平標山に行きました。



当日天気が悪くなることがわかり、一度は計画を変更しようとしたのですが、一日ずらせば大丈夫そうだったので行くことにしました。


前の日は天気が悪いものの、せっかくそこそこ遠出なので前泊しようと、苗場の麓の宿を検索。

ドミトリーで安い宿があったのでそこに予約しました。


平日だし人が少ないだろうな〜と思っていたのですが、最近の宿はすごいというか、直前にメールで入館と入室のパスワードが届き、宿のスタッフはいないご様子。

それも気楽でいいな〜と思っていたところ、たまたま同じバスで来た別の宿泊者はメールを見ていなかったのか、入館できずに困っていました。

こういうことがあると予約のページに書いておいた方がいいのでは、と感じました。


ちなみに、ドミトリーは誰もおらず、そこを独り占めで使えてお得だったので文句はありません。


その近くに「宿場の湯」というのがあり、その無料券がもらえると思っていたのですが、どこにあるのかわからなかったので無料は諦めることにしました。

温泉はこじんまりとしていましたが、清潔で(特に蛇口の綺麗さがすごかったです。掃除の仕方を知りたいです)サウナと水風呂もあるのでよかったです(温泉は?でしたが)。

ちょうど夕暮れ時で、雨がやんで晴れになって、真っ赤な色に空が染まり、それを眺めつつ湯に浸かることができ、サイコーの気分でした。


部屋に帰ってきてよく見ると、棚に温泉の無料券が置いてありました。

そうならそうとメールに書いていておいてほしかったです。私はケチなので使わないのも勿体ないし、下山後これで入ることに決めました。


翌日は快晴です。

登山口から普通に周回しようかと思っていたのですが、温泉の近くに登山口があり、こちらに降りる事ができそうなので、登りはスタンダードな登山口から平標山の家を経由して山頂、そして仙ノ倉まで行き、下山は松手山からその温泉がある二居の方に向かうことにしました。


宿からは早朝のバス(乗客は私のみ)で登山口まで行き、登り始めました。

はじめの方は、これが登り?というほどの傾斜のなさで、林道らしきところを通っているとやっと登山道のところに来ました。

そこからは登山らしい感じになり、樹林帯を登っていきました。


私は登山計画の際、アプリでルートを設定し、だいたいの時間や危険性を把握します。

しかし地図が読めないし、そんなに読む気もないので、ルート上にどれくらいの急登があるとか、ここに来ればこうなるとかはほぼわからずに登ります。


念のためお伝えしておきますが、計画する時に難易度の高い内容があればそれはアプリのルート上に書いてあったりするのでわかりますし、自分の実力で無理っぽいところには行きません。

でもルートのことをあまりにガッツリ調べておくと、そこに行ったときの新鮮な驚きが減ってしまうのでは?と感じ、自分の実力でOKか程度のざっくりした把握に留めています。


だから、新しい山に行くと色々新鮮です。

樹林帯を登っていくと、山小屋に到着しました。

俗世から急に天国に行ってしまった感じで、ぽかんとしました。

ここから森林限界エリアのようで、急に視界がひらけ、かつまだ5月だから残雪と空と山の緑の織りなすコントラストがすばらしく、夏山シーズン到来!という感じで相当上がりました。


たいしてきつい登りもなく、難所もなく、それでこんな景色に出会えるなんて、なんてお得な山なんだ!と感心しきり。

その後は天国気分の鼻歌を歌いながら、平標の頂上まで登りました。

そこも誰もおらず、こんないい天気なのになぜ?と思いつつ、仙ノ倉山まで稜線上を移動しました。


稜線

平標山に戻る頃には人もちらほら見かけるようになりました。
やはり人気の山なんだと安心もしましたが、誰もいない時に山頂を独り占めできたのも嬉しかったです。

ハクサンコザクラ?桜もちらほら咲き始めていましたが、花のシーズンはもう少し先のようでした

松手山から温泉の方に下る道に入ると、それまでの森林限界で強風にさらされていたのが一気に樹林帯、無風になり、新緑が芽吹きまくっていました。
登りの平標山の家のところもそうでしたが、ここはON/OFFが急な山のようです。いきなり様子が変わります。

その後は樹林帯をただただ下り、そのうち林道に入ると、今度は一般の山菜採りの方々をお見受けするようになりました。
この辺りは山菜も有名なのでしょうが、私にはどれがみなさん目的とされている山菜だかわかりません。

