こんばんは。
32期の柳井華(エイト)です。



ラクロスに対して真面目で、分からないことは分かるまでとことん突き詰める性格のウミ。

この4年間、喧嘩が始まりそうな雰囲気になったこともあるし、かと思えば、2,3時間は軽く電話してラクロスの話をしたりと仲がいいんだか悪いんだか。辛く大変な時期を共に乗り越えてくれたウミには感謝です。これからもよろしく。






遂に、引退ブログの順番が回ってきてしました。
幹部陣の間に失礼します。
明治女ラクの一員として書くブログもこれで最後です。拙い文章ですが、「想い」が伝わればと思います。最後までお付き合いください。




日頃より、明治大学女子ラクロス部を支えてくださる保護者・OGの皆さま、関わってくださる全ての方々、多大なるご支援と応援をありがとうございます。引き続き、弊部の応援をよろしくお願い致します。



またコロナ禍の2020年に入学、入部した私たちがたくさんの観客の皆さまの前でプレーすることが出来たのは様々な方々のご尽力あってこそのものです。大きい会場でプレーできること、大きい声を出して応援できることは当たり前ではありません。関わってくださった全ての皆さまに感謝申し上げます。



そして、この4年間、先輩方のブログを何度も読み返しました。先輩方が残してくれた言葉は説得力があり「明日も頑張ろう」と活力になっていました。私も誰かの力になれたらと思います。





いつの日か、

ユリに「えいとさんは思想が強い」と言われましたが(笑)
頭の中にあることについて書いていこうと思います。




私は、


①行動し継続すること
②最高のパフォーマンスをするための準備
③自分は何をしたいのか意志を持つこと


について書いていきたいと思います。

 



①「継続は力なり」


これは私がこの4年間を通して、体現しようと思っていた言葉であり、大好きな言葉です。


みんなは「変わりたい」って思った瞬間はありますか?

その瞬間を覚えていますか?


私はこの4年間で「変わりたい」と何度も思ってきました。

・オンライン時代のトレーニング期間
(きつくて、ズルしてたこともありました。TR陣の皆様、すみません🥲。)
・1年生の時のVリーグ
(試合開始1分ほどでガス欠してベアさんに呼ばれるMD時代)
・21明治最初のAB分けでBだった時
・1年生の冬オフ期間の大晦日
・新人戦で負けたとき
・20ユースの選考に落ちた時


この6つは1年生の時の話です。

2~4年生の間にもたくさんありました。

中でも、大きなターニングポイントは
1年生の冬オフ期間の大晦日 と 3年生での合宿 の2つです。ここでは、前者について書きます。



大晦日の夜、ランニングをしようと思い立ちました。近所のファミマの前で、ふと「私の課題が体力であることは明確。そう分かっているのに、変わるための行動をしないで、また試合後に体力負けしたとか反省出すのかな。そうやって来年1年間を過ごすことになるのかな。」と頭を巡らせ、行動をしない自分に腹が立ちました。
何もしなかったら1年後、後悔すると思い、そんな自分が嫌で、とにかく走りました。
冬オフが終わった後も、毎日ランニングをして2か月間毎日続けました。


私がしたことは「走った」だけです。
でも、それだけでもオフ明けの練習に成果が見えて、嬉しかった。
距離とか速さはどうでもいいです。
続けたかどうかが大事だと私は思います。
5㎞でもいいし、2㎞でもいいし、100mでもいいから毎日続けること。
それが、2か月後の自信を作ったと思っています。


もう一つの「継続は力なり」エピソードは、聞き飽きたと思うけど、トレーニングです。


1年生か2年生の頃からあっちゃんのもとでお世話になりました。当時、1か月に1回ほどの周期で行っていたけれど、それ以外は何もしていませんでした。でもある時、一緒にトレーニングに行っていたチャイのフィジカルが変わり始めて焦りました。フィジカルが変わって、プレーが変わっていく様子を近くで見ていました。それから、私はとにかくコソ練をしました。そもそもフィジカルって数か月後にやっと成果が出てくるもの。それなのに1か月に1回のトレーニングで何を求めていたのか。今考えると、「私はトレーニングをしている」という事実にだけ満足していたように思えます。そして、数か月後、コソ練の成果が見えてきました。それをプレーに落とし込むのも大変だけど、着実に変化していると実感が出来て楽しかったです。



