1995年、3000系だけの井の頭線 | ヘタレ車掌の戯言

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ご無沙汰しています。先日の選挙では残念ながら与党大勝利でしたね。もっとも、有権者数に対して投票したのはその半分ちょっとで、そのうちの3分の2程度の得票率での勝利ですから、これが国民の選択といえるかどうかは疑わしいですね。棄権した方の大多数の意見として、「どうせ変わらないよ」「めんどくさい」があるかと思いますが、実際に全有権者の中で4割に満たない方の選択であったとしても、政治の場ではそれが国民の選択という判断になりますから、今後も自信を持った自民党のやりたい放題の政治が続くことでしょう。法人税が下がる一方で国民の支払う税金は増加し、景気対策の名の下税金の無駄遣いが横行し、国民主権・基本的人権を尊重した憲法は国民を縛る内容のものに捻じ曲げられ、集団的自衛権行使の方向へ進みいずれはいつか来た道に進んでしまうのかもしれません。自民党のキャッチフレーズの中に「日本を取り戻す」というのがありますが、これは戦争の道へ進んでいったあの時代を取り戻すと言う意味ではないかと勘ぐっております。そのための改憲でしょうし・・・。
アベノミクスやら景気対策云々も、まずは企業が優遇され、国民は2の次3の次ですよね?
投資家や企業レベルで景気がよくなったという声は聞こえてきますが、生活者・労働者レベルで豊かになったという声はあまり聞こえてきませんね。

有権者の皆さん、選挙に行きましょう(笑)

さて、タイトル通りの本題です。
東京の渋谷と吉祥寺を結ぶ京王電鉄井の頭線は、現在、1995年度から導入された1000系が活躍していますが、それまでは1962年度から導入された3000系が活躍していました。
3000系は1962年度から導入が始まり、編成単位としては1987年度(その後事故廃車代替として1991年度に1両追加導入)まで永年に亘って導入が続き、1984年以降は1000系の導入が始まる1995年まで井の頭線全編成が3000系に統一されていました。1000系は井の頭線車両の大型化のために導入された車両で、その代替として1995年度以降、3000系の廃車が始まり、2011年度を以て全廃、現在は1000系に統一されています。
1000系導入によって井の頭線を追われた3000系は、オールステンレス製の18m級の車体に全国的に広く採用されている1067㎜軌間が買われ、多くの車両が国内のいくつかの地方私鉄に譲渡され、今も活躍しています。

撮影したのは1995年8月のある日で、この時は“朝専用”な編成を撮影するため、前日、当時の母方の実家(仙川)に泊めてもらい、朝早く出て高井戸駅に向かいました。

今回は撮影順ではなく編成ごとの製造順で掲載していきます。

まずは“朝専用”なお方から・・・


3000系クハ3751の渋谷行き普通
1962年12月に導入された3000系のトップナンバーです。東急7000系(初代)、南海6000系に続く東急車輛製のオールステンレスカーです。東急7000系南海6000系とともにアメリカのバッド社とのライセンスで製造され、車体構造のみならず屋根上のFRP製の通風器やディスクブレーキが特徴的なパイオニア台 車などに共通点が見出されます。が、前2者と大きく異なるのは前面上部のFRP製のマスクで、ここに編成ごとに違う色を着色することで無彩色で単調になることを回避しています。1本目となるこの編成ではブルーグリーンに着色されましたが、当初はもっと濃い色合いだったようです。この編成ごとに違う色を着色するということが評価され、翌1963年度に鉄道友の会からローレル賞を受賞しています。
当初は4両編成でしたが、井の頭線5両編成化に対応するため、1973年度に中間電動車デハ3100形を増結し、併せて冷房化も実施しています。増結したデハ3100形は界磁チョッパ制御を採用、車体が後年の増備車と同様のものとなったため、両引扉を採用し、車体幅が広く車体長も長くなったため不揃いな編成となってしまいました。扉が片引で車体長も短い(1両あたり連結器含めて32㎝、編成で約1.5m短い)ことから、1984年の3000系統一後は原則的に平日朝ラッシュ時のみの運用となりました。1996年1月に1000系と入れ替わるように引退し、両先頭車は中間電動車から電装品と台 車を流用して石川県の北陸鉄道へ譲渡、中間電動車のうちデハ3100形(上の画像の手前から2両目)は両端に運転台を新設して静岡県の岳南鉄道(現・岳南電車)に譲渡されています(デハ3051とデハ3001は解体)。


