ショートストーリー371 | 丸次郎 「ショート・ストーリー」
年の頃40代半ばの桑山は、今年の春、それまで勤めていた大学の講師をクビになった。

理由は、「勤務態度が劣悪である」と、言うことだったが、それは大学側の一方的な見解であり、事実とは大いに異なっていた。。。

確かに桑山に対する受講学生らの評判は、特に良いという訳でもないし、人気講師でもない。でも大学側が指摘するような劣悪な勤務態度は、一切見受けられなかった。

桑山が強制的に解雇された理由として、唯一考えられるのは、講義の中で桑山は、よく政治家批判をしていた、ということであった。。。

それも、社会的弱者を切り捨て、利権をむさぼっている特定の政治家を批判していたというのである。

後に風の噂で、その政治家と、勤務していた大学の学長が同級生であり、親友であったことを知った桑山は「なるほど...」とだけ呟いた。


桑山は、理不尽な解雇を実行した大学を訴えることもなく、おとなしく退職したのである。
「そんな堅苦しい場所には、もういたくない。。。民主主義だろ?ここは」後日、酒の席で桑山は、そう洩らしている。。。


以下は、そんな桑山が酒の席で私に語った「言葉」である。。。


「思っている通りにいかないことが、この世には沢山ある。そして、こんな筈ではなかったと、悔やんだり愚痴をこぼしたりする。

そもそも自分の力というものが、人生においてどれ程の原動力になっているのか?そう思う時がある。

自分で決めて自分の力で人生を歩んでいるようで、実は違うのではないか?そう感じているのである。

好きな異性がいても、必ずしもその異性と親しくなれる訳ではない。進みたい学校があっても、様々な理由で行けないこともある。

それは自分の意志の強弱というよりも、そうせざるを得ない流れのようなものがあるように思うのである。

すると、ある人は言う。「人のせい、環境のせい、社会のせいにするな」と。それは考え方として賢明である。

ただ、健康で元気な人と、障がいを持っている、或いは病を抱えている人、経済的に裕福な人と苦しい生活の人とでは、スタート地点、通過地点が変わってくると思う。

「それは本人の運命、自己責任だ」などと、一刀両断に切り捨てるような、血の通わない寒々とした考え方を、俺は、したくない。

人は、いかなる境遇であっても、自分が置かれている状況の中で、いかに前向きに生きていけるか、そういうことが大事なのだと、今さらながら思うのだ。

自分の置かれた状況を悔やんでも、人や境遇を憎んでも、辛くなるのは自分自身である。より閉塞感が強まってしまうだけである。

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他人の心は変えられない。自分の心すら変えるのは大変である。親、兄弟の心さえ、容易に変えることさえ出来ないのだ。

心を、生き方を変えるのは唯一、「本人の自覚」だけである。当の本人が反省、或いは気がつき、本気で変わろうと決意しないと、人の心、生き方は変わらないものである。

慢性化した暮らし方、パターン化した生き方。。。それは社会で生きていくうえで仕方がないことだが、それが今の自分にとって、大きな閉塞感を与えているのなら、風穴を開ける工夫、考え方が必要かもしれない。


ここで重要なキーワードが、「諦めない」「信じ続ける」ということだと思う。跳ね返されても、虚しさに覆われても、最後の最後は諦めない、大丈夫だと信じ続けること。。。これが窮地から這い上がる地道な力となり、やがて晴ればれとした自己を掴み取ることが出来るポイントではないか、と思う。


だから、仕事でも、家庭でも、病でも、絶対に諦めず、うまくいくのだ、治るのだと、信じ続けること、そして今の自分に出来る範囲の努力をしていくことが、人生を救ってくれると、私は信じている。


将来や明日を不安に思う時、過去を悔やみ後悔する時、そのエネルギーを「今、この時」に向けて使う。未来にも過去にも自分は存在していなくて、唯一自分が存在しているのは、この「今」の瞬間である。

この「今」という一瞬が幾重にも積み重なって、人生になっていく。。。

だから、相手でもなく、社会でもなく、未来でもなく、過去でもなく、今の自分という存在、立ち位置を前向きにプラスに捉えて、出来るだけ楽しい気分で生きていくことの積み重ねが大切なのかな、と感じている。


寒さに冷たさに耐え、健気に、ひたむきに生きている全ての人の現状が、日々良い方向へと前進していくよう、俺は心から願っているんだよ。。。」



この話の間、桑山は私の肩を摑み続けていた。そして、二重瞼の瞳は、若干潤んでいるように見えた。


「じゃぁ、またな。。。いつか、どこかで会えたなら、その時は、また飲もうぜ」

居酒屋の暖簾を潜って、寒い星空の下に出た桑山は、私にそう言い残すと、白い息を漂わせながら去っていった。。。






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