ドラマ『デフ・ヴォイス 法廷の手話通訳士』を観終わった今の熱い思いを、一体どう伝えればいいのだろう。
ドラマが始まった当初こそ、「おお、小説のタイトルが一面に」とか「ああ、原作と同じシーンが」などと感慨にふけり、知り合いのろう者俳優が日本手話で堂々と主演俳優と渡り合っているのを観るだけで涙ぐんでいたのだが、次第に、目の前に映し出されている映像が自分の原作であることを忘れた。いやもちろん完全に頭から離れるわけはないのだろうが、スタート当初のように自らに引き付けた感慨ではなく、ドラマとしての新鮮な「驚き」や「感銘」に変わっていったのだ。
まず目を見張ったのが、「構成」の素晴らしさだ。冒頭にタイトルを象徴するシーンをさりげなく置き、続いて前篇のテーマである少女の手話が描かれる。謎めいた始まりから一転して、以降は主人公・荒井尚人と恋人みゆき、彼女の幼い娘・美和を中心とした日常の描写になる。ほのぼのとしたスケッチになるはずのそれらのシーンは、しかし尚人が常に宿している陰のある表情により不穏な気配を漂わせる。やがて事件が起き、何森刑事を中心とした警察の捜査の行方と、尚人が新米手話通訳士としてろう者と交流する場面が交互に描かれ、観る者は一気に物語に引き込まれる。サスペンスフルな展開とホッとするシーン、緩急の付け方が絶妙なのだ。それは脚本に限ったことではない。演出も撮影も実に変化に富み、サスペンスフルでありながら温かい、という高度なテクニックで構成されている。