これだけ書いていると、ただただトレーニング頑張ったよ!しか伝わらないと思いますが、違います。私がトレーニングしながら考えていたことは「4年後のために」ということ。1年生には伝えたね。明治女ラクにいれば、リーグ戦や日本一をどれだけリアルに捉えられるかは人それぞれだと思います。でも、数か月後のAB分けとかのためにトレーニングなんかしなくていいと思う。数年後、自分たちが4年生の代で日本一を獲るためにトレーニングに励めばいいと思う。4年生になるまでの期間を無下にしているわけではなく、それだけフィジカルを変えることは長期戦だということ。4年生になってから始めても遅くはない。でも、どうせやるなら今からやればいい。そしたら数か月後、胸を張ってフィールドに立っていられると思います。
栄養も忘れずに!🍙


(トレーニング仲間の3年ピィと4年チャイ)



②「準備」

チャンスはいつ来るか分からないから、いつでも掴めるように準備をしておくこと。
チャンスだと気づくために、チャンスを作り出すために準備をすること。
練習のどの場面を切り取って、評価されるか分からない。いくら言い訳をしても今できる最大限は「これ」だと評価される世界。
それなら、いつでもベストパフォーマンスを発揮するために出来ることは全部やるしかない。小さいことから大きいことまで。誰にでもできることだし、当たり前のことだけど、それをやるかやらないかが鍵を握ってる。


例えば、
・自分の身体の癖を知ること
・初めて行くグラウンドや天候によってはトレシュー、スパイクを2足持っていくこと
(今年、何度も言ったね😉)
・試合前アップは汗をかいてもいいように着替え、また防寒具を用意すること


これ以外にも、ラクロスに関連付ければ、
同じランシューでもDFがいるかいないか、トイメンなのか2枚目3枚目のDFなのか、Gのポジショニング、様々な要因を想定して練習すること。試合で1回起きるか起きないかということを練習しておくこと。

戦術等の準備以外でも、出来ることはたくさん存在すると早く気づいたもん勝ち。






③「自分は何をしたいのか意志を持つこと」

私は、23明治で、よく、強気だと言われました。
それがなぜかと言われれば、私はこうしたかったという意思があったからかなと思います。
(理不尽に強気でいたときもありました笑

 それはごめんなさい、反省しています😌)

けど、ラクロスは正解がないスポーツなわけで、

見方を変えれば一つのプレーに対して私と他の人で意見が違うのは当たり前だと思う。
だからこそ意見を言い合って、意見を取り入れて、どっちを選択すべきか考える。

二度と同じ場面は起きないけど、似ている場面が訪れた時により場面や状況にあった方をやってみればいい。
自分自身のプレーに対してアドバイスを貰ったら、すぐ受け入れることも大事だと思う。

素直に受け入れられる人の方が伸びるかもしれない。普通はそうだと思う。

けど、その人の考えが120%正解なわけじゃない。いつしか、みんなの正解に合わせるようなプレーをするようになっていくのは違う。正誤はないからこそ自分がやりたいプレーの軸は常に持っていてほしい。そのうえで、チームがやろうとしているラクロスに合わせていけば良いと思う。

あくまでも、自論なので聞き流してくださいね。









最後に、簡単に4年間を振り返りたいと思います。

2020年3月、自ら明治女ラクのX(旧Twitter)にDMしました。新歓も何もなかったあの時期に、ラクロスなんてどんなスポーツか知らなかった時になぜか。


それは、女ラクのHPに「日本一」という文字があったからです。ラクロスは知らないけれど、その3文字が輝いて見えました。



「日本一」に憧れたことがきっかけで私のラクロス生活が始まり、当時は想像していなかったような悔しいことも嬉しいことも辛いことも楽しいことも様々な経験をしました。

オンライン練習は筋トレから始まり、カメラの角度を調節していたのもいい思い出です。


ラクロスの全体像を知らないまま、家の中でクロスを持ちボールを飛ばし怒られた日々。

対面練習が始まり、楽しい気持ちと焦る気持ちが半々。

年表みたいにこの部での出来事は延々と書けるし、
書くべきではないことも書きそうなので、

気になる人は個別で連絡してください✉️。



こんな言い方は良くないかもしれないけど、

メンタルをへし折られることは日常茶飯事。


その経験を通して、何を感じて、

どう行動するかが大事。 


こういうことは、行動することが大切って言うべきだと思いますが、変わりたければ行動することは当たり前。ただそこから、継続できるかどうかがその先を分けると思う。




この部活で日々過ごしていれば、色んな人からアドバイスや指摘を貰います。
私は恥ずかしいことに、自分の変わるべき点について他人に言われても変えることが出来ませんでした。

