なぜ関西から帰京してこの日に?ですが、この日は昨年12月のダイヤ改正で不定期運転となった京成電車の“シティライナー”の臨時運転最終日だったこと、それはAE100形の運用終了(数日前から京成トラベル主催のさよなら運転ツアーの募集告知がありました)であることを意味していたので、あまり使わないJR東海の東海道新幹線で前日のうちに帰宅し、ちょっと早起きして行ってきた次第です。
成田方面まで行ってしまうと、一旦帰宅しての出勤準備が忙しくなってしまいますので、手っ取り早く、かつ先客の方をあまり気にしないで撮れる千住大橋駅から町屋駅寄り(このあたり唯一の踏切より町屋駅方)で撮影することにしました。
それでは撮影順に・・・
3500形3585の京成高砂行き普通
一時期は京成電車の最大車両数を誇った3500形も、未更新車で年度を越すのは、オールステンレス製のこの編成のみになるようです。
3600形3611の成田空港行き特急
一時期、芝山鉄道へリースされていた編成です。
3500形3525の京成臼井行き普通
3500形でも、1996年以降更新修繕を実施した編成は今後も活躍が続くものと思われます。更新修繕は初期導入の編成から着手し、全96両中、1974年導入分までの56両に施工した時点で方針変更により中止されたため、1976年以降導入の40両は未更新のまま残る(2003年以降廃車開始)ことになりました。そのため、結果的に経年の高い初期車が残り、経年の浅い後期車が先に廃車されることになりました。もっとも更新車も近年は、3000形増備によって8両編成は昨年までに解消したことで都営地下鉄浅草線や京浜急行電鉄への直通や快速特急・特急・通勤特急などへの充当がなくなり、現在は6両編成と4両編成のみの組成になっているため、普通と6両編成の快速のみに運用範囲が縮小されています。
AE形AE2-1の成田空港行き“スカイライナー”
こういってはナンですが、意外と寿命の短い京成電車の有料特急、成田スカイアクセス線開業に併せて導入された現行のAE形はいつまで活躍できるのでしょうか・・・
京成電車の有料特急は1952年運転開始の“開運号”から始まっていますが、初代“開運号”の1500形は既存車を整備(1941年導入)して充当したものの、運行開始翌年には1600形就役によって早くも予備車扱い→1963年に一般車化→1967年に新京成電車へ譲渡と、京成電車としては導入当初から数えて一般車化後も含めて26年で廃車、1953年にリクライニングシートと車内テレビを装備して導入された1600形は「向こう10年は他者の追従を許さない画期的な車両」という触れ込みながらも10年も経たないうちに陳腐化してしまい1967年に引退して一般車化、一般車化で車体を載せかえるものの1982年までに廃車され30年足らずの活躍、その後に続く3150形と3200形のクロスシート車は10年足らずで初代AE車による“スカイライナー”へその任務を託してロングシート化、1972年から導入された初代AE車は、成田空港の反対派による妨害活動や利用客低迷に振り回され、空港輸送がうやく好調になったと思った頃にAE100形に代替されて20年程度で引退し3400形へ改造、そしてAE100形は成田スカイアクセス線開業によって京成本線経由として設定された“シティライナー”に転用されるものの、東日本大震災と利用客低迷によって次第に運用が縮小されついに引退・・・。小田急電鉄や近鉄電車ですと有料特急のまま30年以上現役でいる現状を見るとそのように感じてしまいます。もっとも小田急電鉄や近鉄電車の有料特急でも10数年で廃車された車両もありますが・・・
AE100形AE-138の回送
前面の非常脱出口の錆びが痛々しいです・・・
AE100形AE-131の京成成田行き“シティライナー”
1月31日は、1月最後の土休日ダイヤ実施日、すなわち昨年12月のダイヤ改正で不定期設定となった“シティライナー”の臨時運転最終日でした。2月21日と28日に運転されたさよなら運転では、前面非常脱出口にヘッドマークが掲出されたため、すっぴんでの運転はこの日が最後でした。
AE100形亡き後の来年正月以降の臨時“シティライナー”は、当然のことながらAE形での運行になるのでしょうか?。それとも“シティライナー”を完全廃止として一般車による特別料金不要の臨時列車の運転、あるいは現状の一般車の一部運転区間延長のみでの対応になるのでしょうか?
午後の上り列車も撮りたかったのですが、有給休暇が取れなかったので、この後一旦帰宅して午後は出勤していました。