1980年当時、パソコンは大手企業などではある程度普及はされていたと思うが、町の個人経営企業ではまだまだ浸透していなかった。

その頃高校3年生だった僕は、任天堂ファミリーコンピューターに夢中だった。
ただ単にゲームが楽しいだけでなく、どうしてこんな小さな箱がこんな映像を作り出し、カートリッジを替えるだけで様々なことができるのか不思議でならなかった。

よく小さい頃は目覚まし時計や氷枕などを分解したり、切れ目を入れて中身が飛び出たりと、よく母親に呆れられていた。

そんな好奇心の塊みたいな少年だった僕はファミコンに飽き足らず、ゲームだけでなくプログラミングをしてみたいと考えるようになっていった。友達から当時で処理速度最速だった富士通のFM-7を売って貰い、簡単と言われていたbasicというプログラム言語を勉強していったのだった。

寝ても冷めてもパソコンのことばかり考えていた。

ある日の授業の課題で、将来の夢?だったと思うが、そのタイトルで作文を書きましょうというのがあった。

僕は当然、パソコンについて熱く説明し、将来パソコンに関わる仕事をしたいと書いた。

当時、担任だったのは女性の美術教師。

後日、赤ペンのコメント付きで作文が全員に返されたのだが、

僕の作文に対してのコメントはこうだった。「パソコンは趣味に留めておきましょう」

愕然とした


少なくても、数学の教師だったらIT社会になる予感ぐらいはしていたはず。

同僚の数学教師に、こんな夢を持ってる生徒がいるというのを話しすらしなかったのか。

IT革命が起き、パソコンの普及率が物凄かったのは今や誰でも知っていること。

◯◯えもんや楽天社長など成功者が続出した。
まさか、電話機がパソコンに匹敵し、個人間のコミュニケーションツールとなり、カメラにもなり、音楽も聴けるなんて当時からは想像できなかったはずだ。

ただ、それにしても、1美術教師が生徒の夢を趣味と切り捨てたのはいかがなものか。


僕はシステムエンジニアやゲームプログラマー、様々な選択肢があったはずだった。

日本のスティーブジョブズとまではいかないまでも、IT企業でエリート街道を歩んでいたかも知れないのに、軽率な教師の言葉に邪魔をされた。

もちろん、押し通さなかった僕もダメだったのだが、明らかに先見の目がなさ過ぎな担任だったと思う。

当時よく耳にしたのが、銀行員だ。その高校はお世辞にも偏差値の高いところではなく、銀行員になるのがエリートだと思っていたフシがあった。

恐らく、考えられるのは、登校からエリートを出したいという学校の身勝手な都合の押し付け。

生徒の夢を作文に書かせたのは、できもしない夢を見るなとの確認作業をしたかったのでは?

できもしないだと?

ちなみに僕は常に学年トップの成績だったが何か?

人のせいにしても仕方ないので、これくらいにするが、どんな職業でも法令順守している企業なら人の世に貢献してるのだし、若者が夢を持って自分は将来こうしたい、ああなりたい、それを後押しするのが大人たちではなかろうか。

まともな会社なら、志を持った若者を喜んで採用するだろう。高校教師に進められて訳分からず入社し、会社の歯車になっていくような者を企業は望んでいないはず。

なぜなら、会社は人であり、人が会社を作り、会社は社員の為にあるのだから。