京王3000系クハ3751改め北陸鉄道8000系モハ8801の内灘行き 粟ヶ崎~蚊爪間にて2014年6月28日撮影


3000系クハ3752の渋谷行き普通
1963年10月導入のこの編成では、京王線5000系に影響されたか前面はアイボリーに着色されました。3701Fと一見同様の仕様に見えますが、両者を比較してみると、前面の手すり配置が若干異なります。3000系の後に導入された京王線5000系がオールステンレスカーではなく普通鋼製の塗装車となった背景には、京王線の方が踏切事故の件数が多かったことや、当時オールステンレスカーが製造できるのは東急車輛だけだった(5000系は東急車輛製の他、日本車輌製や日立製作所製があります)こいう背景があったと言われています。このあたりは南海電車が南海本線に普通鋼製の70007100系を導入しつつ高野線にオールステンレス製の60006100系を導入していたのと似たような現象ですね。
この編成も3701Fと同じような経歴を辿り、1996年1月に1000系と入れ替わりで引退、両先頭車は北陸鉄道へ譲渡され、このクハ3752は8000系モハ8802として活躍しています。また、中間電動車の内デハ3100形は岳南鉄道に譲渡されています(デハ3052とデハ3002は解体)。
3000系渋谷駅と吉祥寺駅との間の往復がほとんどの運行であるだけに、京王線ほど側面の表示が必要でないと判断されたのか、永らく側面表示幕がなく、急行は先頭車側面に[急 行]と表示された板を掲出するのみだったこともあって、1977年度導入の3718Fまで前面の表示幕も手動操作でした。1979年度導入の3719Fで初めて側面表示幕を新設、併せて前面表示幕も電動化され、既存の編成も1982年以降改造されましたが、3701Fと3702Fについては、稼働率が低いからか前面表示幕の電動化はされたものの側面の表示幕新設は省略されていました。台 車についても、パイオニア台車が井の頭線の線路の相性がよくなかったようで、1966年度以降、中間電動車では一般的な軸ばね式台 車へ変更(既存編成では交換)、先頭車へ集約しましたが、これも1982年以降、軸ばね式台 車に交換が進められました。が、3701Fと3702Fでは交換が見送られ引退時まで先頭車にパイオニア台  車が残っていました。


3000系クハ3754の渋谷行き普通
1963年度には3000系が3編成導入されましたが、12月導入の3703F(サーモンピンク)以降、車体関係でマイナーチェンジがあり、京王初の両引扉を採用し、車体幅が拡幅され車体長も1両あたり50㎝長く(但し、連結器は両端で18㎝短くなっていますので連結器を含めた全長は+32㎝)なりました。車体幅が広くなったものの、駅のホームは従来からの規格のままなので、車体の裾は京王線5000系みたいに絞られています。画像の3704Fは1964年3月導入で前面はライトグリーンに着色されました。1960年代?に電動車の台 車交換1972年度に中間電動車デハ3100形を増結して5両編成化と冷房改造、1980年代半ばに側面表示幕新設と前面表示幕電動化、先頭車台 車交換などが実施されています。また、この編成では1986年度にデハ3054の車体が軽量オールステンレス構造のものに載せかえられています。この画像ではわかり難いかもしれませんが(編成中央、前からも後からも3両目)、雨樋が新設されている一方で側面上部の水切りがなくなり、窓下のコルゲートも減っています。
1996年2月に1000系と入れ替わりで引退し、両先頭車は中間電動車から電装品と台 車を流用して北陸鉄道へ譲渡され、8000系モハ8902として活躍しています。中間電動車は1986年に車体を新造したデハ3054も含めて解体されています。
1986年にデハ3054が車体を新造して載せ変えたのには諸説がありますが、東急車輛でオールステンレス車体の経年劣化を調査するためのサンプルとして旧車体を供出するためという話を聞いたことがあります。


3000系クハ3755の渋谷行き普通
1964年12月導入のこの編成では前面がラベンダーに着色されました。この色はラベンダーの他にもバイオレットという呼び方もあります。
1960年代?に中間電動車の台 車交換、1972年度にデハ3100形組込みによる5両編成化と冷房改造、1980年代半ばに側面表示幕新設と前面表示幕電動化、先頭車の台車 交換などが実施されています。1000系導入と入れ替わりで1997年11月に引退し、両先頭車が北陸鉄道、デハ3055を除く中間電動車は群馬県の上毛電気鉄道に譲渡されています。画像のクハ3755は北陸鉄道8000系モハ8903として現在も活躍しています。