ただ、課題に自分で気付いたとき「そんな自分が嫌だ」と思い、行動しました。

振り返ったときに、胸を張れる自分でいたいと強く思ったからです。




2年生の時は、部に迷惑をかけてしまい、

本気で辞めようかと思いました。

今生きていることに感謝します。

それでも連絡をくれて励ましてくれた先輩方ありがとうございました。おかげで、引退できます。




(飛んで、22明治)
22明治 FINAL4 vs慶應

試合終了後、慶應が肩を組んで歌ってた。
絶対にここに帰ってきて慶應を倒してやる、そう誓いました。


あっという間に、23明治が始動。

まず初めに、決めたことを最後まで突き通せず、不甲斐なかった。

ただ、22明治での経験を通して、一プレーヤーとして、「点を取ってチームを勝たせる」ことにこだわりたかった。

23明治始動してから六大戦までプレーもひどかったし、「こんなんで大丈夫かよ」って自分自身にも半信半疑になっていました。

でも全てに区切りがついたとき、気持ちも整理できました。



その分、大きなものを背負わせてしまったみんな、ありがとう。


それからはシュートをとにかく練習して点を獲ることだけ考えるようになりました。
フィア、ジェロ、ミラ、ユリ、ジョー、ラテ、レオありがとう。(たくさん当ててごめんね)
そして他大のプレーヤーから盗めるものは盗み、おかげで、フリシューが楽しくなった。




2023年7月
これまでの先輩方のお陰で開幕戦の舞台で試合ができることに感謝し、挑んだ慶應戦。

昨年の学生王者との戦いにワクワクしました。




1点取っても勝てない。2点取っても勝てない相手だろうと。ならば、勝つまで点を取るしかない、そう思っていました。


結果は引き分け。
あの1点を決めていれば、あそこのクロス位置が良ければ。結局、小さな一つひとつの個人のプレーが勝敗を分けていく。昨年学んだことなのに、準備が、意識が足りなかった。


でもまだ日本一への道がある。
得失点差。


成蹊戦で思うように得失点差が伸びず
迎えた横国戦。


絶対に油断してはいけないし、勝ちたいから躊躇う必要もない。


無事得失点差がつき、
慶應と中央の試合結果で明治のfinal4進出が決定。





結局、準備不足。
全部、昨年も今年も私は準備が足りなかった。
たった1回起こるであろう場面を想像して
そのための練習を1回でも10回でも100回でもしていれば。

決して、final4の舞台に魔物がいるわけではありません。いつも通りプレーできるよう準備できているか。一球に対する冷静さ、判断力も欠けていた。
準備なんて当たり前だよって、そうなんだけど、これでもかって準備しきって戦ってほしい。


試合前、今日は何点取りたい!って

目標を立てている人多いと思う。
私ももちろん考えてた。
でも、一人が1点を取って勝てる試合もあればそうじゃない試合もある。
そうなったときに、勝つまで点を獲る
自分のプレーでチームを勝たせる」と、そう思ってほしい。チーム全体を底上げして、層を厚くして強くしていくことは絶対に必要。それと同時にあなたが一点でも多く得点すれば、一つでも多く、プラスなプレーをすれば、勝ちに近づくのだと。






4年間過ごしてきた中での、様々な失敗には「こんな自分が嫌だ」と奮い立たせてくれて感謝しかありません。大きくても小さくても、その事実に対して悔しいと思えるか。自分はこんなもんじゃないと大口たたいて、その発言に見合う行動ができるか。


私の場合、


ユースが全てじゃない。明治で活躍してやる。
今に見てろ。
肩書きが全てじゃない。
点とってプレーで明治を勝たせる。


そんな想いを沸々とやしてた。


"エイト" という名前は「無限の可能性がある」という意味を持っています。

この4年間を通して、少しでも証明できたでしょうか。
チームを日本一に導けなかった。
けれど、行動次第で着実に変われる。
それは私が証明した。
間違いなく、継続は力なりだと。
あと、4年生でも遅くない。変われるよ。
てことは、1年生2年生3年生であるみんなはまだまだいくらでも成長できるってこと。
いいな。羨ましい。
でもね、私も負けないくらいこれからも成長するから!😏



前を見ても後ろを見ても味方がいる。

センターサークルからみんなを見渡す時間が最高です。





色々と書きましたが、結局

ああああああああーーーーー
23明治楽しかった!!!
みんなとラクロスができて最っ高に楽しかった!


