コロナ感染情報にガクッと不安がよぎり、
TVをつければ日本海側の大雪情報。
2020年は最後まで緊張が続きそうですが
そんな中でも
明るい未来を夢見て
今この時を精一杯生きる!!
(by にっしー☺︎♡)
自分自身を鼓舞するためにも
この言葉を思い浮かべ
背筋を伸ばそうとする毎日。
最近になり
にっしーで繋がったわけではなさそうだけれど😅
アメリカ🇺🇸にお住まいのブロガーさんが
どうしたことか
私のブログに遊びに来てくれました。
彼女のブログによくアップされる
アメリカのスーパーの食品の数々…
可愛らしい季節ごとの商品達。
お若いのに健康嗜好で愛情一杯のお料理💕
日本食もたくさん作られて
頑張っている様子。
毎日読ませてもらっていたら
まだまだ先の見えない
こういう状況だからこそなのか
アメリカに行きたい〜〜
という思いが
にっしーに逢いたい〜〜🧡
実家に帰省したい〜〜😫
と同じくらい大きくなってしまっています😩
思い出話を少し…
2000年4月〜2004年3月
私は夫の転勤で
アメリカ🇺🇸のニューヨーク郊外に
家族4人で住んでいました。
海外どころか日本国内でさえも
転勤はないかも…なんて思っていたら
ある日夫から突然転勤のことを聞かされ
とっさに出た言葉は
「 無理無理無理〜!!!
絶対に行きたくない。」
と、ある意味パニック(゚o゚;;
英語も全く話せない
車もペーパードライバー
日本大好き。
毎日子連れで会っている
気の合うママ友さん達に
会えなくなるなんて😖😢
環境の変化に超デリケートな当時5歳の娘と
まだまだ赤ちゃん同然な2歳の息子。
私にはむりだ〜〜〜
楽天的な姉からは
「えーー!!いいないいなニューヨーク♡
カッコイイ〜〜!!」と言われ
同じマンションの最上階に住んでいた
元CAのおっしゃれ〜なママさんからは
「いいなーひろっぺさん素敵💖
ニューヨークなんて羨ましいわ✨」
と言われ、
できるなら代わりたいです〜と本気で思いながら…
でも、
転勤を拒む絶対的な理由なんて
結局1つも見当たらず
不安だらけで日々は流れ🇺🇸🗽へ出発
お友達とは涙のお別れ😭😭
最初の5ヶ月間
嫌な予感は見事に的中。
日本人学校はとっても授業料がお高いので
補助のあまり出ないうちの会社では
2人通わせるなんて無理😓
ということで娘は現地校🇺🇸へ。
適応しようと頑張りすぎた娘は
すぐに精神的に参ってしまい
言動が不安定に
毎日接する私も同じく
4月〜8月の5ヶ月間は
いや〜〜本当に辛かった。苦しかった。
日本にどうしても
帰りたくて帰りたくて仕方なかった日々
そんな母娘を見ていた夫は
あーもう限界だな。
家族は日本に帰そう…と思ったそう💦
ある日の夜、
また爆発した娘に、私も爆発しながら
「ねえ、どうしていつも
そんな風になっちゃうの?⚡️⚡️」
と聞いたら娘が絶叫したの。
「だってママ、英語がわからない〜〜〜」
も〜〜〜😖😖
泣きました。
本当に心からごめんねって思いました。
私は大人だからここにきた事情は
十分に分かっている。
でも、5歳の娘に
この急激な環境の変化を理解できるはずがない。
周りのお友達は当たり前だけれど
皆英語を話し
しかも4月…アメリカでは
もうすぐ学年末でクラスも出来上がっている中へ入っていった状態。
娘のその叫びは
本当に本当に私の心のど真ん中に
グサリと刺さりました(◞‸◟)
その後どうなったかというと…
9月になり新しい学年、新しいクラス
そして日本人のお友達も一緒のクラスになり
再スタートとなった娘は
やっと笑顔が戻りどんどん適応して
家族で1人だけ英語をマスターし
帰国が決まった頃には今度は
「帰りたくない〜〜」
と言って泣いていました。
あ、、、私もね(^^;)
息子の方は
歩いて行ける
現地のナーサリー(幼稚園)に
10ヶ月間通わせていたのだけれど
こちらは
滞在時間中ずっと諦めずに泣いていたため
2年目の9月から日本人幼稚園へ。
すると嘘のように笑顔と明るさが戻り
