キャッチフレーズは『フレッシュレモンになりたいの~!』
フワフワした芸風ですが、スターダストプロモーション→ボックスコーポレーション→AKB48と、事務所を渡り歩いている苦労人。
卒業するとブログが閉鎖されます。
ということでブログまとめ。
《市川美織:歴史編》
~週刊朝日(抜粋)~
小学5年生時、母親と原宿を歩いている時にスカウトされスターダストプロモーションに所属。
子役・ジュニアアイドルとして芸能活動を開始しました。
受けたオーディションは、軽く100回以上にもなります。
1日に2回受けることもざらにありました。
オーディションには母が付き添ってくれました。
その度にお仕事を早退したり休んだりしてくれたんです。
手続きや資料集めも母任せ。
掃除や洗濯などの家事もしながらですから、本当に大変だったと思います。
なのに私が合格できたのはほんの数回だけ。
それもエキストラ同然で、映画や舞台に出たり雑誌に小さく載った程度でした。
でもいつか運が向いてくるはず。
そう励ましてくれました。
中学2年生頃、そんな売れない時代を経験すること4年。
契約期間の更新が迫った頃、事務所から『もう更新できない』と告げられてしまいました。
もちろん私もショックだったのですけど、その夜に見てしまったんです。
家族が寝た後で声を押し殺して泣く母の姿を…
もともと私一人が芸能界に憧れていた訳ですが、そこまで付き合わされたら私の夢が母の夢にもなって当然ですよね。
自分の時間のほとんどを娘の夢に捧げている訳ですから‥
前の事務所を解雇されたあと、次にボックスコーポレーションに所属。
次に入った事務所には2年もいませんでした。
こちらも契約を更新して貰えなかったのです。
学校の帰りの駅で電話が鳴り、『残念ですが次の契約は結べないと思います』
あまりに急な通達に呆然として電車に乗る気にもなれませんでした。
うわ~どうしよう‥
お母さんになんて説明すればいいんだろう。
家に帰ると私は母に言いました。
家に帰ると私は母に言いました。
『おなか空いた~』
つまり、言い出せなかったんです(笑)
それからは、毎週通っていた事務所のレッスン日には『レッスン行ってくるね』と家を出て、
さて今日はどこで時間をつぶそうか‥、あの公園は先週も行ったしな、なんて状態です。
一度なんか、家を出ようとした私に母が『ついでに一緒にお買い物しよう』と誘ってきてヒヤヒヤしたり。
でもずっと隠している訳にもいかないし、そのうちバレてしまうだろう。
そこで私は決めました。
ただ悲しませるんじゃなくて、次のステップを自力で見つけてから母に報告しようって!
それから2ヶ月後、いよいよ母に伝える日がやってきました。
順序としては先に2つ目の事務所をクビになった報告をするべきだとは思ったのですが、やっぱり良い報告の方が言いやすい訳です。
私は母に向かって言いました。
『AKB48に合格したよ!』
そして、早口で悲しい方の報告とそれを2ヶ月黙っていた事を謝りました。
今までずっと支えてきてくれた母への私なりの“恩返し大作戦”だったんですけど、果たしてあれは成功だったのかどうか…
だって天国と地獄を同時に報告されてしまった母は、喜ぶべきか悲しむべきか怒るべきか褒めるべきか分からないかなり複雑な顔をしていたから(笑)
今でもたまに、母と二人でその日の事を想いだして笑いあってます。
市川美織
つまり、言い出せなかったんです(笑)
それからは、毎週通っていた事務所のレッスン日には『レッスン行ってくるね』と家を出て、
さて今日はどこで時間をつぶそうか‥、あの公園は先週も行ったしな、なんて状態です。
一度なんか、家を出ようとした私に母が『ついでに一緒にお買い物しよう』と誘ってきてヒヤヒヤしたり。
でもずっと隠している訳にもいかないし、そのうちバレてしまうだろう。
そこで私は決めました。
ただ悲しませるんじゃなくて、次のステップを自力で見つけてから母に報告しようって!
それから2ヶ月後、いよいよ母に伝える日がやってきました。
順序としては先に2つ目の事務所をクビになった報告をするべきだとは思ったのですが、やっぱり良い報告の方が言いやすい訳です。
私は母に向かって言いました。
『AKB48に合格したよ!』
そして、早口で悲しい方の報告とそれを2ヶ月黙っていた事を謝りました。
今までずっと支えてきてくれた母への私なりの“恩返し大作戦”だったんですけど、果たしてあれは成功だったのかどうか…
だって天国と地獄を同時に報告されてしまった母は、喜ぶべきか悲しむべきか怒るべきか褒めるべきか分からないかなり複雑な顔をしていたから(笑)
今でもたまに、母と二人でその日の事を想いだして笑いあってます。
市川美織