ショートストーリー558 | 丸次郎 「ショート・ストーリー」
「あまりにも長い間、逆風が吹き続けると、皆、風に逆らわずに風の吹くまま身を任せるようになる。。。そうすれば自分にとって常に楽な追い風となる。。だがその反面、自分が望む方向へ進むとは限らない...。」

寂れたバーのカウンターで、そう語っている一人の男がいた。
ベージュのダウンジャケットに黒いスラックス。つま先の色が少し剥げ落ちた黒い革靴。ひと際大きな耳と長い指。。。彫りの深い顔だちは、さながらギリシャ像のようであった。


和之は、その男から席を3つほど空けた場所で飲んでいた。誰も居ないアパートの部屋に、真っ直ぐ帰る気にもなれず、初めて飛び込んだ店であった。

$丸次郎「ショートストーリー」

「この店...店員だけでなく、客も男ばかりだな。...まぁ、女がお酌するような騒がしい店は御免だが、これは、これで寂しいもんだな...」

和之はウイスキーの水割りを啜りながら、さり気なく店内を見回し、そう思った。


「それで...お客さんは、どうする気なんです?...その件に乗るんですか?」

スキンヘッドに短い口ひげを生やした強面のバーテンダーが、静かながらも凄みのある声で男に訊いた。

男は組んでいた長い足を解くと、グラスのバーボンを見つめ、暫しの間、黙っていた。。。やがて、右手で長い髪をかき上げると、眩しそうな目でバーテンを見つめ言った。


「勿論、乗るよ...。決して儲かる話じゃないが、易々と奴らのものには、させない...まぁ、奴らに、どこまで対抗できるか分からんがね...。」


後から来店した和之には、バーテンと男が何を話しているのか理解出来なかった。しかし、二人のその雰囲気から、ただならぬ話のような気がしていた。


「この男...堅気の商売をしているようには見えないな...。かといって犯罪に関わるような話を、こんな場所で大っぴらに話す訳もないし」

盗み聞きをしている和之までもが、なぜか緊迫した気持ちになっていて、いつもより酒のペースが早くなっていた。。。


「おかわり、しますか?」

いきなりのバーテンダーの声に、グラスを見つめていた和之は驚き、ハッと顔を上げた。

「あっ...はい。お願いします」

やや小心者の和之は、ドキドキしながらグラスを差し出し、誤魔化すように頭をかいた。

バーテンは、ウイスキーボトルの蓋を軽快に回し開けると、受け取ったグラスを新しいグラスに代えて、注ぎ始めた。

和之の二杯目を作っている間、バーテンダーと男の会話は中断し、グラスと氷の触れ合う音だけが響いていた。

和之が横目で男を見てみると、男はカウンターに両肘をつき、左手首の腕時計を見つめていた。


「はい、どうぞ...。」

そう言って、バーテンダーが出来上がった二杯目のグラスを和之に静かに差し出した。和之は一言、礼を言って受け取ると、すぐに渇いた口に流し込んだ。。。コクのある苦味と香ばしさが舌の上で広がり、和之の緊張を一瞬にして解きほぐした。


「ハードボイルドは、小説の世界だけで充分だな...。実際、その雰囲気に身を置くと、窮屈で窮屈で肩こりそう...。」

和之は内心そう思いながら、二口、三口とウイスキーを流し込んだ。


「おやっさん...俺が、この店に来るのも、今夜が最後かもしれないな...。おやっさんには、今まで、いろいろアドバイスもらって感謝してる...。恩にきるぜ」

男は太い声でそう言うと、ダウンの下の黒スーツから紙幣を数枚とり出し、バーテンに手渡した。


バーテンは紙幣を数えることなく、革ベストの胸ポケットに差し込むと、両手をついて男を見つめ言った。

「結果が、どうであれ、生きて帰って来てくださいよ...。命さえあれば、また何とかなりますから...。」


その言葉に男は右手の親指を突き立てて、頬を緩ませた。そして隣の椅子に置いてあった黒い山高帽を被り、静かに店を出て行った。。。


和之は、まるで映画のワンシーンを観ている様な気分になっていた。。。そして残り少なくなったグラスのウイスキーを、一口で飲み込むと、酔いに任せてバーテンダーに言った。


「なんか、ご主人と今そこにいたお客さんとの雰囲気が、映画のワンシーンのようでした。。。」


するとバーテンダーは、強面の外見からは想像もつかないような可愛らしい笑顔を浮かべ、和之に目をやると答えた。

「そうですか?....嬉しいですなぁ...。こう見えても私、この店を始める前は役者でしたからね(笑)..。まぁ、しょっちゅう斬られたり、撃たれてばかりの悪役専門でしたけど(笑)...今、出て行った、あのお客さんもアクション映画の俳優さんですよ...。今度、ハリウッド映画のオーディションを受けるか否か、話をしていたんです」


学生時代、演劇部に所属し、映画俳優に憧れていた和之は、バーテンダーの話に目を輝かせた。

バーテンダーとの会話は意外にも弾み、夜が更けるまで夢を語り合ったのだった。


バーから出て来た和之は、凍えるような星空を見上げ、心で呟いた。。。

「もう一回、あの頃の夢に飛び込んでみるのも悪くないな...。人生にマニュアルなし...。」


その夜は、いつになく多くの星々が煌いていた。。。。









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