ショートストーリー215 | 丸次郎 「ショート・ストーリー」
「俺だって、自分の貴い子どもを、誰よりも愛しているんだ!」

多忙な仕事を理由に、我が子の面倒すら見なくなったと、妻のエリにきつく言われたトシユキは、激しく、そう反論したのだった。


コンピューター関連のソフト開発を仕事にしているトシユキは、毎日のように残業を重ねていた。疲れきった表情で帰宅するのは、いつも深夜であった。。。


結婚6年目に誕生した可愛い長男を、初めの頃は溺愛していたトシユキだったが、ここ数ヶ月は、そんな余裕もないほどに疲れきっている様子であった。。。


「あなた、、、仕事が大事なのは分かるけれど、その調子だと体を壊しかねないわ。。。残業、もう少し減らせないの?」

雨の日曜日、洗濯物を部屋干ししながら、エリは心配そうに訊いた。


「俺だけ、早く帰る訳にはいかないよ。。。ソフト開発はチームでやっていることだ。俺が欠けて納期が遅れたりしたら、それこそ俺達みたいな弱小企業は潰れちまうんだよ!」

そう言い返すトシユキの後姿が、エリには、たまらなく切なかった。。。


「この雨、いつまで降るつもりかしら。。。」エリは独り言のように言うと、子供の半ズボンを洗濯バサミでつるした。


「ケンちゃん、よく眠っているわ。。。昨日公園で、はしゃぎ回っていたから疲れたのね、きっと」
部屋の片隅で、小さな布団に包まって眠っている我が子を見て、エリがつぶやいた。


「なぁ。。。ケンは俺のことを父親だって、認識しているのだろうか?」
丸めた背中の向こうから、トシユキが自信無げに、そう言った。。。

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エリは、小さく溜め息を一つつくと言った。
「あなた以外に、誰がこの子の父親になれるのよ?認識していようが、いまいが、ケンは、あなたの子供でしょ?しっかりしてよ!」


エリは夫の口から、こんなにも弱気な言葉が飛び出すとは、正直、思ってもいなかった。

夫の言葉を聞きながら、干してある子供の小さなズボンを見て、エリは無性に悲しく寂しい気持ちになってきたのだった。。。


「嘘でもいいから、『俺に任せろ!』って、言ってよ!『俺がいるから大丈夫』って、言ってよ!」
まるで、心の中の細い支柱が外れたようだった。子供の洗濯物を手にしたまま、エリは涙声で、そう叫んでいた。


「トシユキの辛さは、私、よく分かっているつもりよ。。。でも、どうしてあげたらいいのか?私も家事や育児でいっぱい、いっぱい。。。ねぇ?どうしてあげたらいいの?」

床にしゃがみこんだエリが、顔を伏せながら、そう言った。。。


するとトシユキは、ゆっくりと立ち上がり、眠っているケンの傍まで行くと静かに座った。

トシユキは、しばらくの間、子供の寝顔をじっと見つめていた。。。


エリは、涙で濡れた頬を指で拭うと、そんなトシユキを見つめた。。。


「ケンの目と鼻は、エリにそっくりだな。。。俺に似なくて良かった。。。顔の輪郭と額の感じは俺かな。。。男前だな、ケンは」
トシユキが静かに優しい声で、そうつぶやいた。



「ううん、あなたにソックリよ。。。案外、頑固なところとか、負けず嫌いなところとかね」
エリは、潤む瞳で微笑みながら、そう言った。。。


それを聞いたトシユキは、黙って微笑むと、優しく静かにケンの頭を撫でたのだった。。。。


やがてエリは、そばに行くと両手を広げて、背後からトシユキの体を優しく抱きしめた。そして、ささやいた。

「あなたなら、どんなことだって、きっと乗り越えてゆける。。。あなたには私が、私には、あなたが付いているわ。そして、私達の宝、ケンもね。。。」


トシユキは、胸で組まれたエリの両手に自分の右手を重ねると言った。
「ああ、、、大丈夫だよ。。。エリとケンの為なら、どんな事だって乗り越えてみせるさ。。。」


その時、スヤスヤと眠っているケンの寝顔が、少しだけ微笑んだ。。。

「あれ?ケン、俺達の会話を聞いて笑ったのかな?」トシユキが、微笑みながら言った。


「楽しい夢でも、見ているんじゃないかな?」トシユキの頬に顔をつけながら、エリが答えた。


「そうだよな」


「うん。。お父さんも僕みたいに、夢を忘れずに楽しく生きようよ!って、ケンからのメッセージかもね。。。」
エリは、そう言うとトシユキの背中に顔をうずめて目を瞑った。。。



外の雨は、いつの間にか降り止んでいて、雨雲の切れ間からは、かすかに青空が顔を覗かせていた。
鳥達は、それに気が付いたように優しく鳴き始めた。。。


「ケンが目を覚ましたら、久しぶりに家族で食事にでも行こうか?」

トシユキが、そう提案すると、エリは顔を上げて微笑み「うん!」と、うなずいた。。。。



次第に、空は明るさを増していき、初夏の柔らかな陽射しが、三人の温かな部屋を優しく照らしていた。。。。







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