めでたしめでたし
楽しかったね、良かったね☺️
でもそんな息子の方は
今となってはアメリカにいたことすら
よく覚えていないって💦💦
娘の現地の学校のこと
息子の幼稚園生活
一生忘れられないようなお友達との出逢い
季節ごとの楽しい行事
家族旅行
赴任後2年目に起きた
2001年 同時多発テロの衝撃と恐怖
2003年真夏の大停電
真冬の大雪と汗ばむほどの雪かき
夫の不在時に限って起こした車での事故💦
慣れないけれど頑張ったと言える運転生活。
そして最後まで聞き取れなかった
早口(に聞こえる)英語😵
渡米前は
あんなに嫌がっていた転勤も
今となっては懐かしすぎる思い出。
10年ひと昔と言うなら
20年も前のことなので大昔…かな
アメリカでのことは
もしも私が70歳くらいになっても
まだブログを続けていたら
回顧録で少しずつ書こうかな…
と思っていたことだったんだけれど
話を元に戻すと、
最近お友達になれた
ブロガーさんの記事を読んでいると
どうしてもどうしても懐かしく
あの日々を思い出してしまうのでした。
エネルギーで満ち溢れている街ニューヨーク
大自然もありながら
大都会でもあるニューヨーク
今はコロナで大変だけれど
一生のうちにあと何回かは
行ける時が訪れますに✨✨✈️
大好きなお友達に逢えますように✨✨
そういえば日本への帰国の時に
「日本に帰るとね、多かれ少なかれ
子どももイジメにあったりするらしいの。
あとね、日本に行ってから
アメリカでは…
アメリカでは…
と言っていると、
『でわの神』ってあだ名をつけられちゃうらしいから気を付けて」
なんて噂があり
いじめー?
でわの神ー?
絶対に嫌だ〜〜
と思って帰国したけれど
全くそんなことはなく
娘も息子ものんびりと楽しい
小学校生活を送ることができ、
私がでわの神と呼ばれることもありませんでした🤣🤣ホッ😅
じゃ、あとは70代の時に書きますね
🍎 🍎 🍎 🍎
そして、時は流れに流れ
にっしーに巡り逢い
そういえばあの頃の懐かしい写真を…
と、眺めていたら
あら?!?!?!
にっしーに
出会う前から西活していたみたいです
全くにっしーを意識していなかったからね
いやいや、その頃はデビュー前かしら?
西活とも言えませんね。
でも見つけて嬉しいお写真達。
グランドセントラルステーション
私が日本に帰国する直前に現地に永住している日本人のお友達が連れて行ってくれました。
当時の自分の服装が、え!?ニューヨークにいながらこのダサさは?と驚くほどダッサダサ
せっかくここに行っていたなら
↓
にっしーと同じことしたかったな。
仕方ない。全く知らなかったんだから💦😓
そして当時の
子ども達の天使の寝顔の写真を発見
自分のことは思いっきり隠すくせに、
どうせ20年前だからと載せてしまう母😅
だって、可愛いすぎた。
親バカと言われようと
バカ親と言われようと
最近の沈んだ心が一瞬にして救われた写真。
車の後部座席での寝顔。
なんてことだ!!
奇跡的に2人が折り重なっている!!😲
もう頼んでも
一生こんなことしてくれないわ
これを見たら、
出勤前バタバタの娘から
急にシワシワの洋服を渡され
「これ、急いでアイロンかけて‼️」
と、その言い方ねと思ったことなんて
すっかり飛んでいってしまいました。
昔、お姑さんから
「ひろっぺさん、子どもは小さい時の可愛さで、親に一生分の親孝行をしているのよ。自分の子は可愛い可愛いと言ってあげてね。親しか言わないんだからどんどん言っていいの。」
と言われたことを思い出しました。
この1枚の写真、宝物にしよう
(今まで忘れていたけど)
クリスマス前の素敵な発見でした。
そして、来週はいよいよ…
楽しみに待っていますよ〜💖🧡
時には昔の思い出に浸りながら
前を向いて進もう!!
と思った一日でした。
色々なことで
心も身体も寒さを感じる毎日だけれど
ちょっとでも心穏やかに思えることが
何かしらあるような
毎日でありますように