「夏山や

雲わいて

石横たはる」

子規の句




これも十数年くらい前の作品かなぁ

今見たら

配字が面白いなと

思えてきたけど。


あの頃も

何にも出来なくて

「智恵子抄」の

智恵子さんみたいに

和紙を切ってばかりいた。


紙を無心で切ることは

ちょっと気持ちが

落ち着く。



智恵子さんに和紙を差し入れた

光太郎さんは凄いなと

ちょっと

「智恵子抄」を理解したように

思えるほど

自分自身も

意外にも本当に落ち着いたように

思えた。




かなり和紙の切りくずが

貯まった時に

一応何かの形にして

貼っておこうと

葉書に適当に貼っているから

この作品も

和紙の貼り方に何の意味もない。


素敵な作品を残された

智恵子さんと比べるのは

おこがましいが

確かに和紙の手触りと

ハサミで無心に

好きな形に切っていくのは

気持ちが良かった。





またそんな葉書が貯まった頃に

ちょっと字を入れてみようかと

筆を持った。


というのが

十数年前だから

和紙を切り出していたのは

二十年くらい前かも(笑)



今や

朝一番には

身体がきしんで

指先などは強張って

グローブでもはめているような

感覚だから

ハサミなど持ったら

大変な事になりそうだ。



年相応に身体を使って

日々を暮らす大変さって

無理が出来た若いときには

考えられなかったなぁ。