3月9日は父の誕生日。

毎年誕生日近くなると、自ら告知をするお茶目な父。

今年の告知内容は:

 

 

「3月9日は韓国の大統領選挙ですね。お父さんの誕生日だ。」

 

時事に絡めてきたー!しかも韓国のー🇰🇷!

 

 

こうして毎年送られてくるユニークな3月9日の告知を、私は結構楽しみにしている。

これまでで一番のお気に入りが、今日のタイトルでもある「サンキュー」だ。

 

 

「3月9日はお父さんの誕生日です。サンキューの日です。」

 

 

「お父さんに感謝する日だよ」という意味ではなく、単に3(サン)9(キュー)の日だと自分で気づき、面白いと思ってシェアしただけ。彼はそういう人なのだ。それでも私はその年以来、彼の誕生日を感謝の日としても迎えるようになった。

 

 

父には感謝することが山ほどある。

 

 

父が海を越えて私の元へ来てくれたことが3回ある。

 

1. 大学の卒業式(イギリス)

2. 元夫との結婚式(イギリス)

3. 敗血症でICUに入り、明日までの命かもと言われた時(ベトナム)

 

 

大学の卒業式に来ると言われた時は驚いたものだ。卒業後、少し時間を置いて行われる卒業式を、私は仲間たちとの再会パーティくらいに思っていたのだ。式場に現れた父は、Graduation Hat (卒業式で空に向かって投げる例の四角い帽子)を被った私を、大きな目をキラキラさせて見つめていた。その表情を見て、私はこのイベントが彼にとってどれほどの意味を持っていたのかを知った。

 

 

私と元夫との結婚式は、4人兄妹で初の結婚式だった。こちらで用意した燕尾服は、父には袖が長すぎた。貸衣装と一目見てわかる姿に、緊張の面持ちで、父は私の手を取りバージンロードを歩いた。緊張しすぎてどこまでも前進し続ける父を、私はぎゅっと腕を引っ張り止めたのを覚えている。披露宴で彼は『屋根の上のバイオリン弾き』の結婚式のシーンで歌われる曲、『サンライズ・サンセット』を英語で歌った。「私の小さな娘、いつの間にそんなに大きくなったの。」私とは面識のない夫の友人たちまでもが涙を流しながら静かに聞き入っていた。

 

 

2017年11月、私はベトナムにいた。突然、何の前触れもなく背中に激痛が走り、動けなくなった。腎臓結石だった。石を除去する手術のため1泊2日で入院。簡単なオペだったし、私は家族に知らせようとも思わなかった。その手術が失敗。細菌は全身に回り、肺が潰れ、「今夜が山場だ。家族は?」という医師の言葉を私はポカンと聞いていた。友人から知らせを受け、父は飛んできた。父は、私の容態が落ち着きICUを出られるようになるまで、初めて訪れるベトナムで、ホテルと病院を行き来する生活を送った。退院時、仲良くなった看護師たちは口を揃えて父を絶賛した。医療ミスで命を落としかけた娘の父親が来ると聞いて、病院サイドはかなり覚悟をしていたらしい。さぞかし怒鳴り散らされ、訴訟も起こされるだろう、と。謝罪と説明を終えた執刀医に、父は「これから娘は健康を回復し生きていけるのか」と質問した。そして医者がはっきりと「はい」と答えるのを聞いて席を立った。

 

 

生まれつきの研究者である父は、常に一番の関心事のみに集中している。それ以外のことには無頓着だ。その性格が災いし、社会的には成功していると言い難い父だが、私は尊敬してやまない。「おもしろい事」と「愛する人」しか存在しない人生を、目を輝かせて生きているから。

 

 

父はまた近々、私の元へ飛んで来ると言う。

元気が生まれる時だ。

 

 

2022年サンキューの日

お父さんへ、愛を込めて。

 

 

23rdmonth

 

 

父の手、私の手