ショートストーリー505 | 丸次郎 「ショート・ストーリー」
小さな建設会社の昼下がり。。。最近、滅多にかかって来ない電話の呼び出し音が、小さな事務所内に響き渡った。

「はい!夕暮丘建設でございます」

たった一人の新入社員が、待ってましたとばかりに受話器をとると、開口一番、元気よくそう言った。

「内線14番に繫いでくれ。。。」受話器の向こうから太く低い男の声が、そう言った。

「失礼ですが、どちら様ですか?」新入社員は、名乗らない相手に、そう訊いた。

「失礼だと思うなら、訊かないことだ...」男は抑揚のない声で、そう答えた。

「はい、少々お待ちください」

新入社員は男の態度に少しムッとしながらも、そう答えると、内線14番を押して梨絵に電話を繫いだ。

梨絵は、男が、かつて勤務していた建設会社の経理部に所属している。梨絵が電話に出ると、男は在り来たりの挨拶を交わした後、こう言った。

「人間っていう生き物はな、四六時中、現実と向き合っていると、無性に息苦しくなってきて逃避したくなるんだよ。。。」

今では単なる知人でしかない元社員の男から、そう言われた梨絵は何も答えずに聞いていた。


「なんか、言うことないのか?...ある訳ないよなぁ~...俺とあなたは、恋人でも友人でもないんだから。。。今まで世話になったな。。それじゃ、さようなら...」

そう言い終えると、男は一方的に電話を切った。無機質な通話音だけが梨絵の耳元で鳴り続けていた。

梨絵は受話器をそっと置くと、出窓に置いてあるセントポーリアを見つめた。紫色の花びらが秋風に揺らされ、優しく微笑んでいるように思えた。

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「ただ、重労働が嫌になったんでしょ。。格好つけちゃって。相変わらずプライドだけは一流なんだから」

一週間ほど前、男は、この建設会社の作業員を辞めた。直属の上司と大喧嘩をしたという噂が梨絵の耳にも届いていた。

男にとって、3ヶ月間の勤務であったが、唯一、男のほうから語りかけた相手が梨絵なのであった。


まるで不器用を絵に描いたような、無骨でシャイな男。。。面長で彫りが深く、切れ長の目、喋らなくても印象に残ってしまう、野武士のような風貌をしていた。



「鉄筋用の六角ネジ500個...親分に言われてホームセンターで買ってきました。。。これ、そのレシート、、、精算お願いします」

夏のある日...建設現場から戻った男は経理部を訪れると、黒く日焼けした顔に汗を滲ませながら梨絵に、そう言った。


「えっ?...親分?..」


「現場監督の田所部長っすよ。。。」鋭く獣のような瞳で梨絵を見つめながら、男は無表情で淡々と答えた。


「あっ、田所部長ですね。。。」
そう答えた梨絵は、笑わない男の薄く開いた口元を見つめながら、早くこの気まずい空間から立ち去りたいと思った。


男は梨絵から代金を受け取ると、上着のポケットからキャンディを二粒取り出し、言った。

「レモン味とグレープ味...好きなほう、どうぞ」

男の骨太で大きな手のひらに載せられたキャンディは、まるで節分にまく豆のように小さく見えた。無愛想な男の思いがけない心遣いに、梨絵は驚きながらも、一瞬胸がキュンとなるのを感じた。


「レモン、、、やっぱり、、グレープのほうで。。」梨絵は、はにかみながらそう答えると、男の手のひらから、キャンディを一粒取ろうと手を出した。

その時、男は開いていた手を握りしめ、拳のようにして頭上に突き上げると無表情のまま言った。

「さて、この拳の中には、何味のキャンディが隠れているでしょうか?」


梨絵は、男にからかわれているような気分になり、男同様、無表情になった。そして冷めた声で答えた。

「レモンとグレープ...」

男の目を見上げながらそう言う梨絵の心は、不愉快な気分に満たされていた。すると男は、初めて口元を緩ませ優しげな瞳に変えると、突き上げた拳を梨絵の前に降ろして開いて見せた。


「残念...グレープ味は俺の好物なので食べちゃいました。。よって、手のひらには、レモン味のキャンディが一粒」

男は、そう言うと梨絵に、そのキャンディを手渡した。


「なんで?不思議...だって、レモンとグレープのニ粒を握り締めていた筈なのに、、なんで一粒消えてしまうの?!」


「それじゃ、お疲れさま。。。」男は、梨絵の疑問にたいし、タネを明かすことなく事務所から立ち去っていった。


「ごちそうさま~!」梨絵は去っていく男の背中に向ってそう言うと、何故か、ほのぼのとした気持ちになり微笑んだ。


今、思い出してみても、数えるほどしかない男との会話。。。そんな、ささやかな繫がりでしかなかった男から掛かってきた電話。。。そんな男の気持ちが、なんとなく梨絵の心を切なくさせたのだった。


「あの日、手のひらからキャンディを一粒消したマジックのように、生き方も器用だったら良かったのにね。。。でも、そんな男もいいんじゃない?」


梨絵は、そう呟くと周りの社員にバレないよう、デスクの二段目の引き出しを、そっと開けた。そして、優しげな眼差しで呟いた。

「シャイな社員の置き土産か...ありがとう、、不器用なマジシャン」


引き出しの中には、あの日、男から貰った一粒のレモンキャンディが、小さな色紙に載せられ大切に仕舞われていた。。。。










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