先人は教えていました
私は教えていません
それは
形のあるものと形のないもの
私は形のあるものしか教えていませんでした
形のあるもの『読み書きそろばん』
目に見えるものばかりしか
教えていないことに気づきます
形のないものを教えることが
なくなっています
道徳科など
屁の突っ張りにもなりません
形のないものとは何でしょうか
人の幸せとは何か?
何故学ぶのか?
人の生きる道とは何か?
目に見える形あるものではないけれど
行動の指針となるもの
心の支えとなるもの
孟子は
『人は生まれて 学ばざれば、
生まれざるに同じ。
学んで道を知らざれば
学ばざるに同じ。
知って行わざれば
知らざるに同じ。』
と言っています
知識や技術を
身につけても
人の生きる道を
知っていなければ
身につけていないのと
同じ(使えない)ということです
形而上学も必要だということです
学力テスト学力テストと騒ぎます
人格は評価しにくいから騒がない
学校だったら教師、
家庭なら親
の個人的な責任にして
問題が明るみになった時だけ
対処療法する
ぽつぽつと
問題が明るみになっているということは
もう社会のなかに
内側から蝕まれている証拠
でももう気づきました
『読み書きそろばん』 と
『人の道』
を教えてこそ
教育ということに気づきました
小さい一歩だけど
学習指導要領には載ってないけど
カリキュラムにはないけど
やろうと思います
具体的にどうやればいいかなぁ