「ライ麦畑でつかまえて」(The Catcher in the Rye)の作者。
91歳で老衰なら良かった。世間を厭い世捨て人のような半生だった。
でも、けっして寂しい人生じゃないな。
彼は自分の書く小説の主人公、ホールデンやフラニーそのものの人
だったに違いない。だから欺瞞に満ちた社会生活から離れた。
91歳まで生きて老衰で亡くなったなら良かった。
厭世生活が出来るのも本人の技量に依る。ある意味うらやましい。
私は村上春樹の訳はなじめないな。やっぱり野崎孝氏が好きだ。
都会的なシャープな文章の中に、哀愁と愛のある訳が好きだ。
でも、村上春樹人気で、みんなが「ライ麦。。。」を読むなら良いか。
主人公のホールデンの視線に私は深く共感する。
寄宿学校の校長が、週末に生徒を迎えに来る金持ちの親だけに
良い顔をするのを見逃さない。大人の嘘を観る。
ルームメイトの洒落者は、身なりにばかり気を取られているけど、
洗面台のヘアーブラシはいつも汚い。それがとても嫌だ。
「フラニーとゾーイー」のフラニーは、私の最も好きな主人公だ。
彼女は彼の、上っ面のインテリが受け入れられない。
私の青春のスタートには、サリンジャーやカポーティー、日本では
村上春樹があった。それらを読み耽ったことは、今の自己形成に
非常に大きな意味がある。私の精神の宝の部分でもある。
良い小説。映画でもいい、しかし小説はその世界を想像する分
無意識層により強く残るようである。心に焼きついて離れない。
サリンジャーは私にとって、カポーティーやアーウィン・ショーと共に
「生きていることがお洒落」と教えてくれた人だ。
『春とはいえ、まだ冬の底冷えするような寒さのプラットホームで、
彼はバーバリーの裏無しコートにカシミアのマフラーをして、
彼女を待っていた』。。。
そのような描写だけで、いかに彼が気障で、インテリぶっていて
人目を気にする人物かを表現する。
どの小説もそうだろうが、サリンジャーの小説も、読み手の感覚レベル
で相当違ったものなる。カシミアや裏無しコートを知らない人には
作者の言いたい意味は読み取れない。
そして年月をおいて再び小説を読む度に、また違うものを見せてくれる。
彼の小説は私の心の中だけでなく、血となり肉となって生きている。
ありがとう、サリンジャー。貴方のおかげで今の私があります。
合掌。
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