娘の14歳の誕生日。
そんな日に告知を受けた。
私は、肺がんもステージ4もある意味確信していて
転移も分かっていたから、告知を受けたのは?
父と母だけ。
ツーの告知を受けたのも私の誕生日で…
今回はらいむの誕生日。
またしても、あの頃が蘇る。
でも、3ヶ月前からディズニーランドへ
連れて行くと約束していたから
告知は行きたかったけど、母親であることを
優先しました。
まずは、娘の誕生日はちゃんと祝おうって。
予想はもうほぼついているから、私は不在のまま
ムンテラが始まった。
主治医からは、このまま治療をしなければ
余命半年。
オペは適用外の為、抗がん剤治療をススメられて。
それも、なんとなく予想はついていた。
でも、私にも構えてなかったことがありました。
父は、元々既往歴の中に
血小板減少性紫斑病を持っていて
それ以外に高血圧、糖尿っけもあり
さらに…
B型肝炎も持っていたことが分かった。
今まで、B型肝炎が出てこなかったのには
恐らく遺伝で、父は生まれた時から
B型肝炎をもっていたのではないか?ということ。
さすがの私も、B型肝炎まで持ってるなんて?
予想もしていなくて…
肺がん、ステージ4
既に骨転移も認められ、骨盤に転移していると。
そして、前立腺ガン。
前立腺ガンは転移ではなく、単体のものだろうと。
え??嘘でしょ⁇
転移じゃなくて単体??
悪い事が重なる重なる。
ただでさえ、血小板減少性紫斑病でも厄介なのに
B型肝炎もあって?
前立腺ガンですって??
果たして抗がん剤治療なんてして大丈夫??
ってすごく思った。
そして、驚くことに…
父が使う抗がん剤がツーと一緒で。
1番相性が悪かったシスプラ。
ツーの耳がある一定の音聞こえなくなったのも
視力低下したのもぜーんぶコレ。
ツーは、お箸も持てなくなり、当時は
私の介助がなければ、自分でご飯も食べれないぐらい
手足の痺れがあってダメだった。
腫瘍以外、何もない24歳の体力がある人でも
白血球は200まで下がり、血小板も減少し
貧血も増し、腎機能、肝機能も低下。
そんなにあらゆる部位にダメージをくらっても
57万なんて大金注ぎ込んで保険適用外の薬を
使っても、結果はほぼきいていないだった。
シスプラは、あまりにもダメージが強くて
うちでさえ中断した薬の一つなのに
こんなに既往歴があって
血小板なんて嫌でも減少するのに
それでこの抗がん剤ってさ。
正直…危ないよね。
余命半年どころか?
下手すりゃその前に急変なんてありえる話。
私にはとてもいい状態とは言えないと思った。。。
父と母は、ハッキリ言って何も分かってはいない。
私が大変な思いをした時
母は私にこう言った。
『そんなガンになるような人と結婚したあんたが悪い』
『母親のくせに子供の世話もろくにしないで母親失格』
と。
ツーのガンは肺がんのように数いるわけではなくて
100万人に一人のガンで治療薬も手探り。
父は3日の投与と言われて帰ってきたけど
うちは1週間丸っと投与で、お金も父の倍。
たかだか検査一つ15000円で目ん玉飛び出してる
父と母だけど、私は一つの薬に対して57000円。
更に高額医療8万、差額ベッド代、食事代
1ヶ月57000円の薬が2回投与されれば高額医療の
8万の他に10万超えの請求がきて絶句。
散々治療して、義足代に150万の請求。
24歳になったばかりの私につきつけられた現実は
今の父と母よりも遥かにキツく…
生物、生花、子供、犬、全てが接触ダメで
だから私は、子供を置いて無菌室に入りながら
ツーの看病を一人でしていたのに
そんな言葉を投げかけられた私は
誰にも頼る場所がなかったんだよ。
妹が言う。
お父さんとお母さんだって、ツーちゃんが
抗がん剤治療してるの大変だったの見てるでしょ?
って。
でも、この人達は、何も知らない。
私がどんな思いで、どんな現実を背負って
どんな環境で看護していたか。
介護していたか、生計を保っていたか、
どうやってお金も工面していたか。
何一つ。何一つ知らない。
見ていないし、分かろうともしなかった。
今、言い返してやりたいぐらい
本当は憎らしい。
お父さんがガンになって余命半年といわれた
気分はどうですか?
あの時、あなたは、私に毎日毎日暴言しか吐かず
地獄のようにキツい私達を見てこなくて
今、その立場にたった時、そのままそっくり
返してあげるよ。
『ガンになるお父さんと結婚したお母さんが
悪かったね!!!』って。
どれほど憎らしい言葉か?
思い知ったらいいんじゃないかって。
でも…
言えなかった。
私は言えなかったよ。
自分が死ぬほど辛かった言葉
自分の口から出そうになるぐらい憎らしい記憶だけど
言えなかった。
思ったけど、言えなかったよ。
辛いの私が1番よく知ってる。
不安なの私が1番よく知ってる。
誰も助けてくれなくて
何度も何度も星空に
キラキラ輝く星空に向かって
どーかどーか助けて下さい。
神さまは意地悪ですねって
泣き叫んでいた私が
そんなこと、言える訳もなかったよ。
でも、それとは反対に何も感じない自分もいた。
一昔前に経験している分
医療従事者だった分
現実をみすぎていて
悲しいも、辛いも、何も感じていない自分がいた。
薄情な娘…なのかな?
今よりこの何十倍も辛かったから
予想外な部分はあっても
冷静に受け入れてしまう自分もいて…
余命半年って凄く短いのよ。
治療ってすごくキツいのよ。
だから、お父さんはどうしたい?
外科は、今後の人生、自分でちゃんと向き合って
考えな。
治療するもしないも、お父さんが決めな。
治療をして、100%延命できる可能性は
ハッキリ言って分からない。
症状も、ケモの副作用も
人それぞれ。
そして、どんなにセカンドオピニオンをしても
2人の医師が余命一か月と言っても
2か月経っても生きてる人もいれば
余命半年を延命する為に治療をしたのに
半年も持たずして、3ヶ月で旅立つ人もいて。
全て、人それぞれ。
だから、一概にも治療が正しい訳ではないし
残りの人生、どう生きるか。
どう生きていきたいか。
本当に見るべきものはそこだよ。
私もツーも毎日全力投球でキツくたってやるのは
明日いつ死んでも後悔しないように生きる。
それがモットーだから。
皆んなを見送り、私達だけ生き残っているだけに
生きれなかった人達の分も精一杯
本気で生き抜く為に、そう生きようって
これをやりたいけど、こーだから諦めるじゃなくて
あれもこれもって欲張って全部やる。
どーにか、こーにかなんとかして全部やる。
無謀な事でも、命ある限りチャレンジする
チャレンジ精神を忘れない。
人生、同じ波は来ないから。
一つの波が来た時に、迷わずそれに乗る。
そう、私は決めたからよって。
私は何も知らない父に言った。
父は、そうか…と一言。