数台の車が通り過ぎた後、美弥子は国道を渡って海岸へと下りていった。
早朝の海は誰もおらず、ただ、波の音だけが耳に届いていた。
「こんな時間に呼び出すなんて、いったいどんな用事なのかしら?」
一抹の不安を抱きながらも、美弥子の心の隅には確かな喜びと期待が騒めいていた。
朝陽が水平線から出て、美弥子の顔をオレンジに染めた頃、後方からバギーの排気音が近づいてきた。
振り向くと、そこには日焼けした顔に白い歯を見せ微笑む卓哉の姿があった。
砂を巻き上げながらバギーを操り、美弥子の前で停車すると、スロットルを2回吹かした。
「驚いた。...そんな物で来るなんて。借り物?」
「借り物じゃないよ。...俺の愛車さ。」
卓哉は得意気に言うと、バギーから降り、握手を求めた。
「約束どおり来てくれてありがとう。...嬉しいよ。」
「えっ?...まぁ約束しちゃったからね。」
美弥子は照れ臭そうに言いながら握手をした。
「どこに泊まってるの?」
「私?...あぁ、えっと、そこの国道沿いにあるビーチサイドホテル。」
「そうだったのか。...昨日から観光で来てるのは知っていたけれど、まさか俺の近所に宿泊していたとはな。」
高校時代に3回デートしただけの、手も握らない淡い初恋の相手。
それが卓哉であった。
当時、周りが二人を恋仲と知り、その噂が校内に広まると、自然消滅していった苦い記憶が美弥子の脳裏に甦った。
「あの頃は若すぎたな。。。。」
「えっ?...何よ、急に。」
微妙な距離感は、高校を卒業して10年経つ今も変わっていなかった。
静かな潮風が、頬の温もりを冷ましてゆく。
「ここで立ち話もなんだから、バギーに乗って浜辺をドライブしないか?」
「えっ?...今から?」
「今じゃ、まずいの?」
「えっ...ううん。いいわよ。」
美弥子は戸惑いを感じながらも後部席に座った。
「それじゃ行くぞ。掴まってろよ。」
砂塵を巻き上げ、勢いよく走り始めたバギーは、
波打ち際を爽快に走り抜けていった。
「いつも乗ってるの?」
なびく髪を右手で押さえながら、美弥子が尋ねた。
「あぁ。暇な時や、ムシャクシャする時にね。」
「ひとりで?」
美弥子はそう訊いた後、失敗したと思った。
それまで即答していた卓哉の口が暫し閉ざされ、排気音と海風の音だけが二人を包んだ。
卓哉は急にハンドルを切ると、バギーを急転回させ、停車した。
体を大きく揺さぶられた美弥子は、思わず悲鳴を上げ、卓哉の背中に抱きついた。
「ちょっと!...ビックリさせないでよ!あ~~驚いた。」
そう言った後、美弥子は気がついて卓哉の体から手を離した。
「野暮なこと訊くなよ。...もう、お互い28だぜ?」
卓哉の言葉に釈然としないながらも、美弥子は「そうね。...」とだけ呟いた。
「もう、おしまい?」
そう美弥子が訊いた。
「今日の予定は?」
卓哉が前を向いたまま尋ねた。
暫く考えた後、美弥子は、「時間なら充分あるわ。」と答え、卓哉の背中に微笑んだ。
「よっしゃ。...それじゃ、秘密の入り江まで走るとするか。」
卓哉は、そう言うとスロットルを回し、美弥子を乗せ再び走り出した。
「今でも俺のこと、好きか?」
強い風と波音に紛れ、卓哉が冗談とも真剣ともつかぬ口調で訊いた。
美弥子には、その言葉が確かに聞こえていたが、聞こえないふりをし黙っていた。
そしてコバルトブルーの海を見て、「すっごく綺麗!」と歓声を上げた。
いつの間にか美弥子の両腕は、白いTシャツを着た卓哉のウエストを抱きしめていた。
あの当時
手も繋げずに終わった二人の恋は、時を経て、また新たに芽生えようとしていた。
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荻野目洋子 「入江に帰るヨットのように」