3000系クハ3707の渋谷行き普通
1966年2月導入のこの編成では前面がライトブルーに着色されました。
この編成を以て7色が出揃いました。ステンレスとパステルカラーはコントラストが強くなりがちで、撮影条件によってはなかなか前面の色がきれいに出なかったりするのですが、このライトブルーとサーモンピンクは比較的はっきりと色がでますね。
1960年代?に中間電動車の台 車交換、1971年度に中間電動車デハ3100形増結による5両編成化と冷房改造、1980年代半ばに側面表示幕新設と前面表示幕電動化、先頭車台 車交換などが実施されています。この編成では前面下部にスカートが新設されていますが、これは1994年度から実施されています。撮影時期はちょうどスカート設置工事が進行していた頃なので、スカートつきとスカートなしの編成が混在しいました。
この編成は1998年3月に1000系と入れ替わりで引退、両先頭車と中間電動車デハ3007は上毛電気鉄道、デハ3057とデハ3107は長野県の松本電気鉄(現・アルピコ交通)に譲渡されており、画像のクハ3707は上毛電気鉄道700系デハ711として活躍しています。



3000系クハ3758の渋谷行き普通
1966年2月に3707Fとともに導入されたこの編成では、前面のカラーが1周して3701Fと同じブルーグリーンとなりました。
1960年代?に中間電動車の台 車交換、1971年度に中間電動車組込みによる5両編成化、1980年代半ばに側面表示幕新設と前面表示幕電動化、先頭車台 車交換などが実施されています。この編成は1989年の踏切事故で渋谷方の3両が車体が大破し軽量オールステンレス構造の車体に載せかえられています。
1998年2月に1000系と入れ替わりで引退、両先頭車と中間電動車デハ3008が上毛電気鉄道、中間電動車デハ3058とデハ3108は松本電気鉄道へ譲渡されます。画像のクハ3758は上毛電気鉄道700系デハ712として活躍しています。


3000系クハ3760の渋谷行き普通
1967年1月導入のこの編成からは、主電動機の出力が若干大きくなるとともに、電気ブレーキがそれまでの発電ブレーキから回生ブレーキとなりました。前面のカラーは3703Fと同じサーモンピンクです。
主電動機変更に併せて中間電動車の台 車はパイオニア台 車から一般的な軸ばね式に改められましたが、先頭車は3709F以前の編成の中間電動車台 車交換により供出されたパイオニア台 車を流用しています。1970年度に冷房改造、1972年度に中間電動車デハ3100形を増結して5両編成化、1980年代半ばに側面表示幕新設と前面表示幕電動化、先頭車台 車交換、界磁チョッパ制御化などが実施されています。2000年9月に引退し、両先頭車は上毛電気鉄道、中間電動車の内デハ3060とデハ3110は岳南鉄道へ譲渡されています(デハ3010は解体)。


3000系クハ3764の渋谷行き普通
1969年2月に導入された編成で、前面はライトブルーです。前年、京王線に導入された50005100系冷房車に続いて井の頭線初の冷房車として登場しました。試作的な色合いが強く、冷房は小さめの容量のクーラーユニットを1両あたり6基搭載しています。
1973年度に中間電動車デハ3100形を増結して5両編成化されましたが、このデハ3100形は当時の3000系冷房改造車の中間電動車と同じ弁当箱型の大型集中式のクーラーユニットを搭載しています。1980年代半ばに側面表示幕新設と前面表示幕電動化、先頭車台車交換、界磁チョッパ制御化などが実施されています。1995年度から始まったリニューアル工事未施工編成としては最後まで残り、2004年11月まで活躍していました。引退後は他社への譲渡もなく編成全車解体されています。


3000系クハ3769の渋谷行き急行
1979年12月導入の編成で、前面はラベンダーに着色されました。
1974年度導入の3716Fからは当初より5両編成・界磁チョッパ制御を採用、冷房装置も量産仕様(中間電動車→大型集中式、先頭車→分散式のクーラーユニット、天井構造は京王線6000系同様のラインデリア内蔵のダクト式)となり、車内も京王線6000系に準じたものとなりました。
1977年度導入の3768Fでは先頭車の冷房装置が中間電動車と同様、大型集中式のクーラーユニットとなります。
この編成では井の頭線で初めて側面表示幕が設置されましたが、設置可能なスペースに余裕がなく、京王線や他社の車両より小ぶりな表示幕となりました。また、併せて前面表示幕も電動化されています。また、それまで先頭車は電動車(3709F以前の編成)から流用したパイオニア台 車を採用していましたが、この編成からは先頭車も軸ばね式の台 車を採用しています。
1995年度以降、3716F以降の編成で1000系に準じた内装にリニューアル工事が実施され、併せて前面窓が曲面ガラスに、側面のラインも1000系に準じた太目の濃淡2本になりました。前面は窓拡大に伴い強度を保つためFRP製から普通鋼製となっています。
2004年の3714F廃車により、リニューアル工事施工済みの3716F以降が残る形となりましたが、これらについても京王全線ATC化及び京王全営業車のバリアフリー対応・VVVF制御化の流れの中で1000系に代替されることとなり、この3719Fも2009年3月に引退しています。引退後、吉祥寺方先頭車クハ3719は保管(京王れーるランドで保存展示)、その他の4両は解体されています。