一緒に戦ってくれてありがとう。
もっと長くみんなと23明治でラクロスがしたかった。

23明治で日本一とってトロフィー掲げたかった。
私たちは、日本一とったらたくさんの人から連絡が来て新聞に載ったりするって何回も想像するよね。

でも実は連絡が欲しいわけでも新聞に載りたいわけでもない。
みんなと長くラクロスをしたかった。トロフィー掲げたかった。ただそれだけなのかもしれない。











明治でやるラクロスに意味があった。
みんなありがとう。








コーチ陣
最高学年として、チームを引っ張るには頼りなかったと思います。その事実に対して、真っ向から意見を伝えてくれて、学年としても個人としても変わるきっかけを作ってくれて感謝しています。本当にありがとうございました。

後輩たちへ
もっと一緒にラクロスがしたかったです。できることなら、もう1年。一緒に日本一を獲りたい。本気になって、共に駆け抜けてくれてありがとう。1年後、一緒に笑わせてください。

ずっと応援しています。
そして、裏で女ラクを支えてくれていたみんな。ありがとう。

部員(33期34期35期)の保護者の皆様へ
23明治の応援ありがとうございました。この4年間、保護者の方々の応援からたくさんのパワーをいただきました。是非、娘さんたちの試合に足を運び、ファンになっていただけたら幸いです。今後とも熱い応援をよろしくお願いします。

先輩方へ
コロナ禍で入部し、たくさんの心配をかけてしまった代だと思いますが、遂に引退です。良くも悪くも横一列に並んでいる代と言われたり、厳しい意見もいただきました。チームにどう向き合うべきか考えるきっかけを何度も与えていただき感謝しています。先輩方が声をかけてくれる言葉に4年間支えられて来ました。本当にありがとうございました。これからはOGの仲間入りです。よろしくお願いします。


同期へ
めげずに4年間走りきったね。
プライベートでもたくさん遊ぶわけじゃないし、仲が悪いと思われることもあったけど、実は一番仲がいい学年だと思う。
そして、32期の末っ子である私をこれからもたくさん甘やかしてください☺️。よろしくお願いします。


バイト先の皆さま
4年間通ったバイトもあと少しです。
みなさんに見守られ、甘やかしていただき、いつも美味しいご飯を作っていただきました。私の身体の8割は賄いでできてます。部活後、仕事ではなくお腹空いてご飯を食べに行っていたと言っても過言ではありません。
皆さんと話したり接客してる時がリフレッシュの時間でした。
より成長してまた皆さんに会えるよう頑張ります。
ありがとうございました。


両親へ
毎朝5時に起きておにぎり作って持たせてくれて、他学年や同期の親と積極的に関わってくれて、一緒に喜び一緒に泣いて、何より1番のファンでいてくれた母。部への差し入れを張り切って用意してくれて、疲れた時は送り迎えしてくれた父。ここ2年の試合は皆勤賞です。ありがとう。試合から帰宅すれば、既にビデミを終えている2人。私よりもラクロスにのめり込んでいたのでは?と思うくらいラクロスが好きになってく2人を見ていてなんだか不思議な気持ちでした。
私は部員の前でも言ったことあるけど「
両親を最高の舞台に連れていく」ことが原動力の一つでした。叶えられず不甲斐ないです。ですが、そんな中、横浜スタジアムに立つチャンスをいただきました。私1人では立てなかった舞台、23明治みんなの力あってこそのもの。感謝を忘れず、大学生として最後のラクロスを楽しみます。見ていて下さい。

チャイへ

23明治を引っ張ってくれてありがとう。

開幕戦の前日に長文でメッセージを貰ったね。

もっと長く一緒にラクロスをしたかった。

仲良しこよしというより、言い合いしてる時間の方が長かった気もする。目を輝かせて、日本一の話をしてる時間が忘れられません。叶えたかった。掴み獲りたかった。

方向音痴でも自分を信じて1番前を歩く、そんなチャイが好きです。これからもよろしくね。






📮明日は、32期のお姉さんフィアの番です。

いつもシュー練に付き合ってくれてありがとう。

お互い負けず嫌いだから、聞いてもないのに、ミスしたらまず言い訳から話し出したり、どっちかがいいプレーしても認めなかったり、バチバチしたね。ほぼ口論でした笑

ゴーリーと会話をするってどういうことだろうって思ってたけど、フィアのおかげでゴーリーをよく見れるようになりました。本当にありがとう。これからもよろしくね。






明治大学に入学して、4年間体育会に所属するなんて当時は思ってもいませんでした。
ですが、こうして4年間を振り返り、明治女ラクに入って良かったと心から思います。

この4年間、綺麗ごとを並べるだけでは書き表せません。

転んで、泣いて、起き上がり、

耐えて、踏ん張って、笑った4年間。
明治大学女子ラクロス部でやるラクロスが、

みんなとやるラクロスが最高に大好きでした。
4年間ありがとうございました。



#8 柳井華 エイト