ショートストーリー528 | 丸次郎 「ショート・ストーリー」
どっちに転んでも、怪我をしない。。。そんな生き方を彼女は、いつもしていた。

そんな彼女を、ある人は、ご都合主義者と呼び、またある人は計算高い女だと、陰口を叩いた。

そんな噂を幾度となく耳にしても、彼女は決して折れることのないタフな女だった。。。並大抵の男では、太刀打ちできない、そんな奥深く、したたかな強さを備えているようであった。


そんな彼女から、ある夜、ノリオの元へ久しぶりに電話が掛かってきた。。。

ノリオが残業を終えて事務所の戸締りをしている時、スーツの内ポケットにある携帯が鳴り始めた。

ノリオは事務所のドアに、鍵を差し込んでロックすると、眉間に皺を寄せながら、おもむろに携帯を取り出した。


「非表示か...なにかのセールスか?面倒くせぇ~なぁ」

ノリオは小声で、そう呟くと、蛍光灯が点滅している廊下で通話ボタンを押した。

「はい...」

誰から掛かってきた電話なのか分からないので、ノリオは名乗らずにいた。しかし、ノリオの応答に答える気配がない。。。ノリオは残業の疲れも手伝って、苛ついた口調で言った。

「もしもし!...切るぞ!」

すると微かに聞こえる女性の声が、ノリオのその言葉を拒否した。

「待って...お願い..切らないで」

悪戯電話だと思い込んでいたノリオは、女性の声に一瞬驚き、耳を澄ました。

「え?...もしもし?..あなた、どなた?」
ノリオは、どこか聞き覚えのあるその声が気になり、今度は穏やかな口調で言った。


廊下の蛍光灯は、ノリオの心を急かすように、パチパチと点滅を繰り返していた。

「まったく..事務所の賃貸料、しっかり取ってるんだから、蛍光灯の一つぐらい取り替えろよ...ケチくせぇオーナーだ...」

天井を睨みながら、そう思っていると、耳元にようやく声が返ってきた。

「覚えてる?...ユウコです..」

その言葉で、ノリオの意識は、一気に当時へと舞い戻った。当時とは、ユウコと交際していたニ年前である。。。当時、ノリオとユウコは、周りが羨むほど仲の良いカップルであった。二人を知る誰もが、二人の結婚を信じて疑わなかった。。。


しかし、ある夏の日を境に、その関係は一変した。。。まだ蝉が鳴き始める前の7月上旬、久しぶりに、お互い同じ日に休暇がとれたので、二人は伊豆半島へ、一泊二日の旅行に出掛けたのだった。

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ノリオが予約した人気の宿は、ユウコが以前から訪れたがっていた宿であった。熱海、伊東、下田に立ち寄り、あとは海岸道路を走り続け、宿がある堂ヶ島に辿り着いたのは、夜9時頃であった。


宿の灯りが岬の上に見え始めた海岸道で、助手席のユウコが、急に声を上げて言った。

「ノリオ!...ここで停めて!..早く!」

ノリオは驚き、ユウコに目をやると、ユウコは何かに怯えているような表情でノリオを見ていた。


「なんだよ、そんな顔して...今さら俺と一泊するのが、怖いってか?」

ノリオは気楽な気持ちで、冗談まじりにそう言った。するとユウコは、強引にもサイドブレーキを引き上げ、車を急停止させようとした。


車は後輪をスリップさせながら、けたたましい音を立てて揺れた。ノリオは慌ててサイドブレーキを下げると、アクセルを軽く踏み込み、車の挙動を抑え込んだ。

とりあえず車を路肩に停車させると、ノリオは驚きのあまり、ユウコの頬を叩いた。

「なにしてんだよっ!...後続車も対向車もなかったから大事にならなかったけど、一つ間違えば大事故になるところだったんだぞ!..ユウコ、お前は一体、なにを考えているんだ?!」

