「やぁれやれ…だ。
やっとこさ、これで今年も無事に暮れんねぇ。」
横から差す西陽の黄に朱が混じり始めた頃、ふと、誘われる様に見遣ると、元々の赤ら顔が余計にあかく、寒い時期なのに、ぽたりぽたり、汗を垂らしている。
「あれ、そんなに汗掻いちゃ、もっぺん下衣を替えなきゃなんなくなっちまうよぉ。」
次第に大きくなる緊張が、纏う空気を、びりびりと震わせ始めたので、見慣れた姿に笑い掛けたのだった。
ぎょろり、と張り裂けんばかりだった目が、更に一瞬、闊-かっ-と睨んだ後、ほんのりと綻-ほころ-び、口許から歯がこぼれた。
シューシューと熱い息が漏れる。
-ほぅら、ご覧な。
こうして見ると、案外、可愛い顏じゃないかぇ-
そんなところに惚れたのだと、繕い物の手を止め、茶盆を引き寄せる。
「それにしても、今年も、そこそこ忙しかったねぇ。」
「まぁ、よ…」
身仕度の手を早めながらも、応えてきた。
「俺らが忙しいのは、まぁ、それが世間様ってもんなんだろうぜ。」
「そうだよねぇ…」
嬉しくなって、こちらも口を出す。
「頼まれりゃ、こっちも喰ったりしないしねぇ。」
「おうよ。」
笑い声が重なった。
表は、つるつると、朱-あか-が濃さを増していく…
「おめかしさえすりゃ、ちょいとしたもんだし、さ。」
「どこのどなた様よりも、こんな顏ってな。」
「そうさ、あたしだって娘盛りん時ゃあ。」
にっ、と笑て見せた。
興に乗ったか、向こうも鼻の穴を膨らませながら、傍らの道具を掴んで立ち上がった。
「こいつさえあれば、百人力よ。」
釣られて、そちらを見遣る。
「おや、今日は金棒かぇ。
刺股-さすまた-、両刃鋸、薙刀に斧、いっぱい使ったねえ…」
ふと、遠い目になった。
もうずっと、生まれ落ちた時から、憎まれ続けて来た。
時には持ち上げられもしたが。
だからこそ…
-必死だったねえ-
しかし、どんな目に遭っても、どうしても死ねなかったのだ。
少し、頭-かぶり-を振った。
「ねぇ、お前さん…
世間様はさ、どんな目が出るか知れたもんじゃないから面白いんだよねぇ。
そいでこそ、あたしらにも出番があるってもんだし。」
「おうよ。
向こうさんが銭のある時しか、仕事をくんねえが、な。」
「あんまり明日の事を云っても、笑っちまうしねぇ。」
「念仏唱-とな-えても、しゃああんめえ、だ。」
「そうだ、そうだ。
けど、お前さん、すこぅしばかり縮んだねぇ。」
「おぅ?そうかね。」
普段は気にも留めていないのだが、その顔には、なんとはなしに、皺が刻まれつつあった。
はっきりと、ではないが、体つきも、幾分かは縮んでいる。
己れも同じ様なものなのだろうと、こんな日には、永い永い歳月-としつき-を思う。
そろり、表には薄紫が被さって来たか…
-暮れるのは早いねぇ-
だが、しかし、あまりにも永い。
「何でぇ、どうした?
涙なんか流しやがって。」
「だって、いくら丈夫ってったって、たまにゃあ寝込んだりするじゃないか。」
「そりゃ、おめぇ…
あんだけ、何べんも首を取られりゃ、まぁ、よ。」
云いながら、手で擦っている。
太くてごつい、丸太の様な毛むくじゃらの腕。
暫し目を留めた後、涙を拭いて顔を上げた。
直-じき-に、街は葡萄色…
「どうしたぇ?
仏さんみたいな顔をして。」
「おきゃあがれ、どうで俺達ゃ、世間様は渡っちゃあ行けめぇぜ。」
「そうだね、仕方ないよね。」
「おうよ。
たまぁに留守をする位が丁度良いのさ、俺達は。」
「まぁた、そんな事云って。
角、折りな。」
「おめぇこそ、な。」
二人して、安普請を揺らす程笑った。
「さぁ、お茶が入ったよ。
突っ立ってないで、おこたにお入りよ。」
「おうよ。
今日は一丁、一世一代の大暴れをしてやるぜえ。」
「馬鹿お云いでないよ。
毎年のこっちゃないかさ。
せいぜい、派手に追っ払われてやんな。」
とっぷり暮れれば、出番が来る。
今日は節分。
仲の良い、鬼の夫婦である。
初投稿 2016年2月29日
写真及びハッシュタグ追加 2024年2月3日