16日の撮り鉄記・・・その② | ヘタレ車掌の戯言

ヘタレ車掌の戯言

毎日惰性だけで生きているヘタレ車掌の日常です。

~前回記事の続きです~

東福寺~七条間を諦めて名神高速と交差する藤森駅で下車、深草駅よりの踏切で撮影開始です。

余談ですが、東名~名神のJRハイウェイバスの京都深草停留所はこの藤森駅が最寄になります。


ヘタレ車掌の戯言-京阪1553 藤森~深草 2012.9.16
1000系1553の中之島行き準急

この1000系という電車、書類上は1977年から1978年に新造されたことになっているのですが、実際には1967年から1970年に作られた旧型車からの機器流用車700系を廃車扱いとして車体を流用し、走行機器を一新し、冷房装置を搭載したという車両です。

ちなみに、その前身である700系は、1930年代に作られた初代1000形系列や“びわこ号”で知られる60形の機器を流用していましたので、当時のものは何一つ残ってはいないものの、1930年代生まれの電車が車体や部品を取り替えながらも生き続けていると言えなくもないですね。

1991年から1995年にかけて、車体改修(更新修繕)が実施され、劣化箇所の補修・内装更新のほか冷房装置交換、制御方式変更による回生ブレーキ化、電動車配置の変更(先頭電動車の電装品を中間付随車へ移設し、先頭車を付随車化)とそれに伴う車両番号変更が実施されましたが、この時の車体改修で最もインパクトが強かったのは、前面形状の変更ではないかと思います。客室面積を犠牲にすることなく乗務員室を拡張するために、車体を10㎝ほど延長し、前頭部を新たに構築したため、施工前とはまったく違う顔つきになりました。

登場時より一貫して7両編成を組成しており、急行、準急、区間急行、京阪本線の普通で運用されています。


ヘタレ車掌の戯言-京阪2275 藤森~深草 2012.9.16
2200系2275の中之島行き準急

2200系は、1964年から1968年に導入された車両です。

各駅停車用に高加速・高減速を追求し、“スーパーカー”と呼ばれていた2000系(1959年登場、1982年全廃→車体と台車は2600系に流用)の車体を継承しながら性能を急行向きにしたものです。

性能的には回生ブレーキを装備した2000系から一転して、架線電圧に左右されないブレーキ力を得られる発電ブレーキを採用しました。

1974年から、冷房改造と昇圧対応工事(当時は架線電圧が600V)が実施され、1984年から1988年にかけて車体改修が実施されました。車体改修では、不要な中間組み込みの運転台を撤去・客室化し、先頭部も先頭車として固定して使用することを前提に貫通幌あるいは幌取付座の撤去、貫通扉の外開き・非常扉化が実施されました。また、後期施工分では制御方式の変更により回生ブレーキ化が実施されています。

2200系の車体改修は、折りしも京阪本線での1984年の8両編成運転開始の時期とも重なり、一部編成は中間付随車を新造して組み込んでいます。

この画像の2275は比較的初期の車体改修施工車ですので、発電ブレーキのままかつ前面下部の標識灯もクラシカルな形のガイコツ型です。

近年は老朽化により廃車が進行しています。


ヘタレ車掌の戯言-京阪2461 藤森~深草 2012.9.16

2400系2461の淀屋橋行き普通

2400系は、2200系を基に冷房装置を搭載して1969年と1970年に導入された車両です。

扉の数が多く、混雑時と閑散時の差が大きい通勤電車への冷房搭載はまだまだ手探り状態だった時代の登場で、クーラーユニットは容量の小さいものを多数搭載したものとなっています。ちなみに関西では初の通勤冷房車として登場しましたが、登場時期が1969年の冬だったので、実際に冷房サービスを提供したのは翌1970年の夏からとなります。

当初より昇圧対応仕様となり、編成も7両固定編成(車庫内での入換に備えて簡易運転台を装備し4両と3両に分割可能)となっています。

1988年から1991年にかけて車体改修が実施されましたが、この2400系からは車内の配色がその当時の最新型(2400系では6000系)に準じたものとなり、前面は非常扉の窓が種別・行先表示幕と一体化された独特なデザインとなりました。
ヘタレ車掌の戯言-京阪2463 藤森~深草 2012.9.16
2400系2463の中之島行き普通

こちらは残り少なくなった旧塗装車です。


ヘタレ車掌の戯言-京阪8055 藤森~深草 2012.9.16
8000系8055の淀屋橋行き特急

1989年に登場した特急車です。当時の京阪特急では標準装備であったテレビを4号車に設置し、その4号車には当時流行りでもあった公衆電話も設置されました。

当初は出町柳開業による運用増に対応するための導入でしたが、あまりにもこの8000系の評判がよすぎて、まだまだ代替時期ではない先代3000系を置き換えることとなり、1990年以降も導入が続き、1993年までに1編成を除いて代替が完了しました。

1編成が残った先代3000系で車体改修に併せて試験的に組み込んだダブルデッカー車(既存の中間車の改造)が高く、1997年の特急8両編成化に併せて8000系にも新車でダブルデッカー車が組み込まれました。


近年は、特急の停車駅増加に伴い、2扉オール転換クロスシートではラッシュ時の収容力や短距離利用者層のスムーズな乗降に支障が出るようになってきたことから、2010年以降車体改修に併せて車端部をロングシート化しています。また、公衆電話サービス終了に伴い無用の長物となっていた電話室と、ワンセグ携帯の波及に伴い役目を終えたと判断された4号車のテレビが撤去されました。

余談ながら、車体改修で設置された客扉上部のLCD画面は、この車両の扉が片開きなのに両開き仕様の映像が出てきます。


ヘタレ車掌の戯言-京阪8081 藤森~深草 2012.9.16
8000系8081の淀屋橋行き特急

1971年から1973年に導入された先代3000系の残存1編成が2008年に改番された車両です。

先代3000系は、まだ寿命ともいえない時期の1990年から早くも廃車が始まり、1994年までに1編成を除き廃車となりました。

残り1編成分7両と廃車編成中間車2両の合計9両が予備車確保のために残されることとなり、その残された1編成が車体改修時に中間車の一部を差し替える形で組成変更を実施し、併せてダブルデッカー車を改造で作って組み込みました。車体改修では、電装品が8000系と同じものに交換され、8000系同等の車両となりました。

そんな経緯もあってか、2008年に登場した新型車に“3000系”を譲ることとなり、以後8000系30番台として扱われることとなりました。

現在実施されている8000系の車体改修終了とともに余剰となることから、来年春まででの引退が決定し、

夏ごろからさよなら企画が進行しています

今月29日からクラッシックスタイルということで、前面貫通扉の交換や先代3000系車体改修前の前面車号

再現が実施されているようです。


ヘタレ車掌の戯言-京阪3053 藤森~深草 2010.9.16
3000系3053の淀屋橋行き特急

現在はこの電車が“3000系”を名乗っています。

現3000系は、2008年に開業した中之島線対応として導入された電車です。

車体はいままでにない斬新なスタイルとなり、車内も3扉・クロスシートとなっています。

登場時は中之島線中之島駅発着の快速急行中心で運行されましたが、現在は運行形態見直しにより日中は特急で運用されています。

この場所の次は、光善寺駅へ向かいました(以後は後日)