ショートストーリー502 | 丸次郎 「ショート・ストーリー」
「あのぅ、、このバス、隣町まで行きますかね?」

その野太い声に、ルミは驚いて振り向くと、そこには黒いサングラスを掛けた長身の男が立っていた。

東京から少し離れた地方都市の駅前バスターミナル。どことなく都会的な雰囲気を漂わしているその男に、ルミは気後れしながらも答えた。

「ええ。。隣町の総合福祉センター方面へ向いますよ」

「あっ、どうもありがとう」

男は、キャメル色のハットに手を当てて軽く会釈をすると、バスの中央側面にある経路図を見つめ始めた。ルミは、なんとなく可笑しくなったが、口元を固く閉じてバスの中に入っていった。


土曜日の午後2時...城下町の風情を色濃く残している街。その街を50年間、走り続けているボンネットバスは、わずか数名の乗客を乗せ、出発の時を静かに待っていた。。。

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車内、真ん中あたりの席に座ったルミは、左手首の腕時計とバス車内の時計を交互に見つめると、腕時計のネジを巻いて時刻を合わせた。

窓から差し込む太陽光の暖かさが眠気を誘い、ルミは口元を手で隠しながら大きなあくびをした。


「お待たせ致しました~...まもなく、上広町方面ゆきが発車いたします」

運転手がマイクを持ってそう告げると、バスのエンジン音が大きく響き始めた。そして乗降口の折りたたみ式ドアが閉まろうとしたその時、すっかり忘れていた先ほどの男が駆け込むように乗車してきたのであった。


長身でサングラスの男ゆえに、地元の乗客たちは少し警戒するような眼差しで男を見つめた。ルミも、その大きな足音に驚き、男を見つめた。


眉間に皺を寄せ、険しい表情を見せている男の額からは、汗がタラタラと流れていた。よく見ると鼻の下と顎に無精ひげを生やしていて、なかなかワイルドな風貌であった。


「お客さん、慌てないで結構ですよ。乗降口の階段、危険ですからね」
ベテラン運転手が、バックミラーで男の様子を見つめながら、優しい口調で言った。


「いやぁ~、すいませんなぁ。。。迷っちゃいまして。このバスでいいのかと。。。」

また、ハットに手を当てて、運転手にそう答える男を見て、ルミは再び可笑しくなった。


「まだ迷ってたの?隣町に行くって教えたのに。。。面白い人」ルミは内心、そう呟きながら顔を窓側に向けて微笑んだ。


「お客さん、、このバス、揺れますからね、席にお座りください」
つり革にも掴まらず、バスの通路で立ち尽くしている男を見て、運転手は、そう促した。


「あ~、そうだね。。。こりゃまた、どうもご親切に。。」男は、またもやハットに手を当てて会釈すると、そう答えたのだった。


「やばい、、、この人、壷にはまる。。クククッ」
ルミは、男が返答する様子を見て、また笑いが込み上げてくるのを感じながら、そう思った。


「これ、どこに座ってもいいんですか?...いいんだよ~!...なんてね」
背後で、男がそう言った瞬間、ルミは堪えていた笑い声を、思わず吹き出してしまったのだった。


そんな冗談混じりの男に運転手は少しキレたようで、男が席に座る前にバスを発車させたのだった。男は、その反動で大きな体をふらつかせながら、ルミから3席ほど後ろの席に勢いよく腰を下ろした。


「おい、運転手、、、親切なのか、意地悪なのか、どっちかにしてくれよ。。。難しい年頃だな、まったく。。。ふぅ~~」

ルミの背後からそう呟き、溜め息をつく男の声が聞こえてくると、ルミは眉を上げて目を見開き、のどかな街並みに視線を向けた。


「まもなく琴坂中学校前。。。家電の辻屋、楽器の太鼓堂は、こちらでお降りください」

女性の声で、あらかじめ録音されてある音声ガイダンスが車内に流れ、そう告げた途端、背後の男がまた呟いた。

「ほんとか?今の声、、、2年前に別れた明子の声にそっくりじゃねーか。。明子、車内アナウンスのバイトしてんのか?」


ルミは、この男が少し変わっている人物なのか、それとも酔っ払っているのか、頭の中で考え始めた。思ったことを、いちいち口に出して言う男に多少の違和感を覚えながらも、なぜか憎めない人情のようなものを男から感じていた。


「次は、曙岬運動公園入り口。。。釣具のサマンサ、大衆居酒屋アキコは、こちらでお降りください」

次に音声ガイダンスの声が、そう言った時、男は前よりも大きい声で言った。

「大衆居酒屋アキコ?!...明子のやつ、居酒屋始めやがったのか!?バスのアナウンスと居酒屋の大将かよ!明子、やるじゃねーか!、、、はい!はい!ここで降ります!ここで降りちゃいますっ!」


男は停車ボタンを押すことを知らず、左手を高々と挙げながら、運転手に向ってそう叫んだ。


ルミは仕方なく、自分の側面にある停車ボタンを押してあげたのだった。まもなく、バスが曙岬運動公園入り口に停まると、男は運転席の隣にある運賃支払い箱に千円札を入れようとした。


「お客さん、始発からのご乗車ですから160円ですよ。。ほら、ここにお札を入れると硬貨に両替できますから、160円だけお支払いください」

運転手が笑顔を引きつらせながらそう言うと、男はサングラスをとり、運転手を眩しそうに見つめながら言った。

「お釣りは、いらないよ。。。これは、俺の気持ちだ。。黙って受け取ってくれ」

太く低い声でそう言うと、男は運転手の肩を軽く叩いて、バスから降りていった。



「なんだか、よく分からないけど、最後だけ格好よく決めやがったな、、、あのオッチャン。。。でも待てよ。。。あのオッチャン、隣町まで行くんじゃなかったの?変なの。。」

ルミは車窓から、後方へと消えてゆく男の姿を目で追いながら、心でそう呟いた。まるで、意味のない一人芝居を無理やり見せられたような、そんな不思議な数分間の出来事であった。。。


ルミは目的のバス停で降りると、走り去ってゆくボンネットバスを見つめ、やがて文化会館へと歩き出した。

その時、背後から忘れもしない、あの男の声が聞こえてきたのだった。

「今度、ここに来るバス。。隣町まで行きますかね?」

ルミは振り返ると、驚きのあまり言葉をなくした。

キャメル色のハットに黒いサングラス..そして無精ひげを生やした長身の男。。。先ほど、すぐにバスを降りていったあの男が、ルミにたいして意味深な笑みを浮べながら立っていた。。。。










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