今週末は、夫の従兄弟が泊まりに来てくれていた。

40代半ばで恋愛とは無縁な彼は、無類の子供好き。彼の周囲のベビーラッシュは10年ほど前に終わっていたので、セアの誕生をそれはそれは喜んでくれた。

 

初めのうちは人見知りをしていたセアだけど、夜は「サムチョン(韓国語で叔父さん)ぐぅぐぅ」と呟きながら眠りに落ち、朝はベッドを出るなりリビングで寝ている叔父さんめがけてダッシュ歩く週6日働く叔父さんにとって唯一寝坊できる日を、朝7時にスタートさせたパンチ!

 

セアに初めてのニックネームをつけたのもこの従兄弟君。彼はセアを「ジュジュ」と呼ぶ。何でジュジュなの?と尋ねると、

 

従兄弟君「だってもう、セアはジュジュジュジュ〜飛び出すハートって感じなんだもんね〜飛び出すハート

 

とのこと笑い泣きよくわからないけど、言葉にできない想いが詰まってるってことね笑

 

 

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この従兄弟君と私の夫は共に「長男」だ。

土曜の夜はジュジュ立ち上がるが寝た後、自宅で夜な夜な飲みながら、かなりショックな「長男話」を聞いた…。

 

二人とも1970年代生まれだが、その頃の韓国はまだ、親戚一同が一つ屋根の下で暮らすことも珍しくなかったそう。彼らの家は、夫の父方の祖母を筆頭に、そのお祖母様の子供たちと配偶者、そして孫たちで構成されていた。夫はお祖母様の息子の長男、従兄弟君はお祖母様の娘の長男。お祖母様にとってこの二人は自分の息子たち同様に宝なのだった。そして、このお祖母様の「宝」と「そうでない子供達」の差別化は激しかった。中でも私が聞いて一番ショックだったのは、食事についてだった。

 

まず家での食事。お祖母様は自分の息子たちと二人の長男孫たちに牛肉を中心とした晩餐を食卓で振る舞った。そしてその他の男孫たちには豚肉やキムチなどを別の食卓で食べさせた。そして女孫たちには、男孫たちの残飯を与えた。

 

そしてお弁当。孫たちが小学生の頃のお弁当はお祖母様が用意した。長男孫たちは毎日ステーキ弁当、その他の孫たちは肉なしのキムチ弁当だった。ある日、従兄弟君とそのすぐ下の弟が、お互いの弁当箱を間違えて持って行ってしまった。昼食時、従兄弟君はいつものようにステーキ弁当を期待して弁当箱を開けたところ、中身がキムチとご飯だけなのに首を傾げた。何かいつもと様子が違うな?と思いつつも、お腹が空いていた彼は完食した。そして図らずも兄のステーキ弁当を手にした弟は……泣きながら家に帰った。弟は、兄が毎日ステーキ弁当を食べていたことを知らなかった。その事実を知り、傷つき、泣いて母親に訴えたという。(長男たちもまた、この日自分たちの弁当が特別だったことを知った。)

 

夫と従兄弟君は、このエピソードを笑いながら話した。大人になって会う回数も減り、久しぶりに会って話すことと言えば思い出話くらいだ。お祖母様の命日が近いということもあり、思い出話に花を咲かせたまでだろう。ふと横を見て、ドン引き&絶句状態の私に気づいた夫は慌てて「これが当時の韓国なんだよ〜あせるあせる」と弁解。

 

私は悪意のない長男たちの思い出話にケチをつける気持ちはなかったので、眠気を理由に寝室へ退散した。

 

お祖母様の大事にしていたものが何だったにせよ、それが継承されることはなかった。むしろ、私の妊娠がわかった時、親戚一同皆口を揃えて女の子を願った。この家族にお姫様を迎えたい、可愛がってあげたい、という思いがあったのかもしれないチューセアが誕生して初お披露目の際は、海外在住の親戚まで皆が集まり祝福してくれた歩く

 

唯一、兄たちの残飯を食べて育った従姉妹ちゃんだけは今も実家に近寄らない。遠く離れたところで、旦那様と二人の子供達と幸せに暮らしているそうだ。「あの子は今ポルシェに乗っている」と従兄弟たちは話していた…にっこり

 

 

娘と私とのカフェデートにハマっている夫。週末は朝起きてまず「カフェ行こうビックリマーク爆笑

韓国は次々に新しいカフェが誕生するので毎週でも飽きませんチュー

 

はい、こちら秋ですイチョウ

一晩で半袖が着られない季節に変わり、娘の長袖服を買いに走りましたランニング(昨年の服はサイズアウトでほぼ全滅チュー)

 

 

読んでいただき、ありがとうございます。

ではまた、次回。

 

23rdmonth