ショートストーリー573 | 丸次郎 「ショート・ストーリー」
「あの頃と、変わってないな。...どうだ、今、幸せなんだろ?」

カンパリソーダを飲みながら、揺れる船上のデッキで、和志は独り言のように訊いた。

和志から2、3歩距離を置き、デッキの手すりに掴まってカモメの群れを見つめている由希子。その色白の素肌には高揚しているのか、薄っすらと紅が差していた。

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「この船...あそこに見える小島の外側を回って、港へ戻るのよね。...つまんないの」

由希子は和志の問いが聞こえていないようなそ知らぬ顔で、そう言った。

風の音と波の音。...そして船のエンジン音が、二人の距離を更に遠ざけているように思えた。


和志はグラスの中に添えられたスライスレモンを口に含み、その酸味に顔をしかめながらカンパリソーダを一口飲み込んだ。

問いかけに答えない由希子の横顔には、今の暮らしぶりに対する不満が現れているような気がした。。。少なくとも和志と共に生きていたあの頃に比べ、由希子の輝きは失せていた。


「寒い。....ねぇ、客室に戻りましょ?...海を見ていたら、日頃の不快な出来事が次々に思い出されてきて。...」


由希子は今日、初めて和志に懇願するような表情を見せた。その濡れた瞳は、まだ和志に対して少なからず未練があることを如実に示唆していた。。。


今度は和志が由希子の言葉に答えず、山高帽を深くかぶり口元を緩ませた。船の揺れも手伝ってか、カクテルの酔いが普段よりも強く効いているようだった。


「由希子は気まぐれな女だ。....俺を避け、遠ざけたかと思えば、まるで温もりを求める小犬のように擦り寄ってくる。...俺が結婚を切り出した時も、そうやって気まぐれに俺の心を、はぐらかし、内心、楽しんでいたんだろう?..違うか?由希子」

和志は、すぐそこにいる由希子の面影を脳裏に思い浮かべながら、言葉に出来ない声で、そう呟いていた。
帽子のつばに隠れた和志の瞳は、海上の強い陽射しを瞼越しに感じながら、遠い日の由希子を見つめていた。。。


「私ね。...今度、お見合いすることになったの...」

由希子が寂しげな声で、ポツリと呟くように言った。その言葉に和志は山高帽のつばを上げ、海を見ている由希子の後ろ姿を見つめた。


由希子の長い髪が海風に煽られ、白い帽子の下から肩を撫でるように揺れていた。その光景は、二人が初めて訪れたイタリア・ベネチア沖でのクルージングを思い出させた。


「お見合い...結構なことじゃないか。...相手は大会社の社長か、それとも御曹司か?」

和志は心とは裏腹に、由希子を突き放すような言葉を浴びせた。それは由希子の心に多少なりとも傷をつけることで、自分という男の痕跡を由希子の中に、しっかり残したいという屈折した感情からであった。


「和志。...なに、それ?....あなたの気持ちが私には分からない。...あの頃も、今も」


由希子は和志のほうに振り向くと、なびく髪を右手で押さえながら、そう言った。その瞳は当時と変わらず、ピュアで真っ直ぐだった。


和志は立ち上がると、由希子の肩を強引に抱き寄せた。戸惑った表情の由希子は、和志の腕を掴み抗ったが、すぐに大人しくなり身を委ねた。


「俺も、由希子の気持ちが分からないよ。...あの頃から、ずっとね。....」


「じゃぁ...どうして、こんなことするの!?」


「そんな由希子を、誰にも渡したくないからだ。...相手を知り尽くしているからといって、愛しているとは限らない。...その逆も然り。.何年経っても分からないミステリアスな女ほど、俺は愛しいんだよ」


和志の腕に抱かれながら、その言葉を聞いていた由希子。。。潮風の音とカモメの鳴き声が、由希子の複雑な心情を優しくなだめていた。。。


「私も。....その言葉、あなたに、そっくりお返しするわ」

由希子は辛うじて聞き取れる声でそう答えると、和志の背中に両腕を回した。


その時、二人を乗せた船は小島を周り、もとの港へと帰っていった。。。。









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