ショートストーリー564 | 丸次郎 「ショート・ストーリー」
「単純でシンプルな料理ほど、長年人々に親しまれているもんだ。...奇抜なアイデア料理や、豪勢な料理は、インパクトはあるが、すぐ飽きられる」

料理人の敏彦は、板場で鯛をさばきながら、弟子の宏にそう言った。

「料理とは、そういうものですか?。。。」


「そうだ。。。シンプルな料理ほど、料理人の腕が試される。包丁の入れ方一つで、同じ魚でも舌触り、味覚が微妙に変わってくるのだ」

大きな一匹の鯛は、敏彦の鮮やかな包丁さばきで、見る見るうちに綺麗な切り身へと変わっていった。

$丸次郎「ショートストーリー」

均等に切り揃えられた鯛の刺身を包丁に載せ、手際よく皿に盛ると、敏彦は宏に言った。

「ほら、ひと切れ、食べてみな...。」


「あっ、はい。。。いただきます」

宏は、そう答えた後、傍らにあった小皿を手に取り、醤油を注そうとした。すると敏彦は厳しい口調で注意した。

「何もつけずに食べるんだ!...鯛本来の旨みを、舌でよく感じとるんだ!」

「はい!」

宏は刺身をひと切れ、箸でつまむと、おもむろに口へと運んだ。

「甘い...上品で爽やかな甘み。...そしてその後、口に広がるほのかな海の香り...」

宏は思わず目を瞑って、刺身を何度も噛み締めた。噛めば噛むほど味わいが深く感じられた。


「板長。。。醤油をつけずに刺身を食べた事などなかった私ですが、こんなに美味しいとは思いませんでした!」

宏は感動し、目を輝かせながら、そう答えた。


「次は宏。。。お前が、その鯛の切り身を数切れ、さばいて食べてみなさい」

敏彦は、宏の好奇心に富んだ瞳を見て、そう言った。


「板長がさばいた鯛と同じ鯛から取った柵だ。。。俺が切り身にしたところで、味が変わる訳がない。。。」

宏は内心そう思いながら、板長が下ろした刺身の柵を丁寧に切り分け始めた。


弟子の手つきを、鋭くも優しい眼差しで見つめる敏彦。。。組んだ両腕には、自信とプライドが感じられた。

やがて宏は、鯛の柵を綺麗に切り分け、皿に盛り付けた。

「さっきと同じように、何もつけずに食べてごらん。。。」

敏彦は宏にそう告げると、口元を少しだけ緩めた。それは、ある結果を、すでに確信しているかのようであった。

宏は自らが包丁を入れた刺身を口に運ぶと目を瞑り、同じように、じっくりと何度も噛み締めた。すると宏は眉間にシワを寄せ、目を見開いた。

「こ、これは!....板長がさばいた刺身と同じ鯛とは思えないほど、甘みも旨味も感じられない!....一体どうしてなんだ!?」

宏の心は激しく動揺しながら、そう叫んでいた。そんな宏の心を察したように、敏彦が口を開いた。


「同じ鯛。。。同じ包丁。。。同じ柵。。。なのに最後の切り分け作業を、別の人間がやるだけで、これだけ味が変わってしまう。。。宏、これが何を意味しているか、分かるか?」

そう尋ねる敏彦の声は穏やかであった。しかし、その目は宏の心の奥まで見つめているようであった。


「私の技量が、足らないのだと思います。。。」
顔を下げ、静かにそう答えた宏に、敏彦は声を上げて言った。


「調理専門学校を出て、老舗の料亭で修行を積んできたお前と、ひたすら独学で学んできた俺に、どれほどの差があるというのだ?!...技量なんかじゃない。。。お前にあって、俺にないもの。それが刺身の味の差に現れている。。。」


「板長になくて、この私にあるもの...ですか?」


「そうだ」

緊迫した空気と時間が、暫しの間、流れた。答えられずにいる宏を、じっと見ていた敏彦が、語りだした。


「それはな...慢心だ。たかが魚を切り分けるぐらい、お手の物。。。というお前の慢心が、手先から包丁を通じて鯛の切り身に伝わり、味を変化させているのだ。。。バカなことを、と思うだろうが、気持ちを入れ替えて、真剣になった時、お前のさばいた刺身は、格段に旨味を増すだろう」


「板長....。」

宏は敏彦の言葉を聞き、忘れかけていた修行時代の一途な真剣さを思い出していた。


「俺、、、もう一度、初心に戻って心を入れて調理します!」

ようやく自分の慢心に気がついた宏は目を見開き、敏彦を見つめ、そう言った。


「期待してるぞ。。。宏」

敏彦は、笑顔でそう言うと、宏の肩を叩いた。


街の片隅に佇む小さな日本料理店。。。今宵も、敏彦と宏がさばく海の幸が、常連客の舌を喜ばせてい
る。。。。








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