中房温泉から燕岳へ。

朝6時過ぎに登り始める。


これを書いている今は1週間後だが、平出和也さんと中島健郎さんがK2で滑落したとのこと‥。

私はNHKラジオで土曜日の朝やっている山カフェという番組をいつも聞いているが(マスターの石丸さんが大分出身なのもあり)、そこに平出さんと中島さんが何度か出演していて、二人ともいい感じだな、すごいな、といつも思っていた。

特に中島さんは人柄のよさがものすごく伝わってくるというか、話し方の感じがとてもよい方だった。


私が行くような山は難しい山ではないが、それでも、どんな山にも危険はある。

K2で未踏なんて、想像もつかないハードさだが、でも少しわかるのは、リスクがあってもチャレンジしたくなるというところだ。


今は登山で救助を呼んだりすると叩かれてしまったりする。無謀な登山者に無駄に税金を使われたくない、ということなのだろう。

しかし、どこからが無謀でどこからが無謀ではないというのは線引きが難しいし、完全に安全な登山なんてない。

そういったら、外を歩くだけでも、完全に安心なことなんてない。だったら、山に行って体を鍛えて、普段の生活の危険度を下げる(身体の能力が付く事による)メリットは大きいと感じている。

というのは後づけのいいわけで、まだ登りたいから登っているというのが本当のところだが‥。


それでもやはり登山の方が一般的な外出よりももちろん危険は大きくなるだろう。

だから、登山しない人は「なぜわざわざ、きつくて危険も多少は伴うことをするのか」という風に思っても当然だと思う。

思うが、でも「それが人間です」とも思うのだ。


安心安全なとこだけしていて楽しく暮らせる人もいるだろうが、何かチャレンジすることで生活にハリが出るし、多少の不安要素や危険があるからこそ、達成感も高まったりするものだ。


もちろん私はK2なんて、普通のルートでも一生いかないが、でも次から次へと未踏のルートをチャレンジしたくなる性みたいなことは少しはわかる気がする。

でもとても残念です。なんとなく、今度も普通に笑顔で戻ってくるものと思い込んでいたので。

本人たちも、危険はもちろんあるとわかってはいただろう。ただ、もちろんそれでも達成できる、と思えばこそ行くのだが。でも、危険なこと全てを避けて生きていって、それが何が面白いのか、と思う人間も一定の数いるのだと思う。

その中に犯罪方面のスリルにハマる人もいるのだろうが、そうではなくこういった方面に向かって、非日常を味わいたい、というのをあまり厳しい目で世の中は見ないでほしいと願う。


尖ったのが槍ヶ岳(遠くから見ただけ)


今回の私の二泊三日の山行は、人気のルートで難しくもないが、なんせ2泊は必要だからそれなりの体力は必要だし、そのため私にとっては少しハードルが高いものだった。


一人で行くからこそ、何かあってはならないし、体力が持つかな?と不安にはなった。

でも、こういうちょっとした、でも自分的には大きなチャレンジが必要で、それがなくて日常、ただ仕事をしているだけだと次第に閉塞感にさいなまれていく。

もともと、同じことを繰り返すだけの日々が苦手だし、同じところで同じことばかりしていると、何しているんだろう?という気持ちになってしまう。

以前はそれで、ただ腐っていたのだが、登山を始めて発散する手段を得たというか、身体的にただただキツい、というのを自然の中で経るだけで、体はキツいが気持ちのもやもやはかなり軽減される。

一般的な登山愛好家はそういうものだと思う。


燕岳へは合戦尾根というのを登っていく。

たいていの山がそうであるように、最初は樹林帯だし、低い場所なので暑い。

汗を書きながら登っていくと雲もだんだん消えていって、快晴という感じになってきた。


次第に見晴らしも良くなってきて、槍ヶ岳の先が見えるようにもなってきた。

久々の山行だが、前回の早池峰山も栗駒も天気が良くなくて、しばらく好天に恵まれてこなかったから嬉しい。

天気が良いと展望が全く違うし、もちろん雨や風がひどければ登るのはその分大変になるので、天気はいいに越したことはない。


燕山荘が見える頃には、辺りはいろいろな花が咲き乱れていた。

私は展望派で、花目当てで登山はしないのだが、咲いていてくれるのは嬉しいものだ。もったいないことだが、名前も知らないいろいろな色や形の花が咲いていて、とてもきれいだ。



