なんだかずーっと開けなかったし、書き込めなかったこのブログでしたが、なんか試しに書いてみたら書けた。


あらびっくり。


色々変わるのかな?

変わるといいし、そうしていきたい。




大きなエネルギーが何か変わるよ。


気に入りの食べ物やさんに

ランチを食べにふらっと入ったら

偶然ちょこんと座っていた

友人が当たり前のように言う。


マヤ暦で今日は大晦日だそうだ。

明日は新年。

だから。

今日と明日では全くエネルギーが違う、らしい。


そんなこと全く知らないけどなんか納得した。




なんかね、ほんと昨日まで大変だった。


人生で向き合わなくちゃいけない

残りの課題「全部」を「一緒に」

新年からずうっと向き合わされて

わかるまで逃げられない感じ。


それがやっと終わるんだな。




鈍いわたしでも、

それがわかるくらいの

特別なご褒美の1日だった。


何も特別に計画していたわけじゃないけど

約束してた用事を淡々とこなして行くだけで

なんというか思いもかけず

すごくいいことが静かに日常の中に

散りばめられている1日だったよ。


昨日までの日常とあまりに違うから、

明日から違うよ、ってことを

ちゃんとわからせてくれる今日だった。


明日からはこういう日常を目指していこうね、

そういう意識でいてね、という今日だった。





マヤ暦の流れは個人のものだと

人生の計画書だという。

自分で生まれる前に決めてきたことが

全部わかるんだと。


まあ私は人にやってもらうばかりで

全然詳しくないんだけどね。


でも好奇心は人一倍なので

そういう面白そうなことをやっている友人は

多くて。

すぐ体験したがるし、する。


占星術の生まれてきた時の星の並びでも

恐ろしく正確にわかることも

やってもらって知ってるけど、

マヤもか。




人が生まれた日時と場所は

それだけ大きな意味を持つ、ということだな。


ということは。


この日この時この場所を目指して

人は生まれてくるんだな、って。


なんかそんなことを強く実感した。




マヤ暦をいろんな人と一緒にやって比べて

わかったことがある。


自分のままで生きている人は、

マヤ暦の通り、

(ここは占星術とかでも同じ。生まれた時と場所から割り出したメソッド全てに当てはまると思う)

つまり自分の計画書通りの流れに乗っている。


そうでなくて。


自分の軸を影響力の強い人や時代の要望に

合わせて生きている人は

計画書通りに行かずに、

なんの一貫性もないフラフラと定まらない。


後者がわたし😆

中学の3年になる前の春休みに自分をぶん投げて

50手前で死にかけて、やっとこぶん投げた自分を拾いに行った。


見事に自分をぶん投げてた期間、

フラってました。

その後もすぐに自分を生きれるわけじゃない。

だから、なんというか。

多分昨日まで大変だったんだと思う。


(今まで蔑ろにしていた「自分」もすごく拗ねてるし、怒ってるから、折り合いがついて生きていくまでに時間はかかるよね💦しょうがない💦)


人が(自分)として生まれて生きることには

すごくすごく大切なことだ。

個人的にも大切なだけじゃなくて、

多分、宇宙規模ですごくすごく大切。


自分の色を変化や成長しつつも持ち続けて、

なおかつ、

人の色も自分の色もリスペクトして、

愛を持って人との関係を築いて行く。


こういうことが当たり前にできて

それが日常の世界ってすごくいいなって。


もう、

わたしはそういう世界を

わたしの日常にするって

今日決めました。