1,707年(宝永4年)宝永噴火によって、
富士山東南麓(御殿場口から須走口約4km)は、
それまで森林であったところが大砂礫地帯となった。
富士山の森林限界は2,500mであるが、1,400mで止まっている。
以来、約300年を経た今日でも緑は回復せず、
砂礫地帯のままである(写真1参照)。

写真1/98年10月25日の富士山
この地帯は、雪崩による崩落が続いている。
正式には、雪代と呼ばれているが、雪とともに、
凍った土砂までも崩落しているのである。今までは、
標高の高い位置で起こっていたため、その実態が実感されなかったが、
崩落の現場が徐々に下がってきて、その被害が山麓まで拡がってきた。
事実、スキー場のリフト崩壊、テレビ中継地の崩壊、道路の分断、
山小屋の崩壊などと被害が起こっている。最近では、
1,995年(平成7年)3月17日の被害は甚大であった。
幅3.5km、流下距離3kmを上回る大雪代で、
それまで標高1,450mまで上昇していたカラマツ林を粉砕破壊し、
およそ100年から150年間にも及ぶ植物の上部進出を15分程度で押し戻し、
その下端を標高1,200mまで引き下げてしまったのだ(小岩清水氏による)。
このまま放置すれば、
第二の大沢崩れになるのではないかと危惧されているのである
(写真2参照)。

写真2/太郎坊駐車場側の崩落場所
では、この崩落被害を少しでも防ぐためにはどうすればよいのか。
富士山をコンクリートで固めてしまうというのでは余りに無残である。
そこで、緑化によって、
すなわち、宝永噴火前までは、森林であったところだから、
その森林の復元を図ることによって、少しでも崩落防止を行おう。
そして美しい富士山の山容を後世に伝えていこうと言うわけである。
続く・・・
特定非営利活動法人富士山ナショナル・トラスト