ノリオに、そう怒鳴られたユウコは、叩かれた頬を手で押さえ、目を伏せていた。やがて潤んだ瞳でノリオを見つめると、震えるような声で言った。


「私と一緒に、車から降りて...海岸を歩きましょう...」


「え?...もうすぐ宿に着くんだぞ?..こんな真っ暗な海岸を歩くって、、、。明日、陽が昇ってからでもいいじゃないか。。。」

ノリオが、そう答えると、ユウコは助手席のドアを開けて、歩道を歩き始めたのであった。


「ユウコ!...おい、待てよ!..待てってば!」窓から顔を出し、そう叫ぶノリオの声に、ユウコは振り返りもせず、遠ざかっていった。


ノリオは車を、ゆっくり走らせてユウコの後を追った。そしてユウコの前方に停めると、車から降りてユウコの元へ走った。ノリオは、ユウコの両肩を両手で掴みながら叫んだ。


「理由を言えよ!...こんな夜に、車を手荒く停めてまで、なぜ、海岸を歩こうとするのか!?ユウコ!..答えるんだ!」


暗闇の中、月明かりが微かに照らし出しているユウコの顔は、その大きな瞳だけが鈍く輝いて見えた。

ユウコは、肩を掴んでいるノリオの手に自らの手を重ねると、静かな声で言った。

「この辺りで...10年前、この辺りで、私は初恋の男と別れた...その男は別れ際に、こう私に言ったの...今日から、ちょうど10年経った月夜に、この地を訪れて欲しい...そして俺のことを思い出して欲しいんだ...そうすれば、キミは永遠に幸せでいられるって...」


「ユウコ...その初恋の男、今どうしているんだ?」


「分からない...それっきり、その彼とは電話も繫がらなくなったし、アパートも引き払ってしまったみたいだから。。。まるで風にさらわれたように私の前からいなくなった...喧嘩したわけでも、嫌いになった訳でもないのに...」


絞り出すような声でそう言ったユウコを、ノリオは強く抱きしめると、潮風になびく彼女の髪に頬を当てながら言った。

「そうか...そんな思い出があったんだね..さっきは叩いたりしてごめんな...その彼の言葉を10年間、ずっと忘れずにいたんだね。。。思う存分、その彼のこと、思い出してあげなよ」


「うん...」

ユウコは、ノリオから離れると、海岸道路から砂浜へと下りてゆき、月光を受けて煌く海面を見つめながら一人、佇んでいた。


伊豆旅行から帰ると、なぜかノリオに対するユウコの態度が徐々に変わっていった。喧嘩をした訳でも、もめた訳でもないが、ユウコはノリオの誘いを断り続け、避けるようになっていった。。。



「自然消滅...したんじゃなかったっけ?...俺達」

携帯の向こう側にいるユウコに、ノリオは、そう訊いた。


「私の我がまま、今さら許してなんて、虫のいいことを言うつもりはないわ。。。ただ、もう一度だけ、会ってほしいの」

ユウコは、急に声に力を込めて、そう言った。

ノリオは、点滅が止まった蛍光灯を見つめ、ため息を一つつくと、答えた。

「もう一度か...一度で終るか、二度、三度になるのか、今決めることもないだろう。。。分かった..会うよ。。。いつが、いいんだ?」

ノリオはユウコへの未練を、いまだに引きずっていた。言葉の中に、それが滲み出ていた。


「ありがとう...会う日については、私から、また連絡する..ワガママを聞いてくれてありがとう...」

ユウコは、そう答えると電話を切った。



後日、お互いのスケジュールを調整し、ノリオとユウコが再び会った日。。。それは奇しくも、堂ヶ島でユウコが初恋の男と別れた日と、同じ日であった。。。


昔、堂ヶ島の砂浜で、初恋の男が別れ際にユウコに語った「永遠の幸せ」...。

同じ日にノリオと再会することで、ユウコは、その「永遠の幸せ」を、今度こそ手に入れようと願っていた。。。








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