ただ、私がまだ幼稚園に通い始めくらいの頃でしょうか、母が「これは食べられるよ」といって茎の皮を向い食べていた草はあったので食べてみました。

下りきって道路の近くで撮った写真ですが、山の麓の方ではもっと若々しかったです。

別にそんなに美味しいものではないので、小さい頃2、3度食べた程度でしたが、何故か記憶に残っており、改めて食べてみたところ、思い出に残っているのと同じ、酸味がある味でした。
でも歳をとったせいか、また、昨日からこちらに来ていて新鮮な野菜を欲していた(素泊まりだったため)のか、また食べたくなる感じで何本もむしって食べてしまいました。
イタドリさんごめんなさい。
食べると胃がスーッとして、非常に爽やかなのが癖になってしまいます。
自分には合っている思い出の草でした。今後も見つけたら食べようと思いました。

温泉に入るためにバスは一本見送ったので、時間に余裕があり、近くにあった水力発電の博物館に行きました。

ダムのところにも登りました。

最後は温泉です。
はじめに書いたように、温泉としては?ですし露天もないのですが、小さい作りでも窓は大きいので開放感があります。
今回は昼間だったので陽が射し込んでいて、
「オラファー・エリアソンの波の光」を見ることができました。


それは何かといいますと、コロナ禍に東京都現代美術館で見たオラファー・エリアソンの「ときに川は橋となる」という作品を見たことを契機に、私が昼間の光が反射する風呂で見出すようになった現象です。
オラファーさんは環境アート?に取り組んでいらっしゃるのですが、理念先行で環境を守れ!みたいな怖い感じの作品では全くなく、環境のことが含まれていなくてもアートとして十分に鑑賞に値する作品を作っています。
どれもこれも作品そのものとしての質が高いのですが、環境の意味合いを知るとそれがもっと深まる感じです。
「ときに川は橋となる」という作品はこの展覧会のための新作で、このとき最も私の心を動かした作品です。
波の動きが光で映し出されて、直接波を見ているのとは違う感覚で、でもまさに波ってこういうものだ!と本質を新たにとらえなおすことができます。

こんなすてきな波の光をきっとそれまでも見たことがあるはずのに見ていなかった。でもこうやって、一瞬も同じではない波の繊細なリズミカルな動きを作品として提示されることで、それがこのように美しくある、ということを可視化してくれます。

普通に見て美しいと思う自然の姿とは違う視点で、自然の姿を誇張も歪めもしていない、まさにそのままの姿なのに見たことない感じ。

新たな側面に気付かせてくれる、これこそまさにアート!と感動しました。


水の動きが光に照らされ揺れ動くさまを次に見たのは、箱根の露天風呂でした(正確には露天の水風呂)。
水面に光が反射し、壁に波の光が映されていることに気付き、これはあの時のオラファー・エリアソンだ!と感じました。
水面を見ている時には気付かない波の様態が、光に照らされて拡大されて壁に映し出されるとキラキラして一瞬も同じでなく、繊細な揺れ動く感じが、いつまでも見ていられます。
この時は水風呂でしたが水風呂の寒さも忘れるくらいでした。

このことがあり、その後は光が当たる風呂に入った際にはこの波の光がないかチェックするようになりました。
こんなアートに気付かせてくれたオラファー・エリアソンはすごいとしか言いようがありません。

私が登山するのは、日常触れている自然の姿とは異なる姿に出会えるからです。
どうもそういった、いつもと違う何かに出会いたいという気持ちが大きいです。
登山は登ればいつもと違う風景に出会えます。シンプルでそれはそれで良いですが、アートというとこういった、視点を変えるようなこと、それによって日常のものを見る目も変わるような、そういうものであって、同じように「いつもと違う」でも、そこには違いもあります。。

とにかくそれを風呂で見れたらラッキーで、喜んで眺めるようになりました。
そういう、日常に戻っても別の視点を持ち続けられる作品を作るのが、すごいことだと思います。

今回の登山後の風呂では、窓からいい感じの光が湯面に射し込み、波が壁、天井に映し出されていたのですが、それだけではありませんでした。
その湯面の揺れがつくり出す光がプリズムとなって、浴槽のタイルや自分の足などに映っていました。
波の模様の境界がプリズムの光を放っていて、プリズム模様がたくさんできていたのです。
虹の原理などと同じようなものなのでしょうが、波との角度でできるのか、プリズムの波形ができていて、それはそれは不思議な美しさでした。

私は西洋占星術では火の性質が強いのですが、風と水もかなりあります。
風と火は相性が良さそうでよいのですが、
水は邪魔なものだとずっと感じてきました。
太陽は火、月が水なせいで、水成分に足を引っ張られている感があって、火として突き進めない感じが嫌だったのです。
でもこうやって、水の動きによる波を、光が照らすことで新たな美しさを生み出すのを見ていると、別の性質だからから相性が悪い、などということはなく、別のものが偶然に織りなす何かは、より一層よいものになる可能性も秘めているのかもしれないと、少し勇気が出ました。
私もこんな風に、一瞬でもこのような感じになれればいいなと思います。

久々の夏山気分の山を満喫しただけではなく、なかなか充実した休日が過ごせました。