合唱―
それは、いまの自分の中で、大きな部分を占めるもの。
それは、いま自分が夢中になっているもの。
それは、自分の趣味。
私にとって、今のところ
合唱は”生きがい”ってまでもいかないし、あえて自分の中での合唱の位置を言うならば、
”趣味”なのかなって。
”趣味”っていうと、なんか軽く感じるけども。
昨日、同期の子が言ってました。
「合唱は、苦しい」って。
去年くらいも、同じ事を聞いた気がする。
その子が言うには、うまくならなきゃっていう強迫観念みたいなものがあるんだそう。
合唱を、今以上に楽しむためには、やっぱり”うまくなる”必要があると思うし、自分ももっとうまくなりたいと思う。
”うまくなる”ことで、より高いレベルにいくことで、和音の精度も上がるだろうし、よりその曲の伝えたいことがうまく伝えられると、そう思うから。
でも、別に”うまくなる”必要もないと思う。
でも、それは完全な”自己満足”の世界にとどまるだけにすぎないのではないか、そう思う。
決め手になるのは、自分たちがどこでもって「楽しい」を位置づけるか、そこにあると思う。
合唱に関わらず、上を目指すにあたっては、きっと、際限がないものだろう。
だから、私は、今の状態に満足することは嫌で、常に上を目指し続けたい、そう思う。
これは合唱に限らずだけど。
ある後輩がよく、「妥協はしたくない」って言ってて、自分もそれと同じ事を思うけど、
でも全てを完璧にこなすことなんてできなくて、そんな能力が自分にはなくて、
それに気付いて、大事なもののどれかを犠牲にしないといけない、そうなったとき
それらを認めたくなくて、苦しくなる。
いま、自分が合唱にとりつかれてる理由を考えたとき、
やっぱりそこにあるのは、仲間の存在。
みんなで体から離れた”声”というものを互いに合わせあい、ひとつのものを作り出す。
それは、一瞬の芸術とも呼べるものである。
自分が合唱がすきなのは、
やはりそこに理由があるのだと思った。
私は、合唱が好き。
それは、いまの自分の中で、大きな部分を占めるもの。
それは、いま自分が夢中になっているもの。
それは、自分の趣味。
私にとって、今のところ
合唱は”生きがい”ってまでもいかないし、あえて自分の中での合唱の位置を言うならば、
”趣味”なのかなって。
”趣味”っていうと、なんか軽く感じるけども。
昨日、同期の子が言ってました。
「合唱は、苦しい」って。
去年くらいも、同じ事を聞いた気がする。
その子が言うには、うまくならなきゃっていう強迫観念みたいなものがあるんだそう。
合唱を、今以上に楽しむためには、やっぱり”うまくなる”必要があると思うし、自分ももっとうまくなりたいと思う。
”うまくなる”ことで、より高いレベルにいくことで、和音の精度も上がるだろうし、よりその曲の伝えたいことがうまく伝えられると、そう思うから。
でも、別に”うまくなる”必要もないと思う。
でも、それは完全な”自己満足”の世界にとどまるだけにすぎないのではないか、そう思う。
決め手になるのは、自分たちがどこでもって「楽しい」を位置づけるか、そこにあると思う。
合唱に関わらず、上を目指すにあたっては、きっと、際限がないものだろう。
だから、私は、今の状態に満足することは嫌で、常に上を目指し続けたい、そう思う。
これは合唱に限らずだけど。
ある後輩がよく、「妥協はしたくない」って言ってて、自分もそれと同じ事を思うけど、
でも全てを完璧にこなすことなんてできなくて、そんな能力が自分にはなくて、
それに気付いて、大事なもののどれかを犠牲にしないといけない、そうなったとき
それらを認めたくなくて、苦しくなる。
いま、自分が合唱にとりつかれてる理由を考えたとき、
やっぱりそこにあるのは、仲間の存在。
みんなで体から離れた”声”というものを互いに合わせあい、ひとつのものを作り出す。
それは、一瞬の芸術とも呼べるものである。
自分が合唱がすきなのは、
やはりそこに理由があるのだと思った。
私は、合唱が好き。