燕山荘で一休みして、燕岳に向かうとコマクサがたくさん咲いていた。

花が好きな職場の人が教えてくれた通りだ。

ここまで来るとあっても低木のみだから、展望はすごく良い。

空も青いし、とても気持ちがいい。


楽しい気分で燕山荘に戻り、大天荘に向けて出発する。

燕岳へは荷物をおいていけたからよかったのだが、大天荘に行くにはもちろんまた荷物を背負わなければならない。

私は普段、日帰りの低山ばかり登っているので、重い荷物を背負っての登山はかなり辛い。

でも、稜線だし‥と思っていたが甘かった。




今日の目的地の大天荘は見えているものの、思ったより高い位置にあった。

つまり、そこまで登らなければならないということだ。

意外と長い距離を軽いアップダウンで歩いていたが、徐々に登りが多くなってきた。

そして大天荘の麓?まで来たら、あとは登るだけとなった。

普通の状態なら、キツイけれどそれなりにこなせたと思う。

しかしここに至るまでたくさん登って歩いてすでにかなり疲れていたし、いつもの低山と違って標高も高いせいだろうか、最後の登りがきつくてきつくて仕方なかった。


大天荘

やはり空気が薄いせいだろうか、いつもの登りのキツさとは違うキツさを感じた。

私は高所があまり得意ではないようで、以前富士山で高山病になってしまったが、そのような状態ではないものの、猛烈にだるい。

でも富士山のことがあって、対策として息をしっかり吐く、というのを聞いた気がしたから、なるべく深く息を吐くように努めた。

努めたが、吐くのは吐けても十分に吸い込めない。

ただでさえ登りで体力を使うのに酸素が体に足りていなくて、きつくて生あくびが何度も出た。


さっきからずっと登っているような気がするのに山小屋は少ししか近づかない。

正直、こんなにきつい思いをするとは思っていなかった。

息苦しい中、自分の体力を過信していたな、という思いと、ここまできついと景色を楽しんだりする余裕は全くなく、ただの苦行というか、とにかく登らないと山小屋にたどり着けないので、とりあえずノロノロと進んだ。


こんなきつい思いを、自分からしにくるとは、ここまできついときついだけだし、早まったか。など、頭の中はきついというのと、ただ一刻も早く小屋にたどり着きたい、それしかなかった。


息は絶え絶えでどうにかやっと小屋にたどり着いた。

ズキズキと頭も痛い。

でも、案内された部屋はキレイで仕切りもあるし、とても快適そうな山小屋だった。

念願のビールを買って小屋の外で飲んだ。


さっきまでは

「こんなにきつかったら、明日はどうなるのやら‥」と思っていたが、荷物をおろしてこうして休んでいると頭痛もすぐ引いて、かなり楽になった。

それは富士山のときとは違った。富士山のときは休んでも頭痛や吐き気は収まらなかったから。

それで安心して、眺めの良い食堂で美味しい夕食をいただいていると、外に雷鳥がいた。




雷鳥を見るのは昨年の木曽御岳の時以来だ。

もっと見たくて食事後に外に出てみたら、まだいた。2匹のひなもいた。

ひなは無邪気にうろちょろするのがとてもかわいい。でもそのために天敵に襲われることも多いのではなかろうか。


本当は夕日も見たかったが、あまりに疲れていたので明日のこともあるし、その後はすぐに寝た。


幸いなことに、普段も清潔でフカフカで、ぐっすり眠ることができた。