘブ 12:22‐24; ペテ一 2:9,10; ガラ 6:16。
キリストは今やみ父の右に座しておられ,この会衆の頭でした。(エフェ 5:23; ヘブ 1:3; フィリ 2:9‐11)聖書の示すところによれば,西暦33年のペンテコステ以降,イエスの弟子たちの上に霊的な王国が立てられています。使徒パウロは1世紀のコロサイのクリスチャンにあてて手紙を書いた際,イエス・キリストをすでに王国を持っている方として引き合いに出し,「神はわたしたちを闇の権威から救い出し,ご自分の愛するみ子の王国へと移してくださいました」と述べました。―コロ 1:13。使徒 17:6,7と比較。
西暦33年のペンテコステ以降のキリストの王国は,霊的なイスラエル,つまり神の霊的な子供となるために神の霊によって生み出されたクリスチャンを支配する霊的な王国です。(ヨハ 3:3,5,6)霊によって生み出された,それらのクリスチャンが天的な報いを受ける時,彼らはもはやキリストの霊的な王国の地上の臣民ではなくなり,天でキリストと共に治める王となります。―啓 5:9,10。


・・・長い説明ですが、つまり・・・


会衆の頭になられたこと、神の霊的な子供となる弟子たちの上に建てられた霊的な王国だとの説明がされています。


つまり、会衆限定の王っていう意味の説明をしていますよね?


・・・でも、これって、エホバの証人が1914年にキリストが神の王国の王となったと説明しているのと何が違うんでしょうか?


ほとんど同じに感じますが・・・


キリストが1914年に天で王として即位したんだとしても、治めているのは全世界ではなく会衆だけでしょ?


その年に「諸国民の定められた時」が終わったんだとしても、人間の支配は終わった訳ではないでしょ?


謎ですね~。


いつも疑問に思うのが、「エホバに歌う」の133番の歌詞、
♪諸国民の長きにわたる地の支配すでに終わりを告げた♪
って歌詞ですね。


諸国民の定められた時が終わったんでしょ?だったら人間の支配も終わってないとダメなんじゃない?って思ってしまう。


「お前はもう死んでいる!」的なかんじなのかな・・・



まあ、こんな説明しか協会はしていませんので、「エホバの証人は神の王国を現実に存在する政府と知っていますが、キリスト教世界は神の王国(御国)を人の心の中の状態だとしている」なんて馬鹿にするような態度を示すのは間違いではないでしょうか?


王国という意味のギリシャ語のバシレイアという言葉には、王国や領土という意味の他にも ”支配を受ける領域” という意味も有りますから。


つまり、地上の領土を持たなくても、個々のクリスチャンがキリストの支配を受けている事を指していると言えるので(新しい律法が心に書き記されている)、他のキリスト教諸宗派の方々が「私は御国の支配を受けている」と説明なさるとしても、間違いとは言えないのではないでしょうか。


その事について参照できる聖句

エホバなおもアロンこう言わた。「あなた彼ら土地相続持たない。彼らあなた受け分なるものない。イスラエルあっわたしあなた受け分,あなた相続ある。

民数記18:20


「イスラエル分かち合う受け分もしくは相続が,祭司,レビ人,すなわちレビ部族帰することない。エホバよる捧げ物を,すなわち自分受ける相続彼ら食べるべきある。

それで,その兄弟たちあっ相続ものなることない。その語らとおり,エホバ相続ある。

申命記18:1-2




聖書はキリストが再び来て地を裁くこと、その後に全地を治める王国となるって事が述べられていますが、今回の話は天での小規模な王権の話でした。


まあ、何だか難しい話になりましたが、皆さんはキリストが王座に着いたのはいつだと思いますか?



「ご自分の愛するみ子の王国」というのは「神の王国」とは違うものだと本当に言えるのでしょうか?


皆さんはどう思われますか?



《追記》


どちらが右ですか?

https://ameblo.jp/246-246-246-land/entry-12307842695.htm


右というのは位置関係を表しているのではなく、実際には力や権力を行使するという意味で使われているのでは?という話