雨の中、上野のデ・キリコ展に行ってきました。
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最近、出かけようという日に雨なことが多いです。
この日は美術館なので雨でも良さそうなものですが、雨といっても大雨傾向で、そうなるとしんどいです。
当日思ったよりも雨降ってないな‥とならないかな、と思っていましたが、予報通りの強めの雨です。大雨、というほどではありませんが‥
私の仕事はシフト制で月曜日が休みです。
月曜日は美術館が閉まっていて、行けません。
日曜日に休むことも多いのですが、わざわざ日曜の人が多い時に特別展に行きたくありません。
昨今は特別企画展は入場料も高く、せっかく払ったならゆったりと見たい、と考えます。
だから雨の中出かけました。
すると最寄り駅で改札口にみなさん立っています。
どうやら人身事故で電車が止まっているご様子。
そもそももっと早く出ればよかったものの、ぐずぐずしていて遅れていました。
そこにこの事故です。
駅のホームは目隠しがされていて、警察、消防などかなりな数の人員がいます。
もちろん、人身事故で電車が止まる、といった経験は何度もありますが、すべてどこかでそうなった結果として自分が乗っている電車が止まるのであって、さっきここで起きたんだな、というのを見るのははじめてです。
担架は目隠しの外に置かれたままみなさん現場検証しており、もう急いで病院に運ぶ理由はないということなのだなと分かりました。
これまであまり考えたことはなかったですが、
「はねられた人はバラバラになるのだろうか」
「ほとんどみんな即死するのだろうか」
そういった疑問がわきあがってきます。
スマートフォンで調べてみると、どうも即死がほとんどのようで、そうなると確かにこの手段をとりたくなるの理由もわかってきました。
ちょっと前に踏み出しさえすればほぼ確実、あっという間の出来事なのですから。
該当の電車がホームの少し進んだ位置に止まっていました。
その場所から離れていたのですぐには気付きませんでしたが、確かに次の駅にも行くわけにはいかないので、そうなるのでしょう。
乗り合わせた方が電車から降りていました。かなり時間が経っていたのではないでしょうか。
人身事故は先頭車両で起きると思われます。
直接その場面を見ていた人はトラウマになるのでは‥と思いましたが、
先頭車両なので一番見える人は運転手さんであろうと思われます。
運転手さんも大変です。
自分に落ち度はなくても、自分が運転していた電車でそのようなことが起きたら、二重三重のショックを受けそうです。
どうにか上野にたどり着くとまあまあの雨でしかも寒い。
いつもならば公園をゆっくり散策したりするのですが、そんな気持ちのゆとりは起こりません。
そしてこんな天候の中、いるのは外国人の方ばかり。他の場所を観光するのも難しいから、美術館に来ているのでしょう。
キリコ展も3分の1は外国の方では?といった感じでした。
先日アーティゾンのブランクーシ展に行った時、東京駅近だから外人が多いのかな?
と思っていましたが、もう東京の美術館はどこもここも、外国の方が多いっぽいです。
今回のデ・キリコ展は朝日新聞社の企画ですが、わたしの絵画好きは朝日新聞の日曜版によるものです。
当時小学生で、日曜版を毎週すごく楽しみにしていました。
シャガール、ムンク、クレー、キリコ
もちろん定番のモネとかもですが‥
こういった絵画が好きになったのは朝日の日曜版で見たからです。
とてもよいシリーズでした。当時のご担当の人、ありがとうございました。
おかげで幼少の心に深く絵画の素晴らしさが浸透しました。
ムンクは何年か前にやはり朝日の企画でここ、東京都美術館で展覧会がありました。
その時ももちろん行き、感動しました。
東京都美術館は私好みの企画が多いです。
上野に来ると大抵ここです。
キリコを知ったのも日曜版です。
当時、モネの光あふれる絵や、シャガールのように幻想的な絵に心惹かれていましたが、
ムンクの暗い情動的な絵に衝撃を受け、キリコの絵も今も心に残っています。
今回どの絵かな?と調べてみると、
「通りの神秘と憂鬱」だとわかりました。
残念ながら、その絵は今回展示されていません。
この絵の、少女はいるけれど生きている人間に見えないし、他の人物の影だけで存在を示し、とにかく全体的に影が長く延びていて、たしかに憂鬱なんだけども神秘というのもわかる、深閑とした感じといいますか、それが子ども時代の私の心に強く印象に残りました。
その後、何度か絵を見る機会があり(大原美術館など)やはりいいな、と感じていましたが、今回のようにキリコだけの展覧会は初めてです。
展示は自画像から始まりました。
知りませんでしたが、キリコはあの特徴的な絵で有名になった後、古典に帰ってバロック調の絵などを描いていたそうです。
