占いが好きだ。
西洋占星術の占いモノが特に好きでよく見る。
そのうちの一つで、かげした真由子さんがやっているYouTubeの動画を見た。
「どうしたら自分の人生をもっとよく変えられるか」という、
「もっとよい風に変わりたい!」と思い続けて何十年の私にとって興味深い内容だった。
詳しくは興味ある方は動画を見ていただくとして、
変わりたいけどなかなか変われない
という人は、「こうなりたい」という人がやっていることをとりあえずやってみろ、ということだった。
こういうこと、前にも聞いたことがある気がするが、60%でいいから、とのことで、
それならできそう!と思わせてくれた。
そこで自分が変わるために、じゃあ誰をモデルにしようか、と考えてみたがこれが出てこない。
「ステキだな〜」
と思う人たちはもちろんいるのに、そんな人みたいに自分がなりたいか、というとそうでもない。
自分にないものを持っていて人生を謳歌していそうな人をステキだなとは思うが。
そんな人たちのように満たされて性格も穏やかで、というのは自分っぽくないように思う。
ろくでもない自分を変えたいとは思うものの、すごくいい人になりたいかといわれるとそうでもない。
何かを偽らないとひたすらいい人には私はなれないと思う。
良くも悪くも私は正直者なので、自分を偽っていい人になっても何も嬉しくないな、と思ってしまうし、毒を持ち続けていたいとも思っている。
もちろん、よい方に変わりたいのも本当。
でも今よりよい風に変わっても、奥には毒を持ち続けていたくて、その部分を失ったらもう自分じゃないと思うし、そこは大事にし続けたい。
こういうことを考えていると思い出すのはナガノ先生。
ちいかわ以外のマンガは圧倒的にシュールで毒味が強いが、ちいかわは陰と陽の絶妙なバランスで構成されていて、陰味が強い話も最終的にはそこそこよい方向でまとめてくれるので、多少モヤる時もそれなりによい読後感になる。
ちいかわの話はかわいくてほんわかしているだけのことも多い。
しかしそうして安心していると、何の予兆もなくいきなりエグい展開になり、ちいかわたちが翻弄されてしまうこともままあるので気が抜けない。
そんな油断ならないところにいつもドキドキして目が離せなくなる。
基本的にちいかわたち族は善性だけでできているようなので、翻弄されつつもできることを一生懸命やって対処しようとする。
その姿がまたいじらしくて堪らなく、それも中毒になるポイントだ。
どちらにせよ、とりあえず表面的にはあんなにかわいく、毎日を前向きに一生懸命生きている健気な存在が、酷な目にあわされる姿は、ネガティブだからこそ、より強い印象を与える。
あの見た目にふさわしく、ただただかわいい奴らがのほほんと日々楽しく生きている、だけの話が好きな人たちもいるようだが、私はそれだとここまで惹き付けられなかった。
人間は神様じゃないし、世の中にはどうしてもネガティブなところがある。
自分の中にももちろんしっかりある。
善性だけのようなちいかわたちが、ちょっとしたことでキメラ化してしまうことを考えると、やはりそもそもそういう、攻撃性や暴力性などを内包しているのだろう。
だから、結局はちいかわ族が善性だけでできているというわけでもないのだろう。
そうでない部分を内包していても、ちいかわの姿の時はそれが表面化はしないのではないかと思う。
絵柄はかわいいのに、暗部や闇を内包することで、この世界がリアルなものとして感じさせられるのではないか。
ちいかわたちの感じていることが非常に生々しく感じられるし、でもあの絵柄だからこそそこまでキツい印象をもたずに済む、ギリギリのラインだから、面白く読み続けられるのだろうと思う。
ドロドロで暗いばかりのリアルな感じのマンガもあるが、そういうものは読んでいて暗くなるし、私は共感できない。結局それは、悪い側面ばかりを抽出して面白がるような露悪趣味で、それはそれで架空過ぎる、と思うからだ。
実際の世界は、いいことも悪いこともどちらもあって、それをいい形でファンタジー風味を付けて、でもリアルな感じに伝えてくれる作者のナガノさんは本当にすごい。
そしてやはり、ちいかわたちがいい子たちだからこそ、こちらも入れ込んでしまうのだろうと思う。
主人公のちいかわは、ずいぶん成長した。
もともと気が弱くて怖がりなので、「こうでありたい」ということができず、自分のふがいなさに泣いてしまうことも多かった。
こう書くと、主人公たちの成長を描く少年マンガのようだが、ちいかわは成長したというものの、以前からの弱い部分も持っていて、だからなおさら頑張っているのが伝わってきて応援したくなる。
やはり、ただいい子になったり、ただ前向きだったりするだけの相手にはなかなか共感しづらい。
ちいかわの怖がりな部分が、ピンチの際に仲間たちを助けることにつながることも多い。
だから、ちいかわの弱い部分は短所に過ぎない訳ではない。それに、ちいかわが弱いからこそ、感情移入して応援したくなるということもある。
私は変わりたいと思っていて、でもなかなかこう変わりたい!というモデルがわからないといった。
ちいかわのように、もなりたくはないけど、ちいかわ族がよい子たちなのだけれどそれぞれちょっと変なところがあったりするのが個性を生んでいるように、自分らしいところは持ちつつ、基本は前向きに頑張って生きていきたい。
ろくでもないダメな部分が自分にはたくさんあって嫌になるけれど、でも全部なくしたら自分ではなくなる感じがするし、だからって今のダメさはただダメな感じなので、周りにも迷惑をかけることもあり自分も嫌なので、このままのダメさでいい、と開き直ることも違う。
だから、やはりちいかわ弱い部分を持ちつつも変わってきていたり、でもその弱い部分が仲間を助けていたりするように、このダメ部分を、もう少しいい感じに、自分もそれをチャームポイントにできる感じにとしていきたい。
単に善なるものではなく矛盾しているこの世界でいい感じに生きるには、自分自身の矛盾もいい感じに受け入れて、前向きに生きていくしかないのではないか。
そうするために、自分のダメな部分をもう少しこの世にフィットできる形に整えて、マシな感じにしていきたい。
ちいかわたちがツラい目にあってもいつも頑張っている姿を見ると、素直に「私も頑張ろう」という気持ちになれる。
かわいくていい子でいつも前向きで頑張っているのに、いいことばかりが続くわけではなくて、大変な目にあうちいかんたちだが、だからって前向きに頑張っても無ということではない。
ひどい境遇にも、非力ながらも前向きに一生懸命立ち向かうからこそ、尊いのだから。
結局、自分を変えるために誰をモデルにするか?というのが、「ちいかわです」ともいいにくいし、同じことをとりあえずしてみるわけにもいかないが、とりあえずダメでありながらも頑張って前向きに生きる、というなんとも当たり前のことになって、始めの動画にあった
「具体に落とし込めないから何やっていいのかわからないので、モデルを見つけて具体的に真似してみる」
というのはわからないままだ。
こんな風にグダグダ考えるから、変われないままで今まで来たのだろう。
まあそれはおいおい見つけるとして、
自分のろくでもない部分をそれをいい味に転嫁できるような、そして基本はよい方を目指そうとするような、そんなバランスの人間になれるよう、ちいかわ世界を踏まえつつなれたらなと思う。