3000系クハ3772の渋谷行き普通
1983年11月導入のこの編成では、前面のカラーが4編成目のブルーグリーンとなっています。
1983年度導入の3720F以降では、バッド社ライセンスによるオールステンレス車体から東急車輛が開発した軽量オールステンレス構造へ移行し、水切りがなくなり窓下のコルゲートも少なくなったので従来車よりすっきりした印象があります。
この編成の吉祥寺方先頭車であるクハ3722は、踏切事故により1991年9月に廃車され、同年10月に同番号の代替車が新造されています。この代替車こそが1962年から導入されてきた3000系の最終新造車ということになります
1995年度以降、リニューアル工事が施工され、前面形状や側面ラインの意匠、内装などが一新されています。
2009年2月に引退し、両先頭車と中間電動車デハ3022は愛媛県の伊予鉄道へ譲渡されています(デハ3072とデハ3122は解体)。画像のクハ3772は伊予鉄道3000系クハ3503として活躍しています。


3000系クハ3778の渋谷行き急行
1987年11月導入のこの編成は前面のカラーがライトブルーに着色されています。
1987年度には輸送力増強のために3728Fと3729Fが導入され、これが編成単位としては最後の導入となりました。
当初、3000系で着色されているのは前面のFRP製の部分のみでしたが、1990年頃から窓下に前面と同じラインが追加されるようになりました。この部分のコルゲートの本数の違いから、軽量構造の3720F以降では窓とコルゲートの間の平板部分に、従来構造の3719F以前ではコルゲートに粘着シートで入れられています(車体を軽量構造取り替えたデハ3054とデハ3058、デハ3108、クハ3758は組み込み編成に合わせてコルゲートに貼付)。
1995年度以降、リニューアル工事が実施され、前面形状、側面のライン、内装などが変化しています。


リニューアル工事後の3000系クハ3778の渋谷行き急行・・・駒場東大前~池ノ上間にて2011年11月13日撮影

経年的にはまだまだ活躍できる編成ですが、一連の置き換え計画の中で代替対象となり、1000系のATC化工事が一段落した2011年12月に引退(3729Fは同年6月引退)し、ここに京王3000系49年間の活躍に終止符が打たれ、井の頭線が1000系で統一されることとなりました。
この編成は両先頭車と中間電動車デハ3029が伊予鉄道に譲渡されています(デハ3078とデハ3128は解体)。画像のクハ3778は伊予鉄道3000系クハ3509として活躍しています。

・・・と、ここまで長々と来て実はもう一色、画像のストックがなく、どうしようか考えたのですが、撮影時期と場所が違うものの一応掲載しておきます(笑)


3000系クハ3756の吉祥寺行き普通 富士見ヶ丘~高井戸間にて1995年10月撮影
1964年12月導入のこの編成は6色目となるベージュに着色されていました。
1960年代?に中間電動車の台 車交換、1971年度に中間電動車デハ3100形増結による5両編成化と冷房改造実施、1980年代半ばに側面表示幕新設と前面表示幕電動化が実施されています。
1000系導入に伴い入れ替わりで1998年1月に引退し、両先頭車と中間電動車デハ3006は上毛電気鉄道、デハ3056とデハ3106は松本電気鉄道に譲渡されています。画像のクハ3706は上毛電気鉄道700系クハ723として活躍しています。
3000系の特徴でもあった編成ごとのレインボーカラーは現在も1000系に継承されていますが、このベージュだけはオレンジベージュという新色に移行し、現在は消滅しています。井の頭線に乗車する時、今度来るのは何色かな?と当てっこしたり、色でゲン担ぎする方も多いと聞いたことがありますが、今もそうなのでしょうか?

みなさんは何色がお好みですか?

ワタクシはガチャピンみたいなライトグリーンが好みですね。
ちょっとたれ目みたいに見える前面窓と出っ歯にも見える?前面表示幕がガチャピンっぽく見えるのはワタクシだけ?