自画像も私が苦手な、大時代的な肖像画で(その時代のものを参照していたのですから当然ですが)、おお‥となりました。
初期の弟の肖像画を経て、やっと私や大勢の人が思うところのキリコ、例の「形而上絵画」の時代に入りました。
やはりキリコといえばこれです。
この時代の絵が「形而上絵画」というのだとは、今回知りました(日曜版時代に読んだのかも知れませんが)。
名前もいいです。
私は「射手座」です。
太陽だけでなく、射手座にたくさん天体が入っており、かつ、ハウスもほとんどずれていないので、射手座味が強いです。
射手座といえば、形而上、なのです。
この世の具体的な実利や実生活のあれこれというよりは、もっと違うものを追い求めていくのが射手座だと思います。
私は昔から空想チックなところがあり、とくに若い頃は、具体的に良い仕事を得るための行動、素敵な伴侶を得るための動きができなくて、それを得ることができず、くすぶり続けてきました。
「これをしたら成功する!」「これでモテる!」みたいなことが一切できず、もっと大きな理想というか、そういうものをぼんやりと思い描くものの、あまりに現状の自分とそれはかけ離れているので、そこにたどり着く一歩も踏み出せず、‥といった状況が30年は続いたのではないでしょうか。
そうしているうちにただ歳だけとってしまい、中年、どころかそろそろ初老、という雰囲気も出てきています。
老化はやはり悲しいことですが、これだけ時間が経ってやっと少し、自分に折り合いがつくようになりました。
これも老化なのでしょうが、若い時の高い理想とか、それじゃないと嫌!とかがかなり薄まってきて、具体的なことにも動けるようになりました。
登山のおかげもあると思います。
高い山に登る、というのは射手座が好きそうな行動ですが、それには計画、準備、当日に歩き続けて降りてくる、一連の具体的な動きが必須です。
高い山に登る、という目標を達成するために必要なそういった諸々の雑事に毎回対処し、そういう面倒なことがあるからこそ、一層頂上に至った時の喜びが大きい、という側面を知りましたし、実際続けることでそれができる自分(体も心も)になってきました。
もともとそんな私なので「形而上」という言葉に親和性が強く、やっぱそういうの大事だよね!と思います。だからキリコが好きだったんだ‥と、これのどこが形而上なのかはよくわからないものの、惹かれた理由はなんとなく分かりました。
次に出てくるのはあの有名な「マヌカン」。
私はこれがマヌカンと呼ばれるものである、と今回知りました。
キリコといえばこれ、という特徴的な顔のないフィギュアです。
キリコが古典に回帰してからは、顔はこれでも身体は人間になったりしていますが、
やはり身体も人形味で人間ぽさがない初期のものがいいです。
シュルレアリスト達がディスったのも分かります。
と同時に、「自分が好きなように描くんじゃ!いつまでも同じ描き方なんてつまらん!」
というのもよくわかります。
それが売れたからといって、同じスタイルで描き続ける画家は私は好きではありません。
同じスタイルでも、それを始めた初期の魂が入った絵と、ただそれをなぞったような絵はまったく違います。
いつだって自分が絵を描くことに楽しみたい、それはその通りで、そうしていただいて構いません。
キリコも売れるからでしょうが、顔のない頭を描き続けてはいました。
キリコに住んでいた邸宅は本当に邸宅で、今は美術館になっているそうです。
それだけのお金を絵で稼いでいたということです。
まずキリコを有名にしたのはこれらの絵は、それだけ売れるのも頷ける、インパクトがある絵です。
途中で古典に帰って紆余曲折しても結局は新形而上絵画などといって、昔の自分の絵を取り入れながら、ギザギザの黒い形や、神話の逸話など新たなものも取り入れていったキリコ。
とくに終盤の絵は、自由にやりたいようにやってる感が満載です。
そうして90歳まで生きて描き続けたようです。
これまで私は、こんな絵を描く人なんだからもっと暗くて孤独で不遇にでも終わったのだと思い込んでいました。
生きている間全然絵が売れなくて死後に作品が評価された画家なんてたくさんいますから、その一派かと。
実際のキリコは立派な邸宅に住み、長生きして描き続けた人でした。
その時々、自分が満足できるように楽しく描きつつ、経済的にも潤っていたので長生きできたのだと思います。
展覧会の入口にはキリコの言葉が記されていました。
「風変わりで色とりどりの玩具でいっぱいの、奇妙な巨大ミュージアムを生きるように、世界を生きる」
まさにこの言葉を、体現して大往生したキリコ。
初期の絵は一見重い感じに見えますが、実際はこの世界を俯瞰して(≒形而上)いるだけで、
色々なことが起きてもそれを「世界って面白いな」と捉えていたのかもしれません。
私もそのように生きたいと思いました。