韓国に戻っています。

心も落ち着いてきたのでブログを再開します照れ

まずは日本最終日の出来事から。

滞在中の思い出は後々ゆっくりとコーヒー

 

 

10月14日、とうとう日本を去る日が来てしまいました。

 

 

最後の4日間は夫も来日し、私の家族の熱烈な歓迎を受けました。すっかり日本の家族の一員となった夫を見て、私はとても誇らしく、今まで以上に夫を愛おしく感じました。

 

 

(この人を選んでよかった。)

 

 

 

 

 

夫が運転するレンタカーで、娘と3人、両親宅へお別れの挨拶に行きました。

 

 

到着すると、両親宅の前に一台の消防車が止まっていました。ちょうど降りてきた隊員を目で追うと、彼は両親宅の玄関を躊躇なく開け、中へ入って行きました。

 

 

さらにもう一人、後を追うように降りてきた隊員に、私は慌てて声をかけました。

 

 

私「すみません、何があったんですか?」

 

 

隊員「転倒ですね。ベッドから落ちたようです」

 

 

消防車から降りてきた彼らは、防火衣ではなく通常の制服の上から医療用の使い捨てガウンを身につけていました。彼らは、火を消しに来た消防士ではなく、救急車が出払っていたため消防車を使って母の救助に駆けつけてくれた救急救命士でした。

 

 

私「わたし、娘です!」

 

 

セアを抱っこして、私は隊員に続いて両親宅に入りました。

 

 

まだ車内にいた夫には最小限の説明を投げかけました。夫は心配そうな表情でしたが、慌てることなく私に中へ急げと促してくれました。

 

 

 

 

 

家の中には、更にもう数人、救命士の方達がいました。

 

 

そして母は、床にいました

 

 

ほぼ無表情で、仰向けに寝かされていました。

 

 

『無表情』の母は、目だけで私に訴えてきました。

 

 

『落っこちちゃったの。〇〇ちゃん(私)、どうしてこんなことばかり起きるの?助けて。』

 

 

 

 

 

ようやく救急車が到着し、母が救命士によって運ばれていきました。

 

 

まさか、ここでお別れ!? 救急車に乗る母に手を振って去るの!?

 

 

母の目は私をしっかりと見つめて訴えていました。

 

 

『〇〇ちゃん、帰らないで。ずっとそばにいて。』

 

 

私と母の無言のやり取りが全て聞こえているかのように、父が苦笑いで言いました。

 

 

父「飛行機に乗りなさい。」

 

 

 

 

 

救命士たちは、救急車の中で母の受け入れ先を探していました。

 

 

ここから車で往復1時間はかかる大学病院か、最寄りの救急病院かの二択でした。私は母の手を取り、最寄りの病院に決まるよう祈りました。そこだったら出発までの時間もう少し一緒に過ごせるから。

 

 

そして最寄りの救急病院が受け入れをOKしてくれました。

 

 

 

 

 

検査を一通り済ませ、母の無事が証明されました。

 

 

医師「怖かったね。でも大丈夫だからね。」

 

 

優しい医師と看護師たちに囲まれホッとした母は、先ほどとは違った表情をしていました。私が韓国へ帰ることを受け入れてくれた表情でした。

 

 

セア、夫、私の順に、母は手を握りしめて「愛してるよ」と言ってくれました。

 

 

実の息子同然に思っている夫にも、韓国語で言いました。

 

 

母「사랑해요. 다시 만나요. (愛してるよ。また会いましょう)

 

 

夫は短い滞在期間中、毎日母に会い、毎回別れ際に「사랑해요(愛してるよ)と言ってもらっていました。

 

 

夫「こんなに愛を伝えてもらえるなんて・・・僕は一生忘れない」

 

 

 

 

 

私たちは予定通りに韓国行きの飛行機に乗りました。

 

 

夫も私も、泣きませんでした。

 

 

これが最後じゃない。

 

 

心の中で、私たちはそれぞれに日本移住を決意し、前だけを見ていました。

 

 

 

 

 

読んでいただき、ありがとうございます。

次回からは、日本の兄妹たちとその家族との楽しすぎた思い出について書いていきます音譜

 

 

 

それではまた、次回。